田熊みうま会 尾道市因島から発信中

昭和40年度生まれで 田熊小学校・田熊中学校に通った人のブログ

因島・田熊の方言・慣用句(13) 「へいかち」

2021年04月29日 | 因島・田熊の方言・慣用句
ややマイナーですが「へいかち」の登場です。
「下っ端」とか「下級職」、「新人」のことですね。

例1
A「お子さんのご就職おめでとうございます。さぞご活躍でしょう」
B「いやいや、まだ"へいかち"じゃけ、なかなかコトにならんじゃろう」
(いやいや、まだ"下っ端(新人)"ですから、なかなかモノにはならないでしょう)
みたいな感じで使います。

例2
施主「図面通りの工事じゃないですね。いったいお宅の仕事はどうなっているんですか?」
現場「ワシら"へいかち"に言われても分からんけぇ、社長に言うてつかぁ」
本音の時と逃げ口上として使う時とがあります。。

由来は徒歩(かち)の兵隊の意味からではないかという説があります。
調べてみると、かち【徒/徒歩/歩/歩行】などとありますので、信ぴょう性たかいかも。
「車じゃなしに"かち"で行くけぇ」
てな感じで使うとオシャレですね♪

部下「課長、これは〇〇して▲▲したら良いですよ」
課長「"へいかち"は黙っとれ!!」
現在では完全にパワハラです(笑)

島内での常用度★★☆☆☆(たまに聞く)
島外での難解度★★★★★(通じないでしょう)
ではまた次回

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因島・田熊の方言・慣用句(12) 「うたう」

2021年04月23日 | 因島・田熊の方言・慣用句
今回のネタは「うたう」です。
もちろん歌を歌うなんて意味ではありません。
もともとは「ネジなどが緩むこと」、或いは意味を拡大して「壊れること」などを意味します。

例1
「車いすのタイヤのネジが、よう"うたう"んじゃ」
(車いすのタイヤのネジが、よく"緩む"んです)

例2
「井戸のポンプが"うとう"てしもうたんじゃ。見に来ておくれぇ」
ここで島の修理屋さんだと
「わかりました。見に行きます」となりますが、
島外のメーカーさんなんかだと
「音がうるさいとか振動が激しいということですか?」
なんて聞き返されることがあります。まぁ、なんとなく伝わるかもしれません。
五段活用して"うとう"の方が登場頻度は多いかもです。

さらに意味を拡大して
「年ぃとると、あちこち"うとう"てくるんじゃ」
(年を取ると、あちこち身体が"傷んで"きますね)

さらにさらに拡大して
「あんなぁ、ちぃと"うとう"とるけぇのぉ」
(彼は少し"〇★▽?◆%▲"ですから)
なんてのが相手に聞こえたら、つかみ合いです笑

島内での常用度★★★☆☆(それなりに多い)
島外での難解度★★★★☆(厳しい。使い方次第)
ではまた次回



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因島・田熊の方言・慣用句(11) 「つどう」

2021年04月15日 | 因島・田熊の方言・慣用句

今回は「つどう」です。
一般的には「集う」である場所に集まることを意味しますが、この辺では少し意味合いが異なり「行事や予定が重なること」ですね。


A「今週の土曜日、軽く一杯どうですか?」
B「その日はちょうど"つどう"とるんじゃ」
A「そうですか。会合か何かで"集まったり"するんですか?」
B「いやいや"集まり"はないで。その日は孫から電話がかかってくるんじゃ」
A「じゃあ奥さんやお子さんも交えてテレビ電話かなにかですか?」
B「そが~なもんはせんよ。孫と一対一でしゃべるんじゃ」
A「なるほど、それも"集まり"というんですね」
B「ちがお~が。電話でしゃべることを"集まり"とは言わんじゃろ」
なんかかみ合いませんが、とにかく用事が重なっていることは伝わったようです(笑)

もちろん、普通に「集う」時にも使いますので
「その日は"柑橘生産者の集い"というイベントがあっての~、仲間がようけ"集まる"んよ。じゃけぇ、あいにく"つどう"とるけぇ、そっちにはいかれんわ~」
てな感じになることもあります。

コロナ禍で"集う"ことにも神経を使いますが、おかげで用事が"つどう"ことも少なくなりました。。

島内での常用度★★★★☆(結構多い)
島外での難解度★★☆☆☆(中国地方なら多分大丈夫。他地方はニュアンスが異なって伝わるかも・・)
ではまた次回
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因島・田熊の方言・慣用句(10) 「どしゃげる」

2021年04月08日 | 因島・田熊の方言・慣用句

記念すべき10回目のネタは「どしゃげる」です。
「ぶつける」とか「突き当たる」の意味ですね。
強調して「どっしゃげる」と使う事もあります。

例1
「ウチのもこに買うたばぁの車貸したら、電柱に"どしゃげて"ぶちめぎゃあがってのぉ。往生せぇよ」
解説
「娘の夫に、新車を貸したら、電柱に"ぶつけて"大破してしまいました。全く困ったものです」

例2
「その仕事は気い付けてやらんと、いなり"どしゃげる"ことになるで」
解説
「その仕事は気を付けて取り掛からないと、結局(たちまち)"突き当たる"ことになりますよ」

てな感じてよく使います。
「どしゃげる」以外にも色々放り込んでみましたが、ついてきて来て下さいね(笑)

島内での常用度★★★★☆(結構多い)
島外での難解度★☆☆☆☆(広島県なら必要十分。他地方は難解度高い)
ではまた次回

令和3年4月12日 加筆修正しました
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第4回ブラタクマ(田熊探訪)開催しました

