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雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

髑髏となるも経を誦す ・ 今昔物語 ( 13 - 10 )

2018-12-18 13:55:02 | 今昔物語拾い読み ・ その3
          髑髏となるも経を誦す ・ 今昔物語 ( 13 - 10 )

今は昔、
春朝(シュンチョウ・出自等不詳)という持経者がいた。日夜に法華経を読誦して、住処を定めずあちらこちらと流浪して、ひたすら法華経を読誦していた。
人を哀れむ心が深く、人が苦しむところを見ると自分の苦しみと思い、人が喜ぶところを見ては自分の楽しみと思う、というような人であった。

ある時、春潮は、京にある東の獄舎、西の獄舎を見て、悲しみ哀れむ心を起こして、「この囚人たちは、罪を犯して刑罰を受けているが、自分は何とかして、彼らのために仏の善根の種を植え付けて、苦しみから救ってやりたい。このまま獄舎で死ねば、後生においても三悪道(サンアクドウ・現世の悪行の報いとして堕ちるとされる、地獄・餓鬼・畜生の三道。)に堕ちることは間違いない。されば、自分はわざと罪を犯して、捕らわれて獄舎に入ろう。そして、心をこめて法華経を誦して罪人たちに聞かせてやろう」と思って、ある高貴な人の家に忍び込んで、金銀の器一組を盗んで、そのままばくち場へ行って双六をして、この金銀の器を見せた。
集まっていた人たちはそれを見て怪しみ、「これは某の殿が、最近紛失した物だ」と言って騒いだ。その噂は自然に広がって、春朝を捕らえて追及すると、盗んだことが分かり獄舎に入れられた。
春朝聖人は獄舎に入れられると喜んで、かねての願いを遂げるために、心をこめて法華経を誦して、罪人たちに聞かせた。
その声を聞いた多くの罪人たちは、皆涙を流して、頭を垂れて、尊ぶこと限りなかった。春朝は喜んで、日夜誦し続けた。

ところが、これを知った上皇や女院、あるいは皇族の方々から検非違使庁の長官に書簡を送って、「春朝なる者は、長年の法華経の持者である。決して、拷問などしてはならない」と伝えた。
また、検非違使庁長官の夢を見た。
普賢菩薩が白象(ビャクゾウ・普賢菩薩の乗物で、六本の牙を持っている。)に乗り光を放って、飯を鉢に入れて捧げ持って獄舎の門の前に立っておられる。ある人が、「何ゆえに立っているのですか」と尋ねると、「法華の持者である春朝が獄舎にいるので、それに与えるために、私は毎日このように持ってきているのだ」と仰せられた。
というもので、ここで夢から覚めた。
その後、長官は大いに驚き恐れて、春朝を獄舎から出した。
このようにして、春朝は獄舎に入ること五、六度に及んだが、いつも決して罪科を糾明されることはなかった。

そうした時、またまた罪を犯すことがあり、また春朝を逮捕した。その時、検非違使たちは庁舎に集まって相談の結果、「春朝は大変罪重い者であるが、捕らえるたびごとに処罰されずに放免されている。そのため、好き勝手に人の物を盗み取っている。この度は、最も重い刑罰に処すべきである。されば、彼の両足を切って、徒人(イタズラビト・役に立たない人)にすべきである」と決定して、役人たちは春朝を右近の馬場の辺りに連れて行き、二本の足を切ろうとすると、春朝は声高く法華経を誦した。
役人たちはそれを聞くと、涙を流して尊ぶこと限りなかった。そして、春朝を放免した。
すると、検非違使庁長官は、また夢を見た。
気高くて端正美麗な童子が、髪を鬟(ミズラ)に結い束帯姿で現れ、長官に告げた。「春朝聖人は獄舎の罪人を救わんがために、故意に罪を犯して、七度獄舎に入った。これは仏の方便のようなものである」と。
そこで、夢から覚めた。その後、長官は、ますます恐れたのである。

