『 情欲の僧と菩薩 ( 3 ) ・ 今昔物語 ( 17 - 33 ) 』
( ( 2 ) より続く )
やがて、いつしか三年となった。
このように山に籠もっている間も、あの人の所から、絶えず便りがあったので、それを心の頼りとして静かに学問に打ち込めたのである。
三年が過ぎ、学生にもなることが出来たので、あの人と会うために、いつものように法輪寺に詣でた。そして、その帰途、夕暮れ方にあの家に行った。
前もって、「訪問する」と伝えていたので、いつもの部屋に通されてすわっていると、几帳越しにこの数年の様子などを話したりしていたが、主の女も、人には「二人がこのように親しくなっている」とは知らせていないので、仕えている女房を通して、「このように度々お立ち寄りいただいていますのに、わたし自らご挨拶しておりませんので怪しくお思いでしょう。この度は、直接ご挨拶いたしましょう」と伝えさせたので、僧は嬉しさに胸をときめかせ、「畏まりました」とだけ言葉少なく答えた。
「こちらにお入り下さい」と言われると、僧は喜びながら中に入ると、臥している女の枕元の几帳のそばに、清らかな畳が敷かれていて、その上に円座が置かれていた。屏風の後ろに向こうむきに燭台が立てられている。仕えている女房が一人だけ女の裾の方に座っているようだ。
僧はそばに寄って、円座にすわると、主の女は、「わたしには、長年疑問に思っている事が積っております。ところで、あなたは学生におなりになったのでしょうか」と言う。その声は、実に魅力的である。
僧はその声を聞いて、心の静めようもなく、身を震わせながら言った。「これというほどではありませんが、法華三十講や内論議に出るたびにお誉めをいただいております」と。
主の女は、「とても嬉しいことです。それでは、疑問に思っている事などをお尋ね申します。このような事をお尋ねできるお方こそが本当の法師だと思います。ただ御経を読むだけの人には心が引かれることなどありません」と言って、法華経の序品(ジョボン・法華経の第一品。)から始まって、解釈の難しい部分についてあれこれ尋ねると、僧は学んできた通りに答えた。
主の女は、その答えに対してもさらに難しい質問をする。僧は、それらに対して、自分で考えながら答えたり、あるいは昔の人が説き伝えている事などにより答えると、主の女は、「本当にご立派な学生におなりですねえ。どうして、この二、三年のうちにこれほどにおなりなのでしょう。極めて聡明なお方だったのですね」と誉めたので、僧は、「この人は、女だとはいえ、このように仏法に通じているとは、思いもかけないことだ。親しい関係になって語り合うのに大変良いことだ。この女は、私に学問を進めるに違いない」と思って、これからのことなど話し合っているうちに、夜も更けてきたので、僧はそっと几帳を掻き上げて中に入ったが、女は何も言わずに横になったので、僧は嬉しく思いながら添い臥した。
女は、「しばらくは、このままにしていて下さい」と言って、手だけを互いに差し交わして、寝物語しながら横になっているうちに、僧は比叡山から法輪寺へ参った帰り道なので、歩み疲れている上に安心もあって寝入ってしまった。
はっと目覚めて、僧は、「ああ、すっかり寝込んでしまった。自分の思いを、まだ打ち明けてもいないのに」と思うと、すっかり目が覚めてしまった。
そして、辺りを見回してみると、生い茂った薄(ススキ)を掻き倒した上に寝ていた。
「どうしたことか」と思って、頭を持ち上げて見回すと、どことも知れぬ野中で、人の気配さえない所に、たった一人で寝ていたのである。心は惑い肝が騒ぐほど恐ろしい限りであった。
起き上がって見ると、着物などを脱ぎ散らかしている。着物を掻き抱いて、しばらく立って見回していると、どうやら嵯峨野の東の辺りの野中に寝ていたのであった。何とも奇怪なことである。
辺りは、まだ有明の月が明るく、三月の頃の事なので、とても寒い。がたがたと震えるばかりで何も考えられない。
とっさに行くべき所も分らず、「ここからは法輪寺が近いだろう。あそこへ参って夜を明かそう」と思い至って、走り出した。
梅津(桂川の北岸にある。)に出て桂川を渡ったが、水が腰まであり、流されそうになるのを堪えながら渡りきり、ぶるぶる震えながら法輪寺に辿り着き、御堂に入って仏の御前にひれ伏して、「このような悲しく怖ろしい事に遭いました。どうぞお助け下さい」と申し上げて、臥しているうちに寝入ってしまった。
すると、その夢に、御帳(ミチョウ・垂れ絹)の内より、頭を青々と剃った厳かな姿の小僧が現れ、僧のそばに座ると、「汝が今夜だまされたのは、狐や狸などの獣によってだまされたのではない。私がだました事なのだ。汝は、もともと聡明なのに、遊び戯れて、心を込めて学問をしないため学生に成ることが出来なかったのだ。それなのに、それを当たり前の事とは思わず、常に私の所にやってきて、『学問が出来るようにしてくれ、知恵を得させてくれ』などとせっつくので、私は『どうしたら良いか』と考えた末、『汝は、格別女のことに強い関心を持っている。そこで、その事に付けいって、知恵を得ることを勧めよう』と思ったので、だましたことなのだ。それゆえ、汝は何も恐れることなく、速やかに比叡山に帰り、ますます仏道を学び、決して怠ってはならない」と仰せになった、と見たところで夢から覚めた。
僧は、「それでは、虚空菩薩が私を助けるために、長年、女の身に変じて、だまして下さった事なのだ」と思うと、恥ずかしいこと限りなかった。
涙を流して悔い悲しんで、夜が明けた後、比叡山に帰り、ますます心を込めて学問に励み、まことに勝れた学生に成ったのである。
虚空菩薩がお謀りになったことなので、決しておろそかにすることなど出来ない。虚空蔵経を見奉れば、「私を頼む人は、命が終る時に臨んで、病に苦しめられて、目も見えず耳も聞こえなくなって、念仏申し上げられなくなっても、私がその人の父母妻子となって、きちんとそのそばに付き添って、念仏を勧めてあげよう」と説かれている。
されば、虚空菩薩はあの僧の好みに応じて女となって、学問を勧められたのである。
御経の文に述べられている通りなので、貴くありがたいことなのだ。
この話は、あの僧が自ら、
語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます