雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

さて 事件の行方は

2018-11-22 18:57:29 | 日々これ好日
        『 さて 事件の行方は 』

     日産自動車の会長逮捕は 大きく波紋を広げている
     単なる不祥事 あるいは経済犯罪の枠を超えて
     クーデーターとの声も 聞こえてきた
     世界的な企業グループであるだけでなく
     それぞれの国益も 微妙に見え隠れし始めた感じ
     さて 事件は どう展開していくのか

                     ☆☆☆
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季節は急ぎ足

2018-11-21 18:48:27 | 日々これ好日
        『 季節は急ぎ足 』

     当地は 午前中は快晴 午後から急速に曇り
     日付けの変わる頃には 雨が降り出すらしい
     気温も朝から低く 夕方からは 冷たさが増してきた
     どうやら 秋も残り少なくなってきた感じ
     季節はせっかちらしく いつも急ぎ足

                 ☆☆☆
  
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日産社員にエール

2018-11-20 18:52:27 | 日々これ好日
        『 日産社員にエール 』

     日産自動車の会長逮捕 大きな事件になってしまった
     多くの社員を犠牲にして立ち直って まだ程ないのに
     再び 大きな試練に直面することになってしまった
     社員や関係者には お気の毒な限りだが
     残念ながら 無かったことにはできない
     せめて 今判明して良かったと思えるように
     逞しく 立て直して欲しい
     日産社員に エールを送ります

                   ☆☆☆

                     
     
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月にあまぎる

2018-11-20 08:13:27 | 新古今和歌集を楽しむ
     山高み 峰の嵐に 散る花の
            月にあまぎる 明け方の空


                   作者  二条院讃岐

( No.130  巻第二 春歌下 )   
            やまたかみ みねのあらしに ちるはなの
                       つきにあまぎる あけがたのそら



* 作者 二条院讃岐(ニジョウノインノサヌキ)は、新古今和歌集を代表する女流歌人の一人である。生没年は確定されていないが、1141年頃の誕生、1217年頃の死去とされている。享年は七十七歳くらいか。

* 歌意は、「 山が高いので 峰の嵐で散る桜の花びらが 霧のようになって 月を曇らせている 明け方の空だなあ 」といった感じか。なお、「あまぎる」は「『天霧る』で、雲や霧などがかかって、空が一面に曇るさま。」をいう。

* 二条院讃岐は、著名な歌人であるが、歴史上の人物としても興味深い位置にある。
讃岐の父は、源頼政である。この人物は、平氏政権から源氏の世に移って行く時代に大きな働きをした人物の一人といえるのである。その働きは、平清盛や源頼朝あるいは義経といった表舞台での活躍ではないが、その陰にあって、時代の動きに確実に影響を及ぼしている。
公家政治から武家政治へと大きく動いた、保元の乱・平治の乱において頼政は勝利側に属し、壊滅状態となった源氏の灯を辛くも守り続けた人物である。そして、平氏全盛の中で、平清盛の信頼は厚く、武家としては破格の従三位に登り、源三位頼政と称せられた。
ところが、後白河法皇が平氏討伐に動くと、その皇子以仁王(モチヒトオウ)の決起に呼応し、諸国の源氏に打倒平氏の令旨を伝えたが、機熟さず、宇治平等院の戦いに敗れ自害している。
以仁王あるいは源頼政らの挙兵に対する評価は分かれるところであるが、後の世に大きな影響を与えたことは確かであろう。

* 二条院讃岐の母も、清和源氏出自の源斉頼の娘(孫とも)なので、讃岐は武家としての血筋を強く引いていることになるが、二条天皇即位間もない頃に内裏女房として出仕したらしい。十七歳の頃と思われる。そして、一、二年後には、内裏和歌会に登場しているので、早くからその才能は広く知られていたようだ。
その後も宮廷にあって多くの歌会に参加していたようで、女流歌人として存在感を高めていったと思われる。

* その後、二条天皇の崩御(1165年)後に、藤原重頼(鎌倉御家人で、相模守などを務めた。)と結婚し、重光・有頼らを儲けている。
1190年頃、後鳥羽天皇の中宮宜秋門院任子に再出仕し、宮廷歌壇にも復帰した。もっとも、宮廷歌壇には、内裏を離れていた期間も度々招かれていたようである。