その後、春朝は宿る住処もなく、一乗の馬出(ウマダシ・馬場で馬を乗り出す場所)の家のもとで亡くなった。髑髏(ドクロ)はその辺りに放置されたままで、取り片づける人もいない。
その後、その辺りの人には、夜ごとに法華経を誦する声が聞こえた。その辺りの人は、それを聞いて尊ぶこと限りなかった。しかし、誰が誦しているのか分からず、不思議に思っていたが、ある聖人がやって来て、この髑髏を拾い、深い山に持って行って安置した。それから後は、その経を誦する声は聞こえなくなった。そこで、その辺りの人は、あれは髑髏が経を誦していたということを知ったのである。

当時の人々は、春朝聖人は、ただ人ではなく、権化(ゴンゲ・神仏が衆生を救うために仮の姿で出現すること。)の人である、と言っていた、
となむ語り伝へたるとや。

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願を果たす ・ 今昔物語 ( 13 - 11 )

2018-12-18 12:58:52 | 今昔物語拾い読み ・ その3
          願を果たす ・ 今昔物語 ( 13 - 11 )

今は昔、
一叡(イチエイ・出自不詳)という持経者(ジキョウシャ・常に経典を所持し読誦信奉する者。特に法華経の信奉者を指す。)がいた。幼い時から、法華経を受持し、日夜に読誦して長年を経た。
そうした時、一叡は帰依する心が起こり、熊野参詣に出たが、宍の背山(シシノセヤマ・和歌山県内)という所で野宿することになった。
夜になって、法華経を読誦する声が微かに聞こえてきた。その声は尊いことこの上なかった。「もしかすると、他にも誰かが野宿しているのだろうか」と思って、一晩中これを聞いていた。
明け方になり、法華経一部を誦し終わった。明るくなってからその辺りを見てみたが、野宿しているような人はいない。ただ、死骸(シカバネ)が一つあった。
近くに寄ってそれを見ると、骨はみな連なっていて離れていない。死骸の上には苔が生え、長い年月が経っているように思われた。髑髏(ドクロ)を見ると、口の中に舌がある。その舌は鮮やかにして生きている舌のようである。
一叡はこれを見て、「不思議なことだ」と思い、「さては、夜に経を読誦していたのはこの死骸だったのか。いかなる人がここで亡くなり、このように読誦するのだろう」と思うにつけ、哀れで尊くて、涙を流して礼拝し、この経の声をもう一度聞くために、[ 欠字あり。「その」か。]日はその場所に留まった。その夜、また聞いていると、昨夜のように経を誦した。

夜が明けてから、一叡は死骸の近くに寄って、手を合わせて、「死骸であるとはいえ、現に法華経を読誦し奉った。ということは、お心はあるはずです。私はその事情をお聞きしたいと思います。ぜひ、それをお示しください」とお願いして、その夜もまた、それを聞くためにその場所に留まった。
すると、その夜の夢に、一人の僧が現れて、こう言った。「私は、比叡山東塔の住僧で、名を円善(エンゼン)といいます。仏道を修行してるうちに、この場所に来て、思いがけず死んでしまいました。生きていた時に、六万部の法華経を読誦するという願を立てていましたが、半分を読誦し終わりましたが、あと半分を読誦することなく死んでしまいました。そこで、それを誦し終わらせるために、ここに住んでいるのです。すでに誦し終わろうとしています。残りはいくらでもありません。今年だけはここに住むことになります。その後には、兜率天(トソツテン・天上界の一つで、内院は弥勒菩薩の浄土。)の内院に生まれて慈氏尊(ジシソン・弥勒菩薩)にお会いしようと思っています」と。
そこで一叡は夢から覚めた。

その後、一叡は死骸を礼拝し、その場所を立って熊野に参詣した。
その翌年、その場所に行って死骸を探してみたが、どうしても見つからなかった。又、その場所で野宿をしたが、読経の声も聞こえなかった。
そこで一叡は、「夢のお告げのように、兜率天にお生まれになったのだ」と知って、泣きながらその跡を礼拝して帰って行った。
その後、この事が広く世間に語り伝えられたが、それを聞き継いで、
語り伝へたるとや。

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修行が無となる ・ 今昔物語 ( 13 - 12 )

2018-12-18 12:57:50 | 今昔物語拾い読み ・ その3
          修行が無となる ・ 今昔物語 ( 13 - 12 )

