浄土への道 ・ 今昔物語 ( 15 - 1 )
今は昔、
元興寺(ガンゴウジ・奈良にあった大寺)に智光・頼光(チコウ・ライコウ・・共に実在の人物)という二人の学僧がいた。
長年この二人は、同じ僧房に住んで修学していたが、頼光は老境に至るまで怠けていて学問もせず、話をする事もなく、いつも寝てばかりいた。智光はたいへん聡明で熱心に学問に励み、優れた学僧になった。
やがて、頼光は死んでしまった。その後、智光はこれを嘆いて、「頼光はまことに長い間にわたる親しい友であった。しかし、彼は長年、物を言う事もなく、学問をする事もなく、いつも寝ていた。死んだ後、どのような報いを受けているのだろう。善悪どちらの果報を受けているのか見当がつかない」と言った。
このように嘆き悲しんで、二、三か月の間「頼光が生れ変った所を知りたい」と心中で祈念していたところ、智光は夢の中で頼光が居る所に行った。見れば、そこは荘厳微妙(ショウゴンミミョウ・飾り付けが美しいさま)にしてまるで浄土のようであった。
智光は不思議に思って、頼光に訊ねた。「ここはどういう所なんだ」と。頼光は「ここは極楽です。あなたが[ 欠字。「知りたいと願っている」といったもの、らしい。]によって、私が生れ変った所を示したのです。さあ、もう早く帰りなさい。ここは、あなたが居る所に[ 欠字。「非ず」か ]」と答えた。
智光は、「私は、ぜひとも浄土に生まれたいと願っているのだ。どうして帰ることができようか」と言った。頼光は、「あなたは、浄土に生まれるべき善業(ゼンゴウ)がない。しばらくの間も、ここに留まってはならないのだ」と言った。
智光は、「あなたは、生前何の善業も行わなかったではないか。それが、どうしてここに生まれたのか」と言った。頼光は、「知らなかったのか。私は極楽往生すべき因縁があるからここに生まれたのです。私は昔、多くの経論を開き見て、極楽に生まれ変わることを願ってきました。この事を心に深く願っていたので、物を言うことがなかったのです。四つの威儀(戒律にかなった四種の作法。行・住・坐・臥の四種における正しい振る舞い。)の中で、ただ弥陀如来のお姿と浄土の美しい浄土のさまを観想するばかりで、他に気を散らさず、静かに寝ていたのです。長年のその功徳が積もって、今この地に生まれ変わることができたのです。あなたは、法文を覚えて、その意義と道理を悟って知恵明らかといえども、心は雑念で乱れ、善根は極めて少ない。されば、未だ極楽往生への良い因縁はつくっていないのです」と答えた。
智光はそれを聞いて、泣き悲しんで尋ねた。「それでは、どうすれば、間違いなく往生することができるのでしょうか」と。
頼光は、「その事について、私は答えることができない。されば、阿弥陀仏にお尋ね申しなさい」と言って、すぐに智光を連れて、一緒に仏の御前に詣でた。
智光は阿弥陀仏に向かい奉り、合掌礼拝して「どのような善根を行えば、この地に生まれることができるでしょうか。どうぞそれをお教えください」と申し上げた。
仏は智光に、「仏の姿、浄土の荘厳を観想すべし」とお告げになった。
智光は、「この地の荘厳微妙なることは広大無辺で、私の心や目の及ぶところではありません。私のような凡夫の心では、とても感想など出来るものではありません」と申し上げた。
その時、仏は即座に右手を挙げて、掌(タナゴコロ)の中に小さな浄土を現わされた。それを見た、と思ったところで、智光は夢から覚めた。
智光は、すぐに絵師を呼んで、夢で見た仏の掌の中の小さな浄土の有様を描かせ、一生の間これを観想し続け、智光もまた遂に往生を遂げたのである。
その後、智光の住んでいた僧坊を極楽坊と名付けて、その写し描いた絵像を掛け、その前で念仏を唱え、講会を行うことが今も絶えることなく続いている。
信仰心があるならば、必ず礼拝奉るべき絵像である、
となむ語り伝へたるとや。
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