* ただ、この期間については他説もあるようで、二条天皇の崩御より少し前に内裏女房を退き、1165年頃に皇嘉門院(崇徳天皇の中宮。太政大臣藤原忠通の娘で、兼実の異母姉にあたる。)に出仕した。1174年頃には藤原(九条)兼美の女房となり、やがて同居妻となった。1187年頃には、同家の北政所と称されていたとされ、同家の内所を切り盛りしていたという。そして、1190年、同家の姫の任子が後鳥羽天皇の中宮として入内するにあたって、讃岐は後見役のような立場を果たしたようであるが、引き続き九条(藤原)家を仕切っていたとされる。
なお、兼美は九条家の祖であり、一条家・二条家もこの家から誕生している。兼美は、摂政・関白・太政大臣に就いているが、1196年に失脚し、以後政界復帰は果たせなかった。1207年に没している。

* この二つの説は、登場人物に共通点が多いが、同一人物が両方の立場をこなしたとは考えにくい。伝統的には最初の説が主流のようであるが、結論は控えたい。
また、父である頼政の政治的な動きからの影響も皆無であったとは考えられないが、伝えられているものは多くないようだ。それに、頼政の動きは、平氏にとっては裏切りであるが、源氏にとっては功労者ともいえる立場であり、源氏政権下では少なくとも束縛を受けるようなことはなかったと考えられる。

* いずれにしても、1200年頃には、和歌会に本格的に復帰したようである。おそらく六十歳の頃で、すでに出家していたらしい。
晩年には、父頼政の所領であった若狭国宮川保の地頭職を継いでおり、伊勢国にある所領を巡る訴訟で高齢を押して鎌倉に旅したという事跡もあるので、深窓で和歌を詠む女房といった女性というより、大家の家裁を取り仕切ったり、所領を守るためには戦いも辞さぬ激しい気性の女性だったのかもしれない。

* 讃岐の作品は、新古今和歌集に十六首採録されているほか、後の勅撰和歌集にも多く採録されている。
ただ、個人的には、和歌の評価以上に、二条院讃岐の激しい時代をどのように生きたのかを知りたいが、残念ながら、伝えられている資料は少ないようだ。
最期に、小倉百人一首に入選している和歌を紹介しておこう。
  『 わが袖は 塩干に見えぬ 沖の石の
             人こそしらね かはくまもなし 』

     ☆   ☆   ☆


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とんでもない事件

2018-11-19 19:26:50 | 日々これ好日
        『 とんでもない事件 』

     日産自動車の会長が 逮捕される見込みとの報道
     その経営手法には 賛否が分かれるとしても
     危機状態であった日産自動車を 立て直したことは事実だ
     それが どうやら 収入の虚偽申告ばかりでなく 
     会社の資金の流用もあるらしい
     金額のスケールはともかく やっていることが小さ過ぎる感じ
     名経営者の声もあっただけに 残念だ

                        ☆☆☆
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小さな小さな物語 第十九集

2018-11-19 15:27:37 | 小さな小さな物語 第十九部
     小さな小さな物語  第十九集


        NO.1081 から NO.1140 まで収録しています
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小さな小さな物語  目次

2018-11-19 15:26:41 | 小さな小さな物語 第十九部
          小さな小さな物語  目次

     No.1081  どちらに向かっているのか
        1082  「街ぐるみ」のあり方
        1083  スポーツの存在価値
        1084  一歩踏み出す前に
        1085  覆水は盆に返らないが


        1086  生態系の変化
        1087  悪貨は良貨を駆逐する
        1088  マルかバツか
        1089  順繰り
        1090  区画割り


        1091  合意文書に署名
        1092  へその在り処
        1093  またも地震の悲劇が
        1094  ライフラインを考える
        1095  輝ける我が国土


        1096  重い荷軽い荷
        1097  究極の決断
        1098  木を見て森を見ず
        1099  大雨続く
        1100  国土防衛
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どちらに向かっているのか ・ 小さな小さな物語 ( 1081 )