今は昔、
京の東山に長楽寺という寺があった。
そこに仏道修行をする僧がいた。花を摘んで仏に奉るために、山深く入って、峰々谷々を歩くうちに、日が暮れてしまった。そこで、とある樹木の下で野宿することにした。
亥の時(午後十時頃)の頃から、宿りしている木の側で、細く微かな尊い声で、法華経を読誦しているのが聞こえてきた。僧は、「不思議なことだ」と思いながら一晩中聞いていたが、「昼間はこの場所に人はいなかった。仙人でもいるのだろうか」と思うと不審であったが、尊いことだと聞いているうちに、ようやく夜も明けてきたので、この声がする方角にしだいに歩いて行くと、地面より少し高くなっているものが見えた。

「何者がいるのだろうか」と見ているうちに、辺りはすっかり明るくなった。見れば、それは巌(イワオ・岩)で、苔蒸していて茨が生いかぶさっていた。「さて、あの経を誦していた声はどこから聞こえてきたのか」と不思議に思って、「もしかすると、この巌に仙人が座って経を誦していたのではないか」と考え、まことに尊く思い、しばらく見守っていると、にわかにその巌が動く気配がすると高くなった。
「不思議だ」と見ていると、その巌は人の姿になり、立って走り出そうとした。見ると、年が六十ばかりの女法師である。立ち上がるにつれて、茨はばらばらになって切れてしまった。

僧はこれを見て、恐る恐る、「これはいったい何事でしょうか」と聞くと、その女法師は泣きながら答えた。「私は、長い年月の間この場所にいますが、これまで愛欲の心を起こしたことはありません。ところが、たった今、あなたが来るのを見て、『あれは男か』と思ったとたんに、本の姿になってしまったことは悲しい限りです。人間の身ほど罪深いものはありません。この上は、これまで過ぎ去った年月より、さらに長い年月をかけて本のようにならねばなりません」と言うと、泣き悲しんで、山の奥深くに向かって歩いて行った。

この話は、その僧が長楽寺に帰ってきて語ったのを、その僧の弟子が聞いて世間に語り伝えたものである。
これを聞くに、入定(ニュウジョウ・禅定に入ること。禅定とは、精神を統一して、静かに真理を観想すること。)の尼でさえこのようなのである。ましてや、世間の女はどれほど罪深いものであるか思いやることが出来よう、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆


* 女性蔑視的な結論であるが、古い時代の仏教は、男尊女卑的な考えがあったので、念の為。

     ☆   ☆   ☆
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閻魔王の仰せを受ける ・ 今昔物語 ( 13 - 13 )

2018-12-18 12:56:44 | 今昔物語拾い読み ・ その3
          閻魔王の仰せを受ける ・ 今昔物語 ( 13 - 13 )

今は昔、
出羽の国に竜花寺(リュウゲジ・所在不詳)という寺があった。その寺に妙達和尚(ミョウタツカショウ・伝不祥)という僧が住んでいた。その寺の住職であったようだ。生活態度は清らかで、心は正直であった。また、常に法華経を読誦して長い年月が経っていた。

さて、天暦九年(955)という年に、特に病気ということではなかったが、手に経を持ったまま突然死んでしまった。ところが、日次(ヒナミ・お日柄)が良くないということで、弟子たちはそれを忌みて七日の間葬儀をしなかった。
すると、七日目によみがえって、弟子たちにこう話した。
「私は死んで閻魔王の宮殿に行き着いた。閻魔王は玉座よりお下りになって、私を礼拝してから、『寿命が尽きていない者はここに来てはならない。お前は未だ寿命は尽きていないが、わしはお前を呼んだのだ。そのわけは、お前はひたすら法華経を信奉して、濁世(ジョクセ・濁って汚れた世界。人間界。現世。)において仏法を護る人だと見ている。それで、わしはお前に直接、日本国中の衆生の行う善悪のことを説き聞かせよう。お前は忘れずにもとの国に帰り、よく善を勧め悪を止めさせて、衆生を救うように』と仰せられて、私を帰してよこしたのである」と。

