今、手元にある入院記録表のコピーでは、オペ後の19時に排尿があったと記録されている。
そういうわけでありがたい事に懸念の尿管は大丈夫だったし、
お口痛いも一つのトラブルであったので、実は数本オペ中に抜歯も出来ればと頼んでいた。
実際はこんな重篤な時にしてはいけないのだそうであるけど、何度も麻酔をかけるのは可哀想な気がしたのである。先生はわかってくださり数本抜いてくださった。
翌21日、雨降りの中、お見舞いに行ったが、猫はかなりしっかりしていた。
その頃(21日)は、大きな台風もやってきて、各地に大きな被害をもたらしていた。大変な事が続いていたけど、台風についてはこの地では上手くやり過ごせた。各地の猫のお友達のあたりは被害甚大であった。
猫は飼い主がわかるのか、何度もごろんとしようとしチューブに絡まってしまっていた。(←飼い主だけでなく、病院の皆さんにしていたようである。)
この時点でも助かる状態は低い、ゼロにちかいといわれる。腹膜炎の猫で助かった例は、交通事故で腸破損した仔猫1頭のみといわれる。
コンベニアの他にエンドキサシン?だかの抗生物質も追加される。
↑あー、正確にはエンロフロキサシンです。
膿も実際にみたのだが、猫の見た目が、伝染性腹膜炎を経験してしまうと、そんなに重篤に見えなかった。
また、小さくても、脂肪もたっぷりついていたそうで、素人には腹水まで気がつけなかった。
猫は慣れない環境に、きょとんとしていて死ぬようにはみえないし、生き延びても2ヶ月も猫がこの先入院を我慢できるのかも心配であった。
卵巣を取る不妊手術は仔猫に多く、仔猫は子宮が自然に退縮、大人猫には少ないそう。
おそらく、同じおばあさんに餌を貰っていた、ふじこもその術式ではないかと思うのだが、このオペでも、全てがからす対決のケースにはならないというので、少し安心である。この件で絶対に自分は全部とる事に決意した。
22日の面会は、さらに猫はお座りしてゴロゴロ言って頑張っていた。
助かる予感がした。
入院記録を見ても、しばらくは強制給餌だったけど、23日からは自力で食べだし、量も増えていった。高価なa/d缶の食いつきが悪く、ドライを好んだのはびんぼーなお家のお猫様だからかもしれない。笑。
また猫は洗浄等の処置も理解出来ず、おっかないと思うけど良く耐えてくれた。
そうして23日に留置(腕の点滴)が抜け、ウンチもシッコも出て、お腹のドレーンはカタツムリのツノように出ていたのに、24日にも培養検査のちにカテーテルが除去された。
敗血症もなかった。25日にはカテーテル抜去部良好とある。エリカラのみになった。高熱で通院、しかしオペ後37度におちていた体温も38度に戻った。
表の傷は長かったけど取り残せば死ぬ、全部見たいので、あえて大きく切ってあり、2週間で完治するそうである。
先生のお顔も、曇らなくなった。
そして、26日一部抜糸後、人を呼びうるさく鳴き続け、(さすがに助けてくださった先生は苦手のようであったが)元気すぎて退院するのである。
からす対決は足りないというか、本当に無邪気な猫である。
あたち、がんばる
つづく。