桜は各地で満開の季節を迎えています。もちろん、地域によって既に葉桜になりつつある所もあるでしょうし、まだ満開に至っていない所もあるでしょう。
私の住居地は、目下満開という状況です。近隣の決して著名でない公園や、ここかしこにある住居地内の公園などでも、これほど桜の木があったのかと思うほど、見事に咲いてくれています。
美しい花はたくさんあると思いますが、というより、まずほとんどの花は美しいものですが、成長した桜木の満開の姿は、やはり出色といえる絢爛さです。
テレビなどで、桜見物の様子などがよく報道されていますが、外国人観光客の姿も多く、インタビューを受けている外国人のほとんどが感動されているようで、その表情を見ていると何だか嬉しく、誇らしい気持になってしまいます。
ただ、そういった人の中には、桜の美しさ以上に、ござを敷いての宴会風景の方に興味津々という人も多いようです。どのような印象を受けているのか、その方も興味津々です。
別に統計を取っているわけではないのでしょうが、全体的な感想として、花見での宴会は、以前に比べてマナーは良くなっているそうです。名所といわれるような所では、地元の方々による整理や啓蒙のお蔭もあって、ひどすぎる酔客や、桜の木を痛めるような行為は少なくなっているそうです。
さて、桜の花は、満開となれば散るのも早いものです。桜吹雪もとても風情があり素晴らしいものですが、それは満開時以上に短い時間で、気が付けば、葉桜の季節となってしまいます。
新緑の桜も捨てがたい魅力があるのですが、残念ながら、木の下で新緑を愛でながらの宴会風景というのは、なかなかお目にかかれません。第一、木の下にござなど敷いて座り込んだりすれば、毛虫との戦いになってしまう懸念があります。
とはいえ、関東以西においては、後十日もすれば、ソメイヨシノは新緑に染まってしまうことでしょう。
花の季節はあまりにも短く、また来年のお楽しみということなのでしょうが、桜自身はそうではないのではないでしょうか。
桜を種を蒔いて育てたという話はあまり聞きません。特にソメイヨシノはすべて挿し木によって増えていったと聞いています。しかし、ソメイヨシノも含めたすべての桜は、人間どもを喜ばせるために美しい花を咲かせているわけではないはずです。あの絢爛豪華な花も、自らの子孫を残す為の営みの一環だと思うのです。つまり、桜の木にとっては、満開が終わった後こそが、大切な時期ではないでしょうか。
私たちは、特に日本人は、桜を好む大きな要因に、その花の見事な散りぶりを挙げているようです。けれども、桜自身にとっては、満開の花を散らしてしまってからこそが、大切な時期になるのではないでしょうか。
何だか、人間にも当てはまるような気がするのですが。
( 2016.04.06 )