少々オーバーな表現かもしれませんが、「懸命に生きる」といったことを考えさせていただきました。
このコラムは、オリンピック第四日目の競技が行われている時点で書いております。当然のことながら、まだ始まっている競技は限られていますが、それでも、テレビの映像を通じて伝えられる競技の内容や、さまざまなお国の事情や、各選手のエピソードなどは、オリンピック出場に至るまでの生き様や、凄まじいまでの精進努力などに心が打たれます。
オリンピック出場のために、まさに人生を懸け、命さえ懸けて努力してきた人々の集いは、私たちに熱い何かを伝えてくれているようです。
そしてそれは、十三歳で金メダルを手にした少女であっても、国内代表から外れて自国に強制的に返された人であっても、さらに言えば、それぞれの国での代表選手選考を勝ち抜けなかった人たちも含めて、多くのドラマを演出し、その経験は、悲喜こもごもといえども、それぞれの人の人生における重要な一コマを描いているのではないでしょうか。
そう考えた場合、果たして自分には、「懸命」という程の意気地で事にあたったことがあったのだろうかと、忸怩たる思いに襲われます。その「懸命」というのは、「一生懸命頑張ります」といったものではなく、文字通り「命を懸けて」という状況を指しているとした場合のことですが。
かつて、もうずいぶん前のことになってしまいましたが、ある先輩から、シベリア抑留生活の経験談を聞く機会がありました。
そのお方は、下士官として捕虜となりシベリアに抑留されましたが、将校は兵隊たちとは切り離されたため、一つの隊の隊長役にされたそうです。隊長役というのは、毎日毎日続く労役の管理役で、ノルマが果たされない場合は、隊長が処罰を受けることになるのです。
ある時、処罰を受けて独房に入れられたことがありました。極寒のシベリアの火の気が全くない土蔵のような独房は、罰として夕食が与えられなかった者にとっては、眠ることは死を意味するに近いことだそうです。飢えと寒さを耐え抜くために、そのお方は歩き続けたそうです。やがて意識が薄れてきて、生きているとか命とかといった感情は消え去って、部屋の中をあと一周あと一周とつぶやきながら歩き続けました。その時、明かり取りの小さな窓から何かが投げ込まれました。わずかな明かりを頼りに投げ込まれた者を拾い上げてみると、石のように固い半分の黒パンだったそうです。誰かが、乏しい夕食から、自分の命を削るようにして投げ込んでくれた黒パンだったのです。
その黒パンを口にしたとき、「何が何でも生きて祖国に帰ろう」と思ったそうです。そして、仲間を一人として死なせることなく帰るんだと思ったそうです。
「残念ながら、多くの人を死なせてしまったが・・・」と、相当の社会的な地位を得ていたそのお方は、涙を見せられました。
「一生懸命」という言葉があります。
考え方によって、この言葉はなかなか難しい色合いを秘めているように思います。文字通りに意味を探りますと、「一生の間、命を懸ける」といった意味になると思うのですが、日常において私たちが使う場合は、「真剣に頑張ります。もう少し真面目にやります。」といった場合が多く、比較的軽く使う場合が多いように感じられます。
この言葉は、「一所懸命」から転じたものです。「一所懸命」の方は、武家などが自分の領地を命を懸けて守る、といった意味で、鎌倉時代初期には文献に登場している言葉なのです。その後、時代が下ると共に「自分の領地を守る」といった意味が薄れ、「懸命」部分だけの意味となり、それも「命を懸ける」というほどの重さは薄れてきているように感じるのです。そして、その変化と共に、「一所」が「一生」への変化が見られたのですが、この部分の意味はほとんど薄れていると思われます。
現在、「一所懸命」と「一生懸命」は同じ意味の言葉として扱われていますが、教科書などでは「一生懸命」が使われているようです。
少々理屈っぽくなりましたが、考えようによっては、「一生」はともかく、「命を懸ける」という部分は、私たちは実行しているのかもしれない、と思うのです。
私たちは、誰もが限られた命を頂いて生きています。その長短に少々の差はあるとしても有限である点はまったく平等です。
私たちは、何事かを為すにあたっては、それに要する時間分だけ「命を懸けている」のです。まさしく、命そのものを懸けて物事にあたっているのです。
別に肩肘を張る必要などないでしょうが、事に当たるにあたっては、それがいくら些細な事であっても、そうしたことに思いを寄せたいと思っています。
( 2021.07.27 )
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