雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

一条天皇の行幸 ・ 望月の宴 ( 114 )

2024-07-06 07:59:41 | 望月の宴 ③

     『 一条天皇の行幸 ・ 望月の宴 ( 114 ) 』


若宮誕生の御祝いが続いていたが、やがて、行幸も近づいたので、御邸内をあれこれと手直しし美しく飾り立てられ、見るからに素晴らしい。
その有様は、まるで法華経がおわすかのようで、老いが遠ざかり寿命が延びるであろうと思われるような御邸の有様である。

こうして、この度の行幸は、帝が若宮をたいそうお気にかけられ、早く御覧になりたいとお思いになっての事なので、これまでの行幸よりも殿の御前(道長)はたいそうお急ぎになり、まだかまだかとお急がせになって、満足に御寝にもならず、この事のみに御心をくだかれたのも、当然のことと言えよう。
行幸は神無月の末とのことである。(史実は、十六日。)
こうして、この度の行幸の折に用いるべく造らせた船を岸に寄せて御覧になられる。竜頭と鷁首(ゲキス・鷁は想像上の水鳥。)が船首に飾られていて、生きている姿が想像されて、際立って麗しい。

行幸は寅の時(午前三時から五時頃の間となり、誤記と思われる。)ということなので、昨夜のうちから落ち着かず身支度をして騒ぎ立っている。
上達部の御座は西の対なので、この度は東の対の中宮付の女房たちは、少しは気を緩めることが出来ているのだろう。
督の殿(尚侍、妍子。道長の次女で後の三条天皇の中宮。西の対に住んでいたらしい。)の御方付の女房たちは、中宮付の女房よりも、あれこれと用意を調えているとのことである。
寝殿の御設備などは、いつもより趣向を凝らして、御帳の西の方に帝の御席として御倚子(イシ・椅子)を立てられている。そこから東の方にあたる際に、北南に御簾を懸け渡して女房たちが並んでいて、その南の端にも簾が垂らしていて、それを少し引き上げて内侍が二人出て来た。

髪上げをして、美しく正装した二人の姿は、まるで唐絵の中の人物か、もしくは天女が天降ったかのように見えた。
弁内侍、左衛門内侍(ともに内裏の女房。)などが参上した。それぞれ様々の容姿である。衣装の色合いなど、いずれもそうそうは見られない見事さである。
近衛府の役人たちはまことにふさわしい礼装で、諸々の事を行っている。頭中将頼定君(源頼定。正四位下、蔵人頭、左近衛中将兼美作守。)が御剣(ミハカシ)を取って内侍に伝えなどしている。

御簾の内を見渡すと、例によって、禁色を許された女房は、青色や赤色の唐衣に、地摺(ジズリ・型紙などを用いて模様を摺り出す手法。)の裳を着用して、表着(ウワギ)は皆同じように蘇芳(スオウ・襲の色目で、表が薄茶、裏が濃赤。)の織物である。打物(ウチモノ・打衣。砧で打って艶を出した衣。袿の上、表着の下に着る。)は、濃い紅、薄い紅と紅葉を混ぜ合わせたようである。また、いつもの青色や黄色の物も混ざっている。

禁色を許されていない女房は、無紋(織物であるが織文様のない唐衣。)や平絹(綾織りでない平織りの唐衣。)など様々である。下着(唐衣の下)はみな同じさまである。大海の摺裳(オオウミのスリモ・大きな波の文様を摺りだした裳。)は、水の色も鮮やかで、これもたいそう風情があるように見えた。
帝付きの女房でも中宮付を兼ねている者は、四、五人参集した。内侍二人、命婦二人、御給仕役が一人である。帝に御膳を差し上げるために、みな髪上げをして、先ほど内侍が出てきた御簾際から出入りして参上し、御給仕役の藤三位は、赤色の唐衣に黄色の唐綾の袿で、菊(表が白、裏は蘇芳または青または紫。)の袿が表着である。筑前や左京(ともに命婦らしい。)なども、さまざまに装いを凝らしている。ただ、柱に隠れて、よくは見えない。

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