このことを聞いた人は、多くが悪心を止めて出家入道した。あるいは、仏像を造り、経巻を写し、あるいは塔を立て堂舎を造る者が限りなかった。
妙達和尚は、その在世中は法華経を読誦することを怠ることがなかった。
遂に命終る時に臨み、手に香炉を取り仏を廻り奉って、礼拝すること百八へん、その後、顔を地につけて合掌して亡くなった。
必ず極楽に生まれる人だ、
となむ語り伝へたるとや。

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法華経ひとすじ ・ 今昔物語 ( 13 - 14 )

2018-12-18 12:55:47 | 今昔物語拾い読み ・ その3
          法華経ひとすじ ・ 今昔物語 ( 13 - 14 )

今は昔、
加賀の国に翁和尚(オキナカショウ・伝不祥)という者がいた。心が正直で、永く諂曲(テンゴク・自分の心をまげて、人にこびへつらうこと)と無縁であった。日夜、寝ても覚めても法華経を読誦して余念を抱くことがなかった。俗人の姿をしていたが、所業は尊い僧と変わらなかった。それで、その国の人は彼のことを翁和尚と名付けていた。

衣食を得る手立てがなくて、人の布施に頼っているので、常に貧しいこと限りなかった。
もし、食べ物が手に入った時には、すぐに山寺に持って行き、それを食料として籠って、法華経を読誦した。食べ物がなくなると、里に出て行って住んだが、経を読むことを怠ることがなかった。
このようにして十余年が過ぎたが、その貧しさは塵ほどの貯えもなかった。持っている物といえば、ただ法華経一部だけであった。そして、山寺と里を往復して、住処も定まっていない。

このように、和尚は法華経を少しのひまもなく読誦していたが、心の中で、「私は長年法華経を信奉し奉ってきた。現世の幸せを願ってではない。ひとえに後世の菩提のためである。もしこの願いが叶うのであれば、その霊験をお示しください」と請い願った。
すると、ある時、経を誦していると、口の中から歯が一つ欠けて経文の上に落ちた。驚いて手にしてみると、歯が欠けたのではなく、一粒の仏の舎利(シャリ・火葬にした遺骨)であった。これを見て、和尚は涙を流して喜び尊んで、安置して礼拝した。その後、また経を誦している時に、前のように、口の中から舎利で出ること二度三度に及んだ。
そこで、和尚は大いに喜び、「これはひとえに、法華経読誦の力によって、私が菩提を得るべき瑞相(ズイソウ・不思議な前兆)なのだ」と知って、いよいよ怠ることなく読誦を勤めた。

こうして、ついに最期の時に臨んで、和尚は往生寺(オウジョウジ・所在不詳)という寺に行って、木の下に一人座り、身体に苦痛を覚えることなく、心を乱すこともなく、法華経を誦し続けた。命が終わる時には、寿量品の偈の終わりの「毎自作是念 以何令衆生 得入無上道 速成就仏身」(「マイジサゼネン イカリョウシュジョウ トクニュウムジョウドウ ソクジョウジュブッシン」・・「仏は常に自ら念じている いかにして衆生を 無常の悟りの道に導き 速やかに成仏させたいものだ、と」といった意味。)という所を誦していて、心静かに世を去ったのである。
これを見聞きした人は、「この和尚は、ひとえに法華経を長年読誦してきた力によって、浄土に往生された人である」と言い合った。

されば、たとえ出家者でなくても、ただ心のおもむくままに法華経を読誦すべきである、
となむ語り伝へたるとや。

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兜率天に昇る ・ 今昔物語 ( 13 - 15 )

2018-12-18 12:54:59 | 今昔物語拾い読み ・ その3
          兜率天に昇る ・ 今昔物語 ( 13 - 15 )

今は昔、
東大寺に仁鏡(ニンキョウ・伝不祥)という僧がいた。その父母は、はじめ寺の近くに住んでいたが、子がいなかったので子を授かりたいと請い願って、その寺の鎮守(チンジュ・寺の境内に勧請した守護神。)に祈請して、「もし私が男子を儲けることが出来れば、その子を僧にして仏の道を学ばせます」といった。
その後、程なく妻は懐妊して生まれた子が仁鏡である。

