田熊みうま会 尾道市因島から発信中

昭和40年度生まれで 田熊小学校・田熊中学校に通った人のブログ

2回目ワクチン接種

2021年08月04日 | 令和3年因島・田熊・仲間の話題
8月2日09:35、2回目の新型コロナワクチンの接種を受けました。
2回目は副反応が強く出る場合があること以外、基本的な説明は前回とほぼ一緒でした。1回目(7月12日)はいつ針を刺したかわからないくらいでしたが、今回はちょっとチクっと感じました。
14;00頃、注射部の痛みが出てきました。これは前回と同じ。晩酌は湿らせる程度で(笑)。寝るころになると膝や足首の関節痛。風邪をひいたときにたまに”なる痛だるい”感じです。
翌8月3日も同様に関節の違和感はありましたが、倦怠感というほどでもありませんでした。しかし23:00頃になると悪寒を感じ熱を測ったら37.4度の微熱。寒いので厚着をして布団をかぶって就寝。明け方には平熱に。
8月4日注射部の痛みは多少ありますが、他は特に感じません。一応副反応は脱したかも。
管理人は取り合えずこんな感じです。。。
みなさんはいかがですか。

写真は接種当日の因島総合支所、土生水道、竹島城跡(本文とは関係ありません)





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刑事コロンボ

2021年07月29日 | 令和3年因島・田熊・仲間の話題

昔テレビのナントカロードショーで何度か観た程度でしたが、NHKBSで再放送があったので、第29作から見始めました。そして昨晩最終話の第68作が放送されました。29作目が1979年、68作目が2003年の作品で、因みに第1作は1968年の作品ですから随分長く続いた作品です。日本の寅さんなみですね。
最初に犯人が殺人を犯し、それをコロンボが追い詰める倒叙物ですが、主役コロンボ(ピーター・フォークさん)の「ウチのカミさんがね」「よござんすか」「それからもう一つだけ質問」などのコミカルな台詞が、声優の小池朝雄さん(後、石田太郎さん、銀河万丈さん)とマッチして独特の世界観を形成する殺人がテーマの刑事ものなのに楽しい作品でした。
日本の古畑任三郎に通ずるものがありますね。前述の台詞も翻訳の妙を感じます。
70年代前後と言えば、アメリカがまだまだ勢いを保っていた頃で、犯人が地位や名声のある人物ということもあって、アメリカを象徴するような「ムダ」「派手」「巨大」を地で行くような場面も時代を感じさせます。後には、ファクス、自動車電話、ポケベル、携帯電話、パソコンなども登場してきます。
かつては1年に複数作が作られていましたが、回を重ねるとピーター・フォークの年齢もあってか次第に製作の間隔が長くなっていきました。この辺は、日本の高橋英樹さんや伊東四朗さんも同様ですね。見始めたころは52歳くらいだった彼が最終話では76歳で、すっかり白髪となり、よれよれのコートがさらに似合うクタビレ感を感じました。
因みにピーター・フォークさん2011年に鬼籍に入られましたので、生涯の多くでコロンボを演じました。
”うちのカミさん”も「最初から犯人が判っとるドラマってどうなん?」とか言いながら最後まで視聴に付き合ってくれました(笑)
今更ながら「お疲れ様でしたコロンボ警部」

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公衆電話が設置されました(旧田熊中学校)

2021年07月13日 | 令和3年因島・田熊・仲間の話題

尾道市因島総合福祉保健センター「はっさく交流館」(旧田熊中学校)に公衆電話ボックスが設置され、今日から利用が可能となりました。特にセレモニーはなかったみたいです笑
今までなかったのも不思議な気もしますが、それだけ携帯電話の普及が背景にあるのでしょう。しかし避難所に指定されていますし一応あった方が良いですよね。
先日の豪雨の時は前の道路を濁流が襲いましたので少々心配。。

