在日コリアン・ハンセン病問題・沖縄―平和・人権―

自分の足で訪ねた関連の地紹介
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5月20日、沖縄愛楽園で行われた市民学会分科会後、金武観音寺へ(那智勝浦補陀洛寺と関係)

2018年05月26日 22時15分37秒 | Weblog
昨年12月のブログに那智駅近くの「補陀洛山寺」へ行きましたと書きました。
生きながらにして南方の観音浄土を目指す補陀洛渡海。ここが全国の根拠地だとと聞きました。井上靖の本を読んで、考えることは多かった。
世界遺産で、熊野参詣曼荼羅(同寺院所蔵)にも渡海船が浜辺を出て行く様子が描かれています。見送る人々も。
1カ月分の食料と油を積み込んで伴船に曳かれて黒潮の海へ、木の箱に閉じ込められ、釘でうたれて、海に旅立っていく。
一隻の補陀洛船は黒潮の流れとは反対に当時の琉球に流れ着いた
海から来たお坊さんだと迎えられ真言宗の金武観音寺を建立
日秀上人は仏教を広め、那覇の護国寺は日秀上人の建立との説もあり、浦添市には、経塚というゆかりの地名もあるとか
後に薩摩に召喚され、鹿児島神宮には日秀神社もあるとか
熊本学園大学の教員矢野治世美さんから補陀洛寺のことを聞いてから、勝浦に行き、お寺を長く管理する方とお話しできましたが
今回は、観音寺でもいろいろお話を聞きました。
こういう話は、わくわくします。












お寺の鍾乳洞は、沖縄戦の時に住民が逃げて助かったところである。
このお寺は、沖縄戦の戦禍には合わなかった
屋根の鬼瓦は、赤瓦だけど焼きの固いものだそうだ