仁鏡が九歳になると、父は自分が願を立てたように、寺の僧について仏道を学ばせた。
最初は法華経の観音品を習ったが、習うと共に習得してゆき、すぐに全巻を習い終った。そこで、その他の経典に移り法文を学んだが、それも皆習得してしまった。また、戒律を守って破るようなことはなかった。また、深山に籠って一夏(イチゲ・九十日間一定の場所に集まって修行する。安居とも。)の勤めを行うこと十余度に及んだ。
このようにして八十歳となり、もはやいくらも生きられない。そこで、「清浄な地を探して、最後の住処にしよう。愛宕山(アタゴヤマ・京都市北西部。東北部の比叡山と対峙して、王都鎮護の聖地。)は地蔵菩薩・竜樹菩薩がおいでになる所だ。震旦(シンタン・中国)の五薹山(ゴダイサン・信仰の聖地)と同じだ。されば、そこを最後の場所にしよう」と思って、愛宕山に行き、大鷲の峰という所に住みついた。日夜に法華経を読誦して、六時(ロクジ・・僧が念仏・読経などの勤行をする時刻。具体的には、午前六時から四時間ずつ、晨朝(ジンチョウ)・日中・日没・初夜・中夜・後夜とし、その総称。)に懺法(センポウ・六根の罪過を懺悔する修法)を行った。

その間、衣服を求めることなく食べ物も選ぶことがなかった。破れた紙衣(カミギヌ・紙製の衣服。紙子。)と目の荒い布の衣を着ていた。あるいは、破れた蓑をかぶり、あるいは鹿の皮を身にまとっていた。
人に見られても恥じることはない。寒さを忍び暑さに堪えて、その日の食事を気にすることもない。粥一杯だけで、二、三日を過ごすこともある。
ある時には、夢の中に師子(シシ・獅子のこと。獅子は文殊菩薩の乗物。)が現れて[ 欠字あり。不明 ]近付いてきた。ある時には、夢の中に白象(ビャクゾウ・白象は普賢菩薩の乗物。)が現れて、彼に仕える[ 欠字あり。不明 ]。「これは、きっと普賢菩薩・文殊菩薩がお護りくださっているのだ」と思った。
このように修行を続けているうちに、遂に百二十七歳にして、心乱れることなく法華経を誦しながら亡くなった。

それから後のこと、その場所に一人の老僧が住んでいた。その老僧が夢の中で、亡き仁鏡聖人が手に法華経を捧げ、虚空に昇って、「私は今、兜率天(トソツテン・極楽の一つで、内院は弥勒の浄土)の内院に生まれて、弥勒菩薩にお会いしようとしているのである」と告げて空に昇って行った、という夢を見た。

これを聞く人は皆尊んだ、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆


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愚鈍なれど ・ 今昔物語 ( 13 - 16 )

2018-12-18 12:53:35 | 今昔物語拾い読み ・ その3
          愚鈍なれど ・ 今昔物語 ( 13 - 16 )

今は昔、
比叡山の東塔にある千手院という所に、光日(コウニチ・伝不祥)という僧が住んでいた。
幼くして比叡山に登り出家して、師について法華経を習おうとしたが、愚痴(グチ・本来は、「煩悩に惑わされて理非を悟らないこと」という仏教語であるが、ここでは単純に、「あまり賢くない」といった意味か。)にして習得することが出来なかった。
そこで、三宝(サンポウ・「仏・法・僧」の総称であるが、ここでは単純に「仏に祈願した」程度の意味か。)に強く祈請して、何とか一部を習得することが出来た。その後、梅谷という所に籠居して、長年にわたり法華経を読誦して、ひたすら仏道を修業した。そうしているうちに、霊験あらたかなことがしばしば起こるので、しだいに評判が高くなった。
その評判が、中関白(ナカノカンパク・藤原道隆)殿の北の政所(キタノマンドコロ・正妻貴子)がこの光日聖人に帰依なさって、毎日の供え物や衣服をお与えになった。