因島総合福祉保健センター(旧田熊中学校)平成30年3月24日記事
田熊中学校の中庭今昔 平成28年12月7日記事
旧田熊中学校が因島統合福祉センター(仮称)へ 平成28年3月29日記事
ここらで田熊中学校の画像も 平成26年11月29日記事
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マサくんとこでジョージに会う

2021年07月13日 | 令和3年因島・田熊・仲間の話題
ちょっと用事でマサくんとこへ。店に入るとジョージが丁度男前になったところでした。店の外で暫く雑談。
「最近あっちこっち"うとうて"きてねぇ」
「そりゃみんな一緒よ。そろそろ"替えの部品が無い"いわれる年齢じゃ」
痩せたじゃ太ったじゃ、検査の結果がどうやらじゃとおしゃべり。。。

マスク姿ですが一応加工しています。背景はマサくんの店の入り口です。
素顔はコチラからパスワードを入力してご覧ください。

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第1回ワクチン接種

2021年07月12日 | 令和3年因島・田熊・仲間の話題
新型コロナウイルスワクチンをかかりつけ医で接種しました。朝9時10分「問診票」「クーポン券(接種券)」「おくすり手帳」「保険証」の4点セットを懐に受付に。少し待って先生の問診、9時30分に接種、15分間待機して無罪放免という流れ。
待機中に副反応について看護師さんが説明してくれました。腕の痛みや発熱は大抵2~3日以内で収まるので解熱剤(痛み止め)を持っていればそれを服用(ロキソニンやカロナールみたいなやつ。なければ処方してくれます)。我慢できんかったら来院してくださいとのこと。風呂は入っても良いが接種部をこすらないことなど、インフルエンザのワクチンと同様ですかね。
管理人「アルコールは?」
看護師「副反応が強く出る可能性があるので控えた方が良いです」
聞くんじゃなかった。。
たまたま取引先の従業員さんと一緒だったので退屈しませんでした。自治体によって差はあるようですが周りに接種又は接種予定の人が増えてきました。

今日の土生商店街(本文とは関係ありません)
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尾道市全域に避難指示(豪雨)

2021年07月08日 | 令和3年因島・田熊・仲間の話題
夜中から降り続いた記録的な量の雨により、尾道市全域に避難指示が発表される事態となりました。因島大橋や生口橋も通行止めになるなど通勤や物流にも影響が出ています(18時30分ころ解除)。管理人は中庄に配達に出かけて渋滞に巻き込まれました。
平成30年の7月豪雨や平成28年6月の被害を思い出しました。
みうま会のグルーブラインでもご心配、励ましのコメントや各種情報を寄せていただきありがとうございました。
寄せられた画像や動画をアップさせて頂きます。
これ以上被害が拡大しないことを祈念します。

エリちゃん提供の動画(youtube28秒)
中区長沢の濁流

パーンが激しく軽く酔いそうですが(笑)臨場感が伝わります。
自宅の前の様子で怖かったでしょうね。近くの松子池の影響でしょうか。

ちょりちゃん、Oさん提供の画像(中庄)








金山区小越中の県道


過去の災害記事は
平成30年7月豪雨レポート(2018年7月7日記事)
大雨であちこち「ずえとる(ずっとる)」(2016年6月24日記事)
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"Tやす"来訪

2021年06月07日 | 令和3年因島・田熊・仲間の話題
福山の"Tやす"が来訪。月曜日がお休みということもあり、ちょっとした用事で帰島したらしいです。ウチに来る前はがっさんとこにおったらしい。
管理人「お前、ちぃと肥えたんじゃないか?」
T「そがぁなことはないよ」
管理人「よ~日焼けもしとるし、ゴルフ焼けか?」
T「去年はよ~行ったで。月曜は人も少ないしえ~ど」
てな感じで、仕事の事やコロナの事や散髪の事や(笑)その諸々ウダウダと話しました。

写真は似た構図ですが、微妙に表情が違うので。。。
素顔はコチラからパスワードを入力してご覧ください。




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みっさん登場(九州支部長)

