在日コリアン・ハンセン病問題・沖縄―平和・人権―

自分の足で訪ねた関連の地紹介
知ることは力、学んでこそ生きる。

7月21日湯の峰温泉のフイールドワークに参加しました。

2013年08月04日 13時16分32秒 | Weblog
大阪天満の八軒屋から熊野まで「小栗街道」は続いている。熊野街道を小栗判官伝承によってそう呼んだが、小栗街道と熊野街道は完全に一致するものではないそうである。
蟻の熊野詣でと言われるように伊勢と違って、民衆をすべて受け入れた熊野詣で。小栗街道もいくつも枝道になっている。
説教節「小栗判官」は五説教に数えられ、各地に多くの伝承が残っているが、地域・地域の民衆の心によって内容が豊かに高められていったのだろうか?それが文化!
小栗が入って蘇えった湯の峰温泉の“つぼ湯”
ハンセン病者が湯治のために逗留した地だから生まれた伝承のように思う。

温泉街風景
川の水は手をいれると60度はあるように思われた。

私が活動する和泉市には小栗街道沿いに「明坂」(小栗を乗せた土車を人目の少ない夜間に引いて夜が明けた場所)、小栗が休憩した「笠かけの松」、和泉まで来てないはずの照手が腰かけて休んだ「照手姫腰掛石」など身近(私の日常生活の場)に残っている。病者が泊まった「取石(とろす)の宿」の話もある。
和泉にあった「小栗座」で地元の説教師・逵田良善(1890~1963)が「小栗判官」も語っていたのは味わい深い。漂泊の説教師『逵田良善日記』の資料的価値は大きいとされている。
伝承がなぜ、生まれたかを考えていく興味深いフイールドワークになりました。
そして、ハンセン病者、障害者が熊野詣でにかけた願いをかみしめたい。
伝承は史実ではないが、どんな歴史的背景だったのか、近代の様子はどうだったのだろうか?