やがて、光日聖人は老境に臨んで、愛宕護の山に移り住んだ。そこで日夜に法華経を読誦して修業を怠ることがなかった。そして、かねての宿願を果たすべく八幡宮(石清水八幡宮)に参詣した。社前において、夜、法華経を読誦していると、その傍らに一人の人がいたが、その人が夢の中で、「社殿の中から天童が八人出てきて、その人の側で経を誦している僧を礼拝して、香をたき花を散らして舞い遊んでいる。また、社殿の中から声が聞こえてきて、『如是聖者 必定作仏 昼夜光明 冥途耀日 』 (ニョゼショウジャ ヒツジョウサブツ チュウヤコウミョウ メイドヨウニチ・・「このような聖者は 必ず成仏して 昼も夜も光を放ち 冥途に輝く日となるであろう」といった意味。)と申された」と見たところで目が覚めた。
その人が我に返って見てみると、その僧が傍らで法華経を誦している。その人は、僧に夢のことを話して礼拝した。
光日もこれを聞いて、涙を流して礼拝し、愛宕護に帰って行った。

その後、さらに年齢を重ね、いよいよ命が終わろうとする時に臨み、完全に法華経一部を誦し終わってから世を去った。
これを思うに、光日聖人は必ず浄土に往生を遂げた人だ、
となむ語り伝へたるとや。

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毒蛇に襲われる ・ 今昔物語 ( 13 - 17 )

2018-12-18 12:52:43 | 今昔物語拾い読み ・ その3
          毒蛇に襲われる ・ 今昔物語 ( 13 - 17 )

今は昔、
雲浄(ウンジョウ・伝不祥)という持経者(ジキョウシャ・常に経を信奉し読誦する僧)がいた。若い時から長年にわたり、日夜に法華経を読誦し続けていた。

ある時、「諸国を廻って、あちらこちらの霊場を拝もう」と思い立って、熊野に詣でることになったが、志摩の国を過ぎる途中で日が暮れてしまい、あいにく泊まる所がない。見渡すと、大海に面して高い崖があり、そこに大きな洞穴があった。
その洞穴に入って宿ることにした。そこは人里を遠く離れた場所で、洞穴のある崖の上には、多くの木がすき間なく生い茂っている。
雲浄は洞穴の中に座り、一心に法華経を誦した。洞穴の中は、非常に生臭かった。それで、その臭いが気味悪いと思っていると、夜半頃に微かな風が吹いてきて、どうも様子がおかしい。生臭い臭いがますます強くなる。
雲浄はとても怖ろしくなったが、すぐに逃げ出すことも出来ない。全くの暗闇で、東西を見分けることも出来ない。ただ、大海原の波の音だけが聞こえてくるだけである。

その時、洞穴の上の方から何か大きな者がやって来た。驚き怪しみながらよく見ると、大きな毒蛇であった。それが、洞穴の入り口まで来て、雲浄を呑もうとしていた。雲浄はそれを見て、「私は今ここで毒蛇のために命を落とそうとしている。だが、私は法華経の力によって、悪趣(悪道。地獄・餓鬼・畜生の三道を指す。)に 堕ちることなく浄土に生まれたいものだ」と思って、心をこめて法華経を誦した。すると、毒蛇はたちまちのうちに見えなくなった。その後、雨が降り風が吹き、稲光が光って、崖の上の山は洪水となった。しばらくすると、雨は止み、空が晴れ上がった。

すると、その時、一人の男が現れ、洞穴の入り口から入ってきて、雲浄に向かい合って座った。
それが誰なのか分からず、人がやって来るはずもないのに来たのだから、「これは、きっと鬼神か何かなのだろう」と思ったが、暗くてその姿はよく見えない。ますます怖ろしく思っていると、その人が雲浄に礼拝して言った。「私は、この洞穴に住んでいて、生き物を殺し、ここにやって来る人を食って、すでに長い年月が経った。今もまた、聖人を呑み込もうとしたのですが、聖人が法華経を誦するのを聞いて、たちまちその悪心が消えて、善心に立ち返りました。今夜の大雨や雷は本当の雨ではありません。私の二つの眼から流れ出た涙なのです。罪業を消し去るために、懺悔の涙を流したのです。これからは、私は決して悪心を起こすことはありません」というと、掻き消すように姿を消した。