2021年05月30日 | 令和3年因島・田熊・仲間の話題
九州は熊本天草の地からみっさんが来訪。田熊みうま会の九州支部長(といっても多分九州支部は1人だけ笑)として時々電話やLINEでやり取りしていましたが、会うのは前々回(平成27年)の同窓会以来です。このときも自動車で帰省でしたが今回も。「空いとったから9時間はかからんかったwww」そうでタフな一面を見せてくれました。
天草で保育園を経営する旦那さんと活躍しています。あんなことやこんなことを1時間ばかりお話しました。
天草の焼酎とクマモンのお菓子をお土産にもらいました(サンキュー)。
引き続きよろしくね! 九州支部長さん!!

マスク無しの画像は素顔はコチラからパスワードを入力してご覧下さい。



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田熊中学校 部活動集合写真(訪問者25万人突破記念)

2021年05月28日 | 令和3年因島・田熊・仲間の話題
2014年8月のブログ開設以来25万人の訪問を頂きました。たくさんの訪問、コメントありがとうございました。
今回は卒業アルバムから中学校時代真面目に(?)取り組んだ部活動の集合写真です。
試合のための練習なのか、練習したから試合があるのか、はたまた心身ともに強靭な云々等々、今となっては効果のほどはわかりませんが(笑)、放課後(時には朝)汗を流した思い出が蘇ります。
画像は加工しています。素顔はコチラからパスワードを入力してご覧ください。




訪問者20万人突破記念
訪問者18万人突破記念
訪問者15万人突破記念
訪問者13万人突破記念
訪問者10万人突破記念
訪問者8万人突破記念
訪問者5万人突破記念
訪問者3万人突破記念
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ビャクシンの木端を頂きました

2021年05月21日 | 令和3年因島・田熊・仲間の話題
先日開催されたビャクシン保存工事完了祝いと藤原神社落慶式のお礼として、保存の際切り出されたビャクシンの木端を頂きました。私自身は大したことはしていませんが、田熊の貴重な文化財保存に多少なりとも貢献できたことは嬉しく思います。田熊の岡野さん・藤原さんにつながる岡野明神・藤原神社とビャクシンの木が永く栄えるよう祈念します。
とりあえず神棚にお祀りします。

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梅雨入り(今日の田熊小学校跡)

2021年05月15日 | 令和3年因島・田熊・仲間の話題
五月雨に煙る田熊小学校跡(田熊市民スポーツ広場)。
新緑だの薫風がどうとかっていう記事を書く間もなく、中国地方は例年より3週間ほど早く梅雨入りしたようです。去年は6月10日頃の梅雨入りで、明けたのが7月30日頃と随分遅い梅雨明けでした。ということは今年の梅雨明けは早いんかな?
広島県は明日16日から31日まで新型コロナ緊急事態宣言が発出されます。みうま会もなかなか企画が立てられず寂しい限りですが、何時かは晴れて集まれることを祈念しています。










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ビャクシン保存工事完了祝いと藤原神社落慶式

2021年05月02日 | 令和3年因島・田熊・仲間の話題
昨年7月の豪雨で倒木した尾道市天然記念物ビャクシンの木の保存工事完了祝いとそれにより倒壊した藤原神社の再建落慶式に出席してきました。
検温と手指消毒を徹底して約100人が訪れていました。。

倒木と倒壊についてはコチラから
市天然記念物ビャクシン及び藤原神社保存について(令和2年9月記事)

保存実行委員会代表、市長、市議会議長のあいさつに続いて落慶式が執り行われ、直会、田熊神代神楽による神楽の奉納されました。

田熊の神楽についてはコチラから
田熊の神楽(令和3年3月記事)

第1回ブラタクマで訪れた時(平成30年4月記事)には、既にビャクシンの木が藤原神社によりかかり双方危険な状態でした。危惧が現実となった時には衝撃でしたが、市と町民の協力により立派に再建されました。これからもかつての田熊の中心地から町を見守っていただけることを祈念します。

岡野さん、藤原さんやビャクシンの由来についてはまたそのうちに。。。(といいつつなかなか・・)