2018-11-19 15:25:49 | 小さな小さな物語 第十九部
今、私たちの国はどちらに向かっているのでしょうか。
この数日、あるいはこの数か月、主として国会や政党や国会議員、さらにいえば地方政治にかかわる人などに関する情報を、新聞やテレビなどで見聞きする限り、わが国の未来に若干の不安を感じています。
国政や地方政治に関わる人たちが、厚顔無恥とでも表現せざるを得ないような事件が表面化するたびに、「大部分の人はまじめに任務を果たしており、これほどの事件を起こすのはごく一部の人間だ」といった論評を、時々目にします。特に、テレビのコメンテーターの中には、問題人物を厳しく糾弾した後、まるでアリバイ作りのように、このような言葉をまるで台詞のように付け加えるのです。

まあ、国会議員の全員が、あるいは、私たち国民が選出した政治の代表者たちの多くが、とんでもない事件を起こしたり、ケチ臭いごまかしをしてみたり、無知からだと思うのですが、常識外れの発言をするような人ばかりだとは思わないのですが、同時に、法的な白黒はともかく、表面化していない同類の人間も少なくないように思ってしまいます。
まだ二十歳未満の警察官が、先輩の警察官を拳銃で射殺するという悲惨な事件がありましたが、未成年に拳銃を持たせることの是非が話題になりました。政治家に対しても、年齢制限の他に国政なり地方政治なりに参画するための最低条件のような資格を定める方法が無いものでしょうか。

物事には優先順位があり、物事には軽重の差もあります。
しかし、これらの判断には個人差が大きいように思われます。
現在、北朝鮮をめぐる諸問題は大きく変動しています。わが国がカヤの外に置かれようとしているのかどうかはともかく、そうそう楽観視していいのかどうかもともかく、変わろうとしていることは事実のようです。しかし、世界中が一番の重大事として見ているかどうかとなれば、シリアの問題があり、イランに関する問題の方が遥かに重大と考える国家は少なくないでしょう。
それどころか、わが国のように、内政のゴタゴタしている問題の解明こそが一番大切だと考える人も少なくないというのも事実でしょう。

第二次世界大戦で壊滅的な状態になったわが国は、まさに不死鳥のように蘇りました。
特に経済面では、もしかすると世界NO.1も可能ではないかというほどの夢も描きました。その後、長期の停滞を余儀なくされ、個人生活面では、まだ回復軌道に戻らない状態です。
しかし、個人生活でいえば、全体的な基準としては、これ以上を望む方が無茶なのかもしれません。別の視点に立てば、これまでのような、アメリカの国力・軍事力の恩恵に頼り切ることでわが国が存在し続けることが可能なのかどうか、現実の問題として浮上してくる予感があります。
私たちの国はどちらに向かっているのか。世界中が激しく動いている中で、相変わらず、チマチマとした問題で右往左往している自分の国に悲しさを感じてしまいますが、もしかすると、それこそが平和である証拠なのかと考えたりもします。
ただ、それによって、わが国が明るい未来に向かっているとは思えないのですが。

( 2018.05.14 )
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「街ぐるみ」のあり方 ・ 小さな小さな物語 ( 1082 )

2018-11-19 15:24:40 | 小さな小さな物語 第十九部
新潟の女児殺害事件は、あまりに残酷で、目をそむけたい気持ちも強いのですが、あえてテーマとしました。
事件そのものについて触れるのは避けたいと思いますが、昨今、子供が被害者となる事件が多見されるような気がしています。
もちろん、表面化したものだけでも、第二次世界大戦後だけでも、子供にまつわる悲惨な事件は数多く起きています。最近は、家庭内の事件、つまり、両親などによる乳幼児への虐待や暴行が特に増えているような気もします。同時に、この種のデーターがどの程度あるのか、全く把握していないのですが、今回の事件のような残虐犯罪はともかく、家庭内の事件となれば、以前はもちろん、最近であっても表面化していないものも少なくないと思われます。

この種の事件が発生すると、再発防止のための対策が報道などで盛んに検討され提示されます。しかし、そのいずれもが、どの程度効果があったのか、科学的な追跡調査されたデーターを、私は聞いたことがありません。
「二度とこのような悲劇が起きないように」などといった発言は嫌というほど聞くのですが、残念ながら、実現可能な対策は、ほとんどの場合に存在していないような気がします。
ただ、発生を絶滅させることは困難だとしても、明確に減少させる対策はないものでしょうか。