雲浄は、毒蛇の難を逃れて、ますます心をこめて法華経を誦して、あの毒蛇のために回向した。毒蛇もきっとこれを聞いて、善心を起こしたことであろう。
夜が明けると、雲浄はその洞穴を発って熊野に参詣した。その夜の雨風や雷電は、その洞穴の外には全く何の気配もなかった。

これを思うに、このような、様子の分からない所に宿ってはならないのだ。雲浄が語ったのを聞いて、
語り伝へたるとや。

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祈り続ける ・ 今昔物語 ( 13 - 18 )       

2018-12-18 12:51:51 | 今昔物語拾い読み ・ その3
          祈り続ける ・ 今昔物語 ( 13 - 18 )

今は昔、
信濃の国に両目とも見えない僧がいた。名を妙昭(ミョウショウ・伝不祥)という。盲目(メシイ)ではあるが、日夜に法華経を読誦した。
さて、この妙昭が七月十五日(この日は夏安居が終わる日。四月十六日から三か月間、一定の場所に集まって修行した。)に金鼓(コング・金属製の鉦鼓。僧が布教や法会の際に用いる楽器。)を打つために外に出て行ったが、深い山に迷い込んでしまい、ある山寺に辿り着いた。
その寺に一人の住持の僧がいた。住持はこの盲目の僧を見て哀れんで、「お前さんはどうしてこんな所に来たのか」と尋ねた。盲目の僧は、「今日、金鼓を打つために、ただ足にまかせて歩いているうちに迷ってここに来てしまったのです」と答えた。住持は、「お前さんは、この寺にしばらく居りなされ。私は用事があって、今から里に出て、明日帰って来る。私が帰ってきてから、お前さんを里に送りつけてやろう。もしその前に一人で出て行くと、また迷ってしまうからな」と言って、米を少し預けておいて出て行った。

その寺には他に人がいないので、盲目の僧一人っきりで寺に留まって住持を待っていたが、翌日になっても帰って来なかった。
「里でやむを得ない用事が出来て逗留したのであろう」と思って過ごしていたが、五日経っても帰って来ない。置いていった少しばかりの米は尽きてしまい、食べる物がない。それでも、「そのうちに帰って来るだろう」と思って待っていたが、三か月経っても帰って来ない。
盲目の僧はなすすべもなく、ただ法華経を読誦して仏前に座り、手探りで果物のなる木の葉を探り取って、それを食べて過ごしていたが、とうとう十一月になってしまった。大変寒い。雪が高く降り積もり、外に出て木の葉を探り取ることも出来なくなった。
飢え死にしてしまうと嘆きながら、仏前にて経を誦していると、夢のように一人の人が現れて、「汝、嘆くことなかれ。我が汝を助けてやろう」と言って、果物を与えてくれた、と思ったところで我に返った。

その後、にわかに大風が吹いて、大木が倒れたらしい音が聞こえた。盲目の僧は、ますます怖ろしくなって、一心に仏を念じ奉った。
風が止んだ後、盲目の僧は庭に出て手探りしてみると、梨の木と柿の木が倒れていた。大きな梨や柿を手探りでたくさん取ったようだ。これを取って食べてみると、その味は極めて甘く、一、二個食べただけで飢えの心は消えてしまい、それ以上何かを食べたいという気持ちがなくなった。
「これは、ひとえに法華経の霊験に違いない」と思い、その柿や梨をたくさん探り取って置いて日々の食事とし、倒れた木の枝を折り取って、それを燃やして冬の寒さを堪えて過ごした。

やがて年が明けて、春二月の頃にもなったと思われる頃、里の人たちがこの山に用があってやってきた。
盲目の僧は、「人がやって来た」と嬉しく思っていると、里人たちは盲目の僧を見て、「あなたはいったい何者ですか。どうしてここにおいでなのですか」と怪しんで尋ねると、盲目の僧はこれまでの事を漏らさず話し、住持の僧のことを尋ねると、里人たちは、「その住持の僧は、去年の七月十六日に里において急に亡くなった」と答えた。
盲目の僧はそれを聞いて、泣き悲しんで、「私はその事を知らずに、何か月も帰って来ないことを恨んでいました」と言って、里人と共に里に出て行った。

