雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

冒険家の日 ・ 小さな小さな物語 ( 660 )

2014-09-05 06:41:36 | 小さな小さな物語 第十一部
本日八月三十日は、冒険家の日だそうです。
いつ制定されたのかはっきりしないのですが、植村直己氏がマッキンリー単独登頂に成功し、五大陸の最高峰制覇を成し遂げたのが、1970年(昭和四十五年)の八月三十日であったことや、堀江謙一氏が小型ヨットによる太平洋横断に成功したのが、1989年(平成元年)の八月三十日であったことなどがその根拠となっているようです。
もっとも、どういう経緯で制定されたのかを調べることができなかったのですが、このような「何々の日」というのは、メジャーなものローカルなものなどを数えれば相当の数になるはずですから、誰がどのように決めたなど大したことではないようです。
さらに言えば、個人や家族などには、それぞれにいくつかの記念日のようなものがあるはずで、それらの記念の方が、例えば憲法記念日や建国記念の日などより遥かに重要な意味を持つことも不思議な気もしません。

冒険とか冒険家と言えば、何となく恰好良いように感じられますし、若い頃、というより少年の頃には、多かれ少なかれあこがれたことがあるのではないでしょうか。
ある程度年齢を重ねていくうちに、多くの人は冒険家などというのは、日常生活とは別世界にいる存在となり、例えば前記した冒険家といわれる人たちの偉業も、「それがどうした?」と感じられる人も少なくないと思われます。

ところで、最近、何か冒険らしいことなさいましたか?
せいぜい、「マージャンで、危ないパイを切った」「ゴルフで、池越えに挑戦した」「家人に、精いっぱいの勇気を出して注文を付けた」といった程度しか浮かんでこない方も多いのではないでしょうか。
私たちの日常は、時には平凡この上ないもののように感じられ、そのことが、いかにもスケールが小さいような気がしてしまいます。
しかし、伝えられる自然災害や、海外の戦乱地域などからの報道などを見ていますと、平凡すぎる日常が、そうそう簡単なものではないような気もするのです。

「冒険」を辞書で調べてみますと、「危険をおかすこと。成功のたしかでないことをあえてすること」とありました。
つまり、山に登ったり、海を渡ったりするのだけが冒険ではなく、日常にあふれていること決断していくことも、冒険そのものなのかもしません。
私たちは意識していないことが多いのですが、日常生活を無難に過ごしていく過程には、「危険なこと」や「成功のたしかでないこと」に挑戦し続けているはずなのです。その程度の大小は、ともかくとして。
本日は八月三十日。今年は、まだ123日残っています。
少しばかり意識して、冒険してみますか。

( 2014.08.30 )

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