雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

こけら落とし

2019-12-21 18:35:27 | 日々これ好日

        『 こけら落とし 』

    
 計画段階から 何かと難航した
     新しい 国立競技場 
     無事完成し 今日 こけら落とし
     報道されている限りでは 好評の様子
     オリンピック後の 維持費云々の声もあるが
     ケチなことは考えないで
     新しいランドマークとしての
     積極的な活用を 考えて欲しい

                 ☆☆☆

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神無月

2019-12-21 08:19:45 | 新古今和歌集を楽しむ

     神無月 風に紅葉の 散る時は
             そこはかとなく ものぞ悲しき


                  作者  藤原高光

( No.552  巻第六 冬歌 )
              かみなづき かぜにもみぢの ちるときは
                         そこはかとなく ものぞかなしき



* 作者は、平安時代中期の貴族であるが、若くして出家している。歌人でもある。( 939? - 994 )享年五十六歳位と推定される。

* 歌意は、「 神無月(陰暦十月)の 風で紅葉が散る時は なんということなく もの悲しいものだ 」といったもので、ごくごく平易な意味と思われる。
作者の和歌は、新古今和歌集に6首入集しているが、この和歌が代表歌と考えたわけではない。むしろ、あまりに平易過ぎて、作者の数多くの和歌の中からなぜこの歌を加えたのか疑問を感じるほどなのである。

* 作者の藤原高光(フジワラノタカミツ)は、歴史上の人物、あるいは歌人としては、それほど著名な部類には入るまい。ただ、その足跡は、興味深い魅力を秘めている。
高光の父は、右大臣藤原師輔。この人物は関白・太政大臣を長く務め藤原氏の地位を盤石にした藤原忠平の次男である。そして、師輔も藤原氏内の激しい争いの中を勝ち抜き、その三男兼家(高光の異母兄)の子からは、一条天皇の中宮定子儲けた道隆、同じく中宮となる彰子を儲けた道長を輩出しており、平安王朝文化の絶頂期を築き上げた中心となる家系なのである。

* 高光は八男なので、異母兄たちよりは出世は遅れるとしても、生母は醍醐天皇の第十皇女・雅子内親王であり、洋々たる将来が期待される誕生であった。
実際に、十六歳の頃に従五位下を受け、960年正月(二十一歳?)、右近衛少将に任じられるなど、順調な昇進ぶりであったようだ。
ところが、翌年、妻子を捨てて比叡山の横川で出家してしまうのである。宮廷を牛耳るほどの権力を掌握しつつあった一族の御曹司の突然の出家は、衝撃的な話題になったらしい。

* 二十二歳の頃に出家し、五十六歳で没するまでの間の三十数年間は僧籍の身として過ごしたようである。多武峰(トウノミモ・奈良盆地東南端にある)に庵を結び、多武峰の少将と呼ばれた。また、出家から多武峰に庵を結ぶまでの始末を歌を中心に記した「多武峰少将物語」の作者と考えられている。和歌も、勅撰和歌集に23首入集しており、当時の評価は高かったようである。
さらに、高光は多くの逸話を残しているようだ。たとえば、「 美濃国の高賀山に妖怪が現れたので、朝廷は高光を派遣して退治させた」という話が残されている。この妖怪の名は、『さるとらへび』というもので、頭は猿、体は虎、尾は蛇という物だそうで、この退治に絡んで、高光創建とされる神社が幾つかあるそうだ。
この他にも、「今鏡」など、いくつかの文献にも逸話を残している。

* 当時の貴族の出家には幾つかの形があったようで、僧俗の間を渡り歩いた人物も少なくないようである。高光がどのような生活であったのかはよく分からないが、僧侶として特別な地位にあったとは伝えられていないし、貴族社会で地位を得たという話もない。しかし、真偽はともかく後世に逸話を残し、歌人としての評価も得ていたと思われる。
現在私たちが手にすることのできる情報より、遥かに魅力のある人物だったのかもしれない。

* 高光が出家したのは、父の死去が原因していたというのが通説のようである。
時代は藤原氏、中でも高光の属する北家は存在感を高めており、高光の甥にあたる藤原道隆・道長の頃には平安王朝文化の頂点を築いていくのである。もしかすると、高光もその時代の重要な演出者になる可能性を持っていたのかもしれない。
しかし、同時にそれは、同族間の激しい権力闘争を伴っており、血を分けた兄弟間でさえ粛清していく厳しいものであった。
もしかすると、高光は、自分たち一族が進んでいく方向が見えていて、いち早く、そのような修羅の場から身を引いたのかもしれない、と想像するのである。

     ☆   ☆   ☆

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