その後も、一心に法華経を読誦し続けた。
そうした時、病に苦しんでいる人がいて、この盲目の僧を招いて経を読誦させて聞くと、病はたちまち治った。そのため、多くの人が盲目の僧に深く帰依するようになった。
やがて、この盲目の僧はいつしか両目が見えるようになった。「これはひとえに法華経の霊験の為すところである」と喜び、あの山寺にも常に詣でて、仏を礼拝恭敬し奉った、
となむ語り伝へたるとや。

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瑞相が現れる ・ 今昔物語 ( 13 - 19 )

2018-12-18 12:50:24 | 今昔物語拾い読み ・ その3
          瑞相が現れる ・ 今昔物語 ( 13 - 19 )

今は昔、
平願(ビョウガン・伝不祥)持経者という僧がいた。書写山(ショシャヤマ・兵庫県)の性空(ショウクウ・・平安時代の僧。花山法王・和泉式部・藤原道長などと親交・帰依があった。)の弟子である。
聖人が亡くなった後も、書写山に籠って、長年にわたって法華経を読誦し続けた。

ある時、大風がにわかに吹いてきて、平願の僧房を吹き倒してしまった。平願はその建物の中にいて、圧し潰されて死にそうになったが、その時、平願は一心に法華経を誦して、「助け給え」と祈ると、誰とも分からぬ強力の人が現れて、、倒れた僧坊の中から平願を引っ張り出して、「汝は前世の報いによって、このように押し潰されたのだが、法華経の力によって命を永らえることが出来たのだ。恨みの心を起こすことなく、さらに法華経を読誦せよ。この世において前世の報いを消し去って、来世には極楽に往生するよう願うべし」と教えると、掻き消すように姿を消した。
その人は気高い姿であったが、どうしても誰とは分からなかった。その後も平願の身体に痛む所はなかった。「これはひとえに法華経を読誦するゆえに、護法神がお護りくださったのだ」と知って、尊く思い喜ぶこと限りなかった。

平願はいつしか老いて、心に思うことは、「私のこの世での一生はいつしか過ぎて、次の世に行くのは間もないことだ。今、善根を積んでおかなくては、悪趣(悪道。地獄・餓鬼・畜生の三道を指す。)に堕ちるの違いない」と嘆き悲しんで、衣鉢(エハツ・衣と鉢という意味で、僧にとっての全財産を指す。)を投げ棄てて仏事を営んだ。
法華経を書写し、仏・菩薩の像を描き、広い川原に仮小屋を建てて、無遮の法会(ムシャノホウエ・・聖俗・貴賤・男女・老若などの差別なく営む法会)を行った。その供養の後、朝座、夕座の講会を行い、講師に説法を行わせた。また、朝暮に念仏を唱え、懺法(センポウ・六根の罪過を懺悔する修法)を行った。
このように善根を積み、自ら誓いを立てた。「私は、法華経を信奉して長年過ごしてきました。もし、そのお力によって極楽に生まれることが出来るならば、今日の善根に対して何か瑞(シルシ)をお示しください」と、涙を流して誓いを立て、礼拝してその場所から立ち去った。

明くる日、ある人が昨日法会が行われた川原に行ってみると、白い蓮華がその辺り一面に咲き乱れていた。それを見て、涙を流して尊んだ。これを伝え聞いて、集まってきた人々も尊び礼拝すること限りなかった。そして、人々は、「これは、平願聖人が極楽往生なさる瑞相に違いない」と言い合った。
平願もまたこれを聞いて、その場所にやって来て、喜び感激して、泣きながら礼拝して帰って行った。
その後、いよいよ年老いて、遂に臨終という時、身に痛む所はなく、何の余念を抱くことなく法華経を読誦して、西に向かって合掌して息絶えた。瑞相の如く、きっと極楽に往生した人であろう、と人々は言い合った。

これはひとえに、法華経のお力によるものだ、
となむ語り伝へたるとや。

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