寄贈者の名前が刻まれており、学務委員の中に在日朝鮮人2人の名前があります。
当時の 南王子村村長:杉本直七、南王子小学校長:中谷信一、学務委員:柴田聰治、中田與惣蔵、隅谷梅冶、竹田松治、朴熙相、銭道庸
南王子村では1920年代より人造真珠産業が盛んで、朝鮮人も多く従事して集住地域が形成された。人造真珠で財をなした人もあり村会議員(1937年に1人、1942年に3人)や学務委員など公職についた人が府内でも目立って多いといえる。銭道庸さんは泉北内鮮相助会の会長をした人である。1937年8月28日「朝鮮日報」の見開き2面「在大阪朝鮮人活躍全貌」中に7名もの南王子村在住者の名前が載っている。人造真珠関係者が主である。
当時の 南王子村村長:杉本直七、南王子小学校長:中谷信一、学務委員:柴田聰治、中田與惣蔵、隅谷梅冶、竹田松治、朴熙相、銭道庸
南王子村では1920年代より人造真珠産業が盛んで、朝鮮人も多く従事して集住地域が形成された。人造真珠で財をなした人もあり村会議員(1937年に1人、1942年に3人)や学務委員など公職についた人が府内でも目立って多いといえる。銭道庸さんは泉北内鮮相助会の会長をした人である。1937年8月28日「朝鮮日報」の見開き2面「在大阪朝鮮人活躍全貌」中に7名もの南王子村在住者の名前が載っている。人造真珠関係者が主である。