水の丘交通公園

鉄道メインの乗り物図鑑です。
※禁無断転載!使用に際してはコメント欄にて
用途を申告してください。

広島電鉄 650形電車 「被爆電車」

2008-08-06 21:54:25 | 電車図鑑・路面電車
昭和17年に輸送力増強のため、同年製造の600形と共に登場した車両である。
651~655の5両が製造された。

12m級3ドア車で前後のドアが片開き、中ドアが両開きである。
車体は半鋼鉄製でノーシル・ノーヘッダーの大きな窓が特徴の均整の取れた
スタイルのものである。
メーカーが同じ、750形(元大阪市電1651形)とは、よく似たデザインと
なっている。
車内はロングシートで、床面と壁材は木製でニス塗りとなっている。

台車は米国ブリル社のものを採用している。
制御方式は直接制御でブレーキは空気直通ブレーキ、駆動方式は釣り掛け駆動で
当時のものとしてはオーソドックスな構成となってる。
なお、台車については、戦時下ながら米国からの輸入品を採用していたり、
路面電車用としては滅多に使われない車軸と車軸の間が広めにとられている
(路面電車では急カーブを曲がる特性上、車軸と車軸の間が
狭いものが好まれる)ものであることから、
物資統制などの絡みで中古品を調達したのではないか、という説がある。

昭和20年8月6日の原爆投下にて以下の様な被害を被っている。

651号車・・・中電前電停附近を走行中に被災。半焼・脱線。昭和20年12月復旧。
近年になり、黒焦げで脱線した姿の本車を記録した写真が見つかり、原爆資料館に
寄贈された。
この写真は大和ミュージアム(呉市)でも見ることが出来る。

652号車・・・宇品(現・広島港)附近を走行中に被災。小破。損害が少なかったため、
昭和20年8月中に復帰し、一面焼け野原となった市内を走る
その姿は、多くの広島市民を勇気付けたという。

653号車・・・江波付近を走行中に被災して大破。昭和20年12月復旧。

654号車・・・653号と同じく江波付近で大破。昭和21年2月復旧。

655号車・・・広島駅で全焼。昭和23年11月復旧。

651~654が原型に近い形で復旧された中、車体を全焼した655号は復旧が遅れ、
車体を当時の新型車と同等の張り上げ屋根・埋め込み屋根のスッキリした
スタイルのものに作り直した。
昭和28年に車輪を交換して低床化を実施した。

昭和42年に655号がダンプトラックと衝突して大破し、廃車となったが、
残る4両は昭和50年にワンマン化された。
この時、進行方向右側のドアが埋め込まれ、その分、座席が延長された。
昭和57年に方向幕の大型化と車体の入念な整備を実施し、昭和61年には
冷房化を実施している。

このように手を加えられた結果、同時期に登場した他の形式の電車よりも
長く使われるようになった。

平成に入ってから、報道などで「被爆電車」として報道されるようになり、
注目度が増したが、平成12年以降、後継の新型車の就役や車両の大型化により、
やや小型で最高速度の遅い、本形式は予備的な存在となっていった。

平成16年の原爆の日の特番の予告で、本形式の引退が報じられ、一層の注目を
浴びることになったが、この段階では広島電鉄側はこれを否定した。

しかし、5100形「Green mover max」の増備で、平成18年6月に653号と654号が
営業運転から撤退した。
653号は平和学習などを目的に活用するため、車籍を有したまま保管されたが、
654号車は廃車となり、広島市に寄贈され、同市の交通科学館にて展示された。
残った651号車と652号車は、ラッシュ時を中心に一般運行(主に3号線・5号線)されている。
平成20年8月には、原爆の日を控え、本形式の貸切需要が増えていることから、
運用離脱していた653号が、今夏限定で営業に復帰している。


運転台。


車内。木製ニス塗りの、現在となっては貴重なもの。


台車。ブリル社製のもので現役で使用しているものとしても貴重品。


広島市交通科学館(下記に詳細)に展示された654号車。現在、上屋根の設置が検討されている。

■広島市交通科学館
新交通アストラムライン長楽寺駅下車徒歩5分。
入館料・大人500円・小人250円
アストラムライン長楽寺駅改札内備付の利用証明書を提示すると入館料が
割引となる(大人400円・小人200円)。
ただし、本館1階部分と屋外広場は無料で654号も無料で見られる。
屋外広場のおもしろ自転車やバッテリーカートは1回30分100円。
駐車場有。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。