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第4回ブラタクマ(田熊探訪)開催しました

2021年04月04日 | 令和3年因島・田熊・仲間の話題
既報の通り、第4回ブラタクマ(田熊探訪)を開催しました。
今回は、干拓や埋め立てで変遷していった近世田熊西部の海岸線をブラブラしながら、所々桜を楽しむ企画ですが、天気は雨。。。
しかし万朶の桜は今日までと確信し、強行を決断しました。 ♪退く戦術我れ知らず~♪ ♪前進、前進、また前進~♪(歩兵の本領より)
※画像は今回の写真と別の日時の写真が混在しています。
参加者(管理人、なこちん、やっちゃん、がっさん)

因島モール内農協前から出発。

まずは因島モール北側にある大正13年建立の「金山新開道路新設記念碑」から。
金山新開は文化10年(1819年)頃造成、南側の扇新開は文化13年(1822年)頃竣工。扇新開には大正4年に因島電気会社(のちに合併を繰り返し現中国電力)が開業し、金山新開とともに通商港としても機能しました。この道路新設記念碑は新開インフラの象徴的な出来事を現わしているように思います。昭和10年には因島田熊船渠が開業、昭和12年占部造船が吸収合併、昭和26年田熊造船、昭和47年には瀬戸田造船と合併し内海造船となり田熊工場となりました。聳え立つ大型のクレーンは田熊のシンボリックな存在として君臨していましたが、平成24年田熊工場を閉鎖、翌年因島モールとなりました。金山新開と扇新開は近世田熊の発展を見つめてきた土地といえます。


西へ向けて県道を歩くと、右手に因島四国八十八箇所の67番札所小松尾山大興寺があります。この辺りは、古くは卓観12年(870年)頃、清和天皇の指示により同の採掘開発が進められた地方のひとつで、銅山があった場所です。その時代には採掘量が豊富とは言えず、廃止されたようですが、寛永15年(1638年)の地詰帖にへの記載や宝暦5年(1755年)の田熊村立実録帳には「金山堀跡七つ(但し銅山)」の記述があることから、何らかの形で機能していたのかもしれません。時代が下って、大正8年(因島案内)や11年(広島県資料)には銅山採掘の記録があるので、この時期には再び採掘が進められていたことになります。金山区の名称の由来ですね。


この辺りの海側は、昭和になると天神山の西側などから掘削された土で埋め立てられ、現在の西浜港の整備につながっていきます(昭和18年)。

その西浜港には、「西浜明神社」があります。宝暦5年(1755年)の田熊村立実録帳に記載されている「厳島明神(鹿田山)」が当社とすると文政8年(1825年)頃、前述の埋め立て地あたりに遷宮され、現西浜港が整備された昭和18年に再びこの地に遷宮されました。長い間銅山や通商港の安全発展を見守ってきた社です。






雨が強くなってきましたが、かまわず前進。

埋め立てや道路整備の影響で、微妙に入り組んだ金山区と竹長区の境界を歩いていくと、右手に字"釣が浜"の見事な桜が目に飛び込んできます。あいにくの天気ですが写真撮影。




天気が良ければこんな感じ

(平成31年がっさん提供)

字"釣が浜"を過ぎると字"八石"。藩への直訴に船で出発した「出来屋重太」を追いかけた庄屋が追いついた村はずれの場所です。当時の田熊の地はせいぜいこの辺りまでだったことを想像させます。
かつては八石岩といわれる岩が生口橋の袂にありましたが、橋の工事の際に壊されています。ここでも1枚。橋の下なので雨は安心(笑)


いよいよ前半のクライマックス、「黒崎明神社」に到着。
中庄の庄屋、宮地与三兵衛により干拓された黒崎新開に天保6年(1835年)厳島から勧請されました。辺ぴな所だったと思いますが、黒崎明神社に見守られながら次第に開発が進みました。10年ほど前に植樹された6本の桜もあります。