こうした事件の後の対策として挙げられる一つに、「街ぐるみ」の見守りの重要性が語られます。
近隣住民間の日頃の付き合いや情報共有がその基本であり、今少し広い範囲の「町内」ぐるみでの組織的な見守り体制などです。
町内会や小学校の校区単位などで、自転車等に「見守り中」といったステッカーを付けたり、商店や一般家庭が危険を感じた子供が駆け込める場所を提供するなど、様々な対策が進められています。通学路の見守りや、集団登校などはかなりの地域で実行されています。
しかし、子供や乳幼児に対する犯罪は、あとを絶ちません。しかも、町内会の紐帯は年々薄まっていく傾向にあり、近隣間でも、互いの家族構成さえ分からないというのも別に珍しいことではないようです。その上、何かといえば「個人情報云々」とやらで、ちょっとした名簿作成さえ簡単ではないようです。

私たちは、社会生活、つまり集団生活をさけることができない環境で生きている限り、恩恵を受けると同時に、犯罪やトラブルを皆無にすることは出来ないのかもしれません。
もし、そうだとすれば、そうであればあるほど、少なくとも、乳幼児や児童と呼ばれる程度の子供に対しては、「街ぐるみ」での見守りや相互扶助の重要性は、高まりこそすれ不用になる事などないでしょう。ただ、もっと有効性を高めるシステムを構築することは期待できないのでしょうか。
あまり好きな言葉ではないのですが、「高齢化社会」という言葉をよく目にします。そういう社会にすでに突入しているとすれば、いわゆる高齢者こそが、地域社会の見守り隊の中核になれるような気もするのですが。

( 2018.05.17 )
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スポーツの存在価値 ・ 小さな小さな物語 ( 1083 )

2018-11-19 15:23:40 | 小さな小さな物語 第十九部
アメリカンフットボールで、とんでもない事件が起こっていたようです。
映像で見る限り、あんなものはタックルでも何でもない明確な暴力行為だと私には見えました。
幸い、詳細な映像が、多くのメディアで繰り返し流され、様々な立場の人が非難の声を挙げており、きれいごとの言い訳や擁護は通用しない状態になりつつありますから、ある程度は、常識的な判断が下されるものと期待したいと思います。

スポーツにまつわる数々のトラブルは、何も最近になって増えたのではなく、表面化するものが増えてきただけだと思うのですが、スポーツというものには、常にドロドロとしたものや不愉快な部分が従属してるものなのでしょうか。
野球にせよ、相撲にせよ、レスリングにせよ、あるいはその他の競技においても、表面化した犯罪行為のほとんどが、うやむやに近い状態で静まって行き、「二度と同じことが起こらないように」とか「再発防止策云々」などという誰もが実現するはずがないと思いながらの「お約束ごと」で幕引きを図っているように思われてなりません。

そもそもスポーツとは何なのか、例によって辞書の力をお借りすると、『 陸上競技・野球・テニス・水泳・ボートレースなどから登山・狩猟などにいたるまで、遊戯・競争・肉体的鍛錬の要素を含む身体運動の総称。 』と説明されています。
私たちは、特別深く考えることもなく「スポーツ精神」などという言葉を使うことがあります。特別厳格な意味を持って使うわけではないとしても、公平・公正・神聖といったイメージを意識して使っている感があります。あるいは、「政治の影響を受けない独立性」も看板の一つのように思われますが、これらのどれ一つを取ってみても、「立て前は」という形容詞を付けるべき、という気がしています。

辞書の説明の上げ足を取るわけではありませんが、スポーツに定義される範囲は極めて広いものらしく、身体を使う行為はほとんど包含されるような気もしますが、まさかその中には暴力行為も入っているのではないと思うのです。
スポーツはルールに従って運営され、ルールに反する場合には相応の罰則が課されます。しかし、それはルールに違反した場合であって、犯罪行為に対してゲームのルール違反に定められている罰則で対応できると考えていれば、お話になりません。
どのような競技であれ、それが試合中であれ、競技場内であれ、犯罪行為に対しては刑法なりが適用されるのは当然だと思うのです。
アメリカンフットボールのわが国における知名度がどの程度かはともかく、今回問題となっているチームは、わが国のトップレベルにあるチームの一つです。今回の事件の対応を誤れば、このスポーツに対するダメージは小さいものではなく、当該大学の在り方にさえ影響があると考えられます。

( 2018.05.20 )
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