在日コリアン・ハンセン病問題・沖縄―平和・人権―

自分の足で訪ねた関連の地紹介
知ることは力、学んでこそ生きる。

12月19日「大阪とハンセン病問題」フイールドワーク「堺編」

2010年12月23日 08時31分24秒 | Weblog
「をかむら橋」の石柱、津久野の岡村家に移築された19世直筆の石柱、堺空襲で「大風子油」製造は途絶えました。その空襲を受けた跡の残る油粕の写真です。

  暖かい日に恵まれ、1日かけて「大阪とハンセン病問題」関連の地をまわりました。故郷に住めず大和川河川敷周辺に住まざるを得なかったハンセン病患者達、明治の法制定前に19世岡村平兵衛は自宅に患者を連れ帰り、離れに住まわせました。治療の為に大風子油を製造、後に全国の療養所で使われるに到った歴史がある。何より予断や偏見もなく患者さんに接した姿を想像すると堺の誇りである。今の阪神高速堺線高架下「三蔵橋」付近に密かに建っている「をかむら橋」と刻まれた石柱のみが「ここに19世が生活していたのだ」という証になっています。岡村家は堺空襲でなくなり津久野の方に移りました。「丁子油岡村」の石碑が玄関に立ち、19世直筆の「おかむら橋」、小学生だった利子さんの書いた「岡村橋」が庭に移築されています。三蔵橋近くの石碑は20世の妻秀子さんの書。残りの1つは亡くなっているのです。津久野に22世岡村平兵衛さんを訪ねました。19世の初孫「利子さん」(98歳)が13日に静かに永眠され、そのお葬式のあった2日後の訪問であった。取り込み中にも関わらず20人近い人を迎えてくださった22世岡村平兵衛さんご一家に感謝しきれないものがありました。大和川河川敷では過去の警察資料その他知人の資料提供のおかげもあって話したいことがいっぱいありました。治安の対象にされた患者、植民地下の朝鮮人の歴史を掘り起こすことは自分の課題のように思われます。もう「歴史はいまさら考えたくない・・・」と言われる回復者の方もおられます。しかし、過去に目を閉ざすことは怖いと思うばかりです。