第四章 新しい出会い ( 5 )
公園を出た二人は、美穂子が希望したレストランで食事をした。
その食事の間、美穂子は考え込んでいるように見えた。啓介が話し掛けるといつもの笑顔を見せるのだが、すぐに不安げな様子が窺えた。
その夜はそのまま別れたが、啓介はずっと気に掛っていた。
次の週は決算事務などの関係で夕食を一緒にできなかったが、土曜日に会うことができた。
その日は原宿で待ち合わせた。
美穂子は、煉瓦のような赤系統の深い色のスカートに、淡い蜜柑色の上着という同系色の服装で、仕事の時とはずいぶん違って軽やかに見えた。
駅前に近い辺りで軽食を済ませてから、南参道から入って明治神宮に参った。そのあと南池の辺りを歩き、代々木公園に入った。
そして、少し歩き疲れたこともありベンチを見つけて休んだ時、先週の食事の時元気がなかったことを心配している、と話した。
「ごめんなさい。大切な日の食事なのに・・・。きっと、不愉快な思いをさせてしまいましたのね・・・」
と丁寧な言葉で詫びた。
美穂子は、仕事で接する時は丁寧な言葉を使い、二人で会う時には親しげな言葉を使うように心掛けているようだったが、二人の時にも丁寧な言葉になることが多かった。
「不愉快にはなっていないよ。ただ、少し心配だったんだ。後悔しているのではないかと・・・」
「後悔だなんて・・・。少し恥ずかしかっただけです。だって・・・」
「ああ・・・。怒ってはいなかったんだね?」
「怒っているだなんて・・・。嬉しかったんです、とっても・・・。ただ・・・」
「ただ、どうしたの?」
「ええ・・・、恥ずかしかったこともあるのですが・・・、心配だったんです・・・」
「何が?」
二人は並んでベンチに腰掛けていたが、美穂子は体をねじるようにして啓介を見上げた。
大きな瞳がいつもより静かな光のように見えた。そして、少し体を寄せて、小さな声で言った。
「嫌われないかなって・・・」
「嫌われないかなって、私に?」
美穂子は啓介の顔を見たまま、小さく二、三度頷いた。
「どうして?」
「だって・・・。わたしのこと、嫌いになっていません?」
「どうして・・・。前よりもっと好きになったよ」
「ほんとうですか? 嘘、ついてませんよね・・・」
「嘘なんかじゃないよ。でも、どうして、そんなこと言うの?」
「気になっていたんです」
「だから、何が?」
美穂子はさらに体を寄せて、小さな声で言った。
「キスのこと・・・」
「キスのこと?」
「わたし、男の子みたいだから、うまくキスできたのかどうか・・・、心配だったの・・・」
啓介は、頬を染めながらも真剣な表情の美穂子に、たまらないほどの愛おしさを感じた。昼下がりであることも、人通りの多い公園であることも忘れて、美穂子の背に手を廻して強く抱きしめた。そして、「素敵だったよ。とても素敵だったよ」と繰り返した。
それでもなお不安げな美穂子の表情に、啓介は込み上げてくるような感動を感じていた。
二人は広尾に向かった。今日は啓介の提案で、もう一度チャレンジしようということになったのである。
もう一度チャレンジというのは、美穂子の敵討ちをすることだった。先日と同じ店で食事をするためだったが、もう一度公園に寄ることを二人とも意識していた。
夕食には少し早かったが、先に食事をすることにした。
美穂子は楽しげに振る舞い、「この街に対する恨みもコンプレックスも消えたわ」と笑った。
食事のあと公園に向かった。
公園に行くことはどちらからも話題にしていなかったが、当然のように二人の気持ちは一致していた。
先週より少し遅い時間になっていたが、公園の様子は分かっていたので、真っ直ぐに池に向かいベンチに腰掛けた。
啓介は美穂子の背に手を廻し、キスの意思を伝えた。美穂子は、啓介の顔を真っ直ぐに見つめてから目を閉じた。啓介は唇を合わせ背に廻している手に力を込めて抱き寄せた。美穂子は、されるがままにじっとしていた。
啓介は、唇を離れ、美穂子が目を開くのを待って言った。
「大好きだよ」
美穂子は紅潮した顔に恥ずかしそうな笑顔を浮かべて「わたしも・・・」と小さな声で答えた。
啓介は、もう一方の手を美穂子の胸にそっとあてた。
美穂子の表情は少し動いたが、さらに体を寄せた。啓介の手は服の上からだったが、美穂子の胸の膨らみを捕らえていた。そして、再びくちづけした。
美穂子の胸は激しく脈打ち、啓介の手に伝わっていた。そして、美穂子は、ふさがれている唇を僅かに開いた。
「きっと、うまくやっていける」
啓介は、唇を通して伝わってくる甘い香りに酔いながら、自分自身に語りかけていた。
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二人の交際は深まっていった。
夕食を共にする回数はあまり変わらなかったが、休日には毎週のように逢った。夕食の時は手を取り合うだけで別れることの方が多かったが、休日に逢う時は必ずくちづけし体を寄せ合った。
二人が仕事で会うことも少なくなかったが、そのような時の美穂子はてきぱきとした行動に何の変化もなかった。二人で相談したことではなかったが、仕事の席とプライベートで逢う時とは明快に区別していた。
啓介にとって、すでに美穂子は離すことができない存在になっていた。