黒崎明神社の周辺はこんな感じ。




黒崎明神社をお参り後、がっさんのお店で休憩。温かいお茶と美味しいお菓子が雨で冷えた身体を元気にしてくれました。

ここから折り返し。往路は新しい海岸線を歩きましたが、復路はなるべく昔の海岸線を歩くことにします。
家電量販店Eの裏側に「龍宮界」が建立されています。
海に起こる災いを鎮めるため祀られたそうです。古い方の碑は昭和13年とあり、以前は別の場所にありましたが、平成13年の芸予地震の際、現地に移転されました。願主(故人)はこの辺りの地主さんなので竹長北部開発の具現化に伴い、地域発展の願いを込めたものと想像します。


再度、釣が浜の桜の下でパチリ。




冷たい雨が体力を奪いますが、もう一息。。
中電工がある所から、山側の道へ入っていきます。



スイセンがきれい。。

さらに進んでいくと、右側は天保13年(1842年)に岡野六兵衛により完成した竹長新開が広がります。難工事だったようで、この辺りが字"シワイドコ"と呼ばれる所以でしょうか。




この先を左に曲がると西区へ。今日は右に曲がります。



ここには田熊村四国45番札所がありましたが、現在はこの先の島四国68番神恵院に42~44番とともに合祀されています。
ここより西には村四国はありません。田熊の島四国も中電工の裏手にある69番七宝山観音寺までとなります。村四国が天保3年(1832年)、島四国が明治45年の整備ですから、前述の出来屋重太(八石)の件と合わせても、かつての田熊エリアがわかります。


昔水道局があったところです。ここの桜も見事でしたが無くなって残念。

昔この場所にあった松を切った際、災いが続いたので、松の魂を祀った大松大神。
昭和53年の建立のようです。


そして金山港の交差点近くには竹長新開の鎮守として祭祀された竹長荒神社(天保13年・1842年)。




先人の開発で田熊にも多くの平地があります。



昔ボーリング場がありましたね。

予定では金山公園にも上がることになっていましたが、くたびれたので中止しました。

降り続く雨の中、出発地に帰着。旧田熊小学校で昼食を摂る予定でしたが、これも中止して解散しました。
皆さん、お疲れさまでした。

第3回ブラタクマ
第2回ブラタクマ
第1回ブラタクマ

令和3年4月6日 加筆修正しました
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第4回ブラタクマ(田熊探訪)のご案内

2021年03月29日 | 令和3年因島・田熊・仲間の話題
今年は季節の前倒しを感じますね。
気候も良くなってきたので第4回ブラタクマのお知らせです。
前回同様コロナ感染症対策として、社会的距離を保ち衛生面に配慮して開催します。
今回は、干拓や埋め立てで変遷していった近世田熊西部の海岸線をブラブラしながら、所々桜を楽しめたらと思います。
参加申し込みはLINE、メール又はTELで。
★日時・場所
令和3年4月4日(日)9:30~(少雨決行 中止の場合は連絡します)
因島モール内JA尾道市因島支店前集合
★コース
金山新開道路新設記念碑~金山銅山登り口~西浜明神社と桜・西浜港(トイレあり)~金山港~釣が浜の桜~八石(出来屋重太の話参照)~黒崎明神社と若桜(折り返し)~龍宮界(トイレあり)~釣が浜~シワイドコ~大松大神~竹長荒神社~金山公園の桜~因島モール(トイレあり)~旧田熊小学校で昼食(トイレあり)
★費用 1500円程度(昼食代)+お賽銭
★準備
筆記用具・マスク・天候によって雨具・できればドリンク。
※手指消毒液・非接触型温度計・資料は管理人が用意します
★服装 歩きやすい恰好(ハイヒールやつっかけは不可)。できれば帽子。

去年の旧田熊小学校

第3回ブラタクマ
第2回ブラタクマ
第1回ブラタクマ
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田熊の神楽

