雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

夢の枕に

2018-10-03 08:12:51 | 新古今和歌集を楽しむ
     かへり来ぬ 昔を今と 思ひ寝の
              夢の枕に にほふ橘


                   作者  式子内親王

( No.240  巻第三 夏歌 )

               かへりこぬ むかしをいまと おもひねの
                          ゆめのまくらに にほふたちばな



* 作者 式子内親王(ショクシナイシンノウ/シキシナイシンノウ)は、後白河天皇の第三皇女。(1149-1201)没年は建仁元年、享年五十三歳。
「新古今和歌集」を代表する女流歌人であり、入撰数は四十九首で女性で最多である。全体では五番目であるが、女性の二番目は、俊成女の二十九首なので、突出しているといえよう。

* 歌意は、「 再び帰ってくることのない 懐かしい昔のことが 今のことにすることが出来ないものかと思いながら寝たが 夢の中の枕元に 橘の香りが切なく匂ってきた 」と訳したが、もっともっと素晴らしい言葉で表現すべき和歌だと思う。

* 式子内親王については、本作品に再三登場していただく予定なので、今回は冒頭の作品が誕生した経緯についてご説明したい。

* この和歌の出典としては、「正治二初度百首」と記載されている。
これは、正治二年(1200)に後鳥羽院の下命によって詠進された歌集を指す。
正治二年の七月ごろに百首詠進の下命があり、九月ごろまでには各人からの詠進が終わり、十一月二十二日に披講されたものである。下命を受けた者は、当然、当時の和歌の上手とされた人たちであったと考えられ、式子内親王のほか、藤原良経、藤原俊成、藤原定家、慈円、寂蓮ら二十二人、後鳥羽院自身も含めた二千三百首が詠進された。
このような催しは数多く行われていたようであるが、この正治二年の後鳥羽院によるものは、特別の意味合いを持つことになった。後鳥羽院は、かねてから和歌に対して格別の思い入れがあったようであるが、この百首詠進を進めるうちに勅撰和歌集の編纂を強く意識するようになり、「新古今和歌集」の誕生につながったようである。

* 後鳥羽院からの詠進の下命を受けた時、式子内親王はすでに五十二歳になっていた。前年から体調を崩していたと伝えられいることから、この百首の詠進は、そうそう簡単な事ではなかったと考えられる。実際に、披講された十一月二十二日から僅か二か月後に崩御しているのである。
そうした背景を合わせてみると、冒頭の和歌は、決して技巧を駆使したといった作品ではなく、最晩年における述懐のように見える。
皇女として生まれ、類まれなる才能に恵まれ、華やかな宮廷歌壇の中心で脚光を浴び続けていたと見える生涯だが、記録を辿ってみると、そうそう平安な日々ではなかったようである。そうしたことを考えると、「匂ってきた橘の香り」とは、果たして何を指しているのかなどと考えると、切なさが尽きない。

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