2021年03月24日 | 令和3年因島・田熊・仲間の話題
田熊ではお宮の祭事や地域のお祭り、行事などで神楽の舞が奉納されることがあり、田熊神代神楽(たくまじんだいかぐら)は旧因島市(現尾道市)指定の貴重な無形文化財として継承されています。小学生の頃、地域の人に稽古をつけてもらった同級生らの発表を鑑賞した記憶があります。

神楽は雅楽の一種で、歌と舞があり、主に神事で用いられてきました。天照大御神が天の岩戸に隠れた際、天の鈿女の命(あめのうずめのみこと)をはじめ神々が集まり御心を慰めようと舞い歌ったのが始まりとされています。

田熊神代神楽の由来は、明治8年2月新調の神楽用小袖や明治12年8月新調の鎧が現存していることから、田熊の近代神楽は明治初頭に発祥したものと思われます。田熊村三ツ石(現田熊町中央区三ツ石)の村上某氏が、三原の山中村(現三原市中之町)の賀羅加波神社(からかわじんじゃ)の神官より伝授され現在の田熊の神楽の形が整ったと言い伝えられており、田熊の神楽は三原付近で舞われている備中神楽の系統に属しているものと思われます(文献によっては備後系統との記載もあり)。
※令和4年11月3日賀羅加波神にお参りしました
亀甲山田熊八幡宮(お宮)は天文年間(天文18年・1549年くらい)に、田熊村上氏の祖である村上直吉により現在のように整備されていますが、田熊の神楽については明治より前の古文書などの資料が未だ発見されていないことから、神楽の奉納は他地区に依頼したものと考えられます。

先日、田熊のお宮で開催された安政柑祭り(安政柑は田熊が発祥の地)でも神楽が奉納され、いくつかある演目の中から「悪魔祓い」「神迎え(い)」「八重垣の舞」「恵比寿の舞」が奉納・披露されましたので紹介します。約30分の舞は大変見ごたえがありました。

「悪魔祓い」
天照大御神から遣わされた瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を道案内した国津神である猿田彦神(サルタヒコノカミ)が勇壮な舞と勇ましい祝詞で悪魔を追い払う神楽です。猿田彦神はがっちりした体形で中々の男前だったようで、演者は天狗(の様な)面をつけています。
田熊のお宮では人々を導く神様として、先ず境内西側に鎮座する猿田彦神社をお参りするのが順路となっています。


「神迎え(い)」
氏子が神様をお迎え奉る優雅な祝詞と穏やかな舞が特徴です。全ての神様を神殿にお迎えする舞です。
氏子が舞うのでお面は着けていませんね。


「八重垣の舞」
御存知、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治する演目です。

須戔鳴尊(すさのおのみこと)が、泣いている老父と老婆(足摩椎(あしなづち)と手名椎(てなづち))、小さな娘(奇稲田姫(くしいなだひめ))と出会い、話を聞くと「八岐大蛇に娘を差し出さねばならない」というところから始まります。

須戔鳴尊は老夫婦に強い酒を造らせます。酒造りのシーンは他の神楽では舞うことはない田熊独特の珍しい舞だそうです。

そして酒に酔ったオロチとの決戦。
※その際オロチの切った尾から見つけた剣は、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)
と名付けられ天照大御神に献上され、これが三種の神器のひとつ草薙剣(くさなぎのつるぎ)とされます。




オロチを退治した須戔鳴尊は奇稲田姫を妻とし国を治めました。


「恵比寿の舞」
宝物数々を神蔵に納めて舞い納め豊漁を祈念する目出度い神楽で、田熊では豆などの菓子を観劇者に振舞います。


地域の文化や文化財は人々の心と共に紡がれていき、地域の未来をより心豊かなものにしてくれるものと思います。。。

参考文献
田熊の文化財第8巻(田熊町文化財協会)
広島県の神楽(真下三郎著)
神楽の変容とその社会的基盤に関する研究(県立広島女子大学)
明治安田生命助成申請書(田熊神代神楽)

令和3年3月25日 加筆修正しました
令和4年12月2日 加筆修正しました
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