2021年04月04日 | 令和3年因島・田熊・仲間の話題
既報の通り、第4回ブラタクマ(田熊探訪)を開催しました。
今回は、干拓や埋め立てで変遷していった近世田熊西部の海岸線をブラブラしながら、所々桜を楽しむ企画ですが、天気は雨。。。
しかし万朶の桜は今日までと確信し、強行を決断しました。 ♪退く戦術我れ知らず~♪ ♪前進、前進、また前進~♪(歩兵の本領より)
※画像は今回の写真と別の日時の写真が混在しています。
参加者(管理人、なこちん、やっちゃん、がっさん)

因島モール内農協前から出発。

まずは因島モール北側にある大正13年建立の「金山新開道路新設記念碑」から。
金山新開は文化10年(1819年)頃造成、南側の扇新開は文化13年(1822年)頃竣工。扇新開には大正4年に因島電気会社(のちに合併を繰り返し現中国電力)が開業し、金山新開とともに通商港としても機能しました。この道路新設記念碑は新開インフラの象徴的な出来事を現わしているように思います。昭和10年には因島田熊船渠が開業、昭和12年占部造船が吸収合併、昭和26年田熊造船、昭和47年には瀬戸田造船と合併し内海造船となり田熊工場となりました。聳え立つ大型のクレーンは田熊のシンボリックな存在として君臨していましたが、平成24年田熊工場を閉鎖、翌年因島モールとなりました。金山新開と扇新開は近世田熊の発展を見つめてきた土地といえます。


西へ向けて県道を歩くと、右手に因島四国八十八箇所の67番札所小松尾山大興寺があります。この辺りは、古くは卓観12年(870年)頃、清和天皇の指示により同の採掘開発が進められた地方のひとつで、銅山があった場所です。その時代には採掘量が豊富とは言えず、廃止されたようですが、寛永15年(1638年)の地詰帖にへの記載や宝暦5年(1755年)の田熊村立実録帳には「金山堀跡七つ(但し銅山)」の記述があることから、何らかの形で機能していたのかもしれません。時代が下って、大正8年(因島案内)や11年(広島県資料)には銅山採掘の記録があるので、この時期には再び採掘が進められていたことになります。金山区の名称の由来ですね。


この辺りの海側は、昭和になると天神山の西側などから掘削された土で埋め立てられ、現在の西浜港の整備につながっていきます(昭和18年)。

その西浜港には、「西浜明神社」があります。宝暦5年(1755年)の田熊村立実録帳に記載されている「厳島明神(鹿田山)」が当社とすると文政8年(1825年)頃、前述の埋め立て地あたりに遷宮され、現西浜港が整備された昭和18年に再びこの地に遷宮されました。長い間銅山や通商港の安全発展を見守ってきた社です。






雨が強くなってきましたが、かまわず前進。

埋め立てや道路整備の影響で、微妙に入り組んだ金山区と竹長区の境界を歩いていくと、右手に字"釣が浜"の見事な桜が目に飛び込んできます。あいにくの天気ですが写真撮影。




天気が良ければこんな感じ

(平成31年がっさん提供)

字"釣が浜"を過ぎると字"八石"。藩への直訴に船で出発した「出来屋重太」を追いかけた庄屋が追いついた村はずれの場所です。当時の田熊の地はせいぜいこの辺りまでだったことを想像させます。
かつては八石岩といわれる岩が生口橋の袂にありましたが、橋の工事の際に壊されています。ここでも1枚。橋の下なので雨は安心(笑)


いよいよ前半のクライマックス、「黒崎明神社」に到着。
中庄の庄屋、宮地与三兵衛により干拓された黒崎新開に天保6年(1835年)厳島から勧請されました。辺ぴな所だったと思いますが、黒崎明神社に見守られながら次第に開発が進みました。10年ほど前に植樹された6本の桜もあります。










黒崎明神社の周辺はこんな感じ。




黒崎明神社をお参り後、がっさんのお店で休憩。温かいお茶と美味しいお菓子が雨で冷えた身体を元気にしてくれました。

ここから折り返し。往路は新しい海岸線を歩きましたが、復路はなるべく昔の海岸線を歩くことにします。
家電量販店Eの裏側に「龍宮界」が建立されています。
海に起こる災いを鎮めるため祀られたそうです。古い方の碑は昭和13年とあり、以前は別の場所にありましたが、平成13年の芸予地震の際、現地に移転されました。願主(故人)はこの辺りの地主さんなので竹長北部開発の具現化に伴い、地域発展の願いを込めたものと想像します。


再度、釣が浜の桜の下でパチリ。




冷たい雨が体力を奪いますが、もう一息。。
中電工がある所から、山側の道へ入っていきます。



スイセンがきれい。。

さらに進んでいくと、右側は天保13年(1842年)に岡野六兵衛により完成した竹長新開が広がります。難工事だったようで、この辺りが字"シワイドコ"と呼ばれる所以でしょうか。




この先を左に曲がると西区へ。今日は右に曲がります。



ここには田熊村四国45番札所がありましたが、現在はこの先の島四国68番神恵院に42~44番とともに合祀されています。
ここより西には村四国はありません。田熊の島四国も中電工の裏手にある69番七宝山観音寺までとなります。村四国が天保3年(1832年)、島四国が明治45年の整備ですから、前述の出来屋重太(八石)の件と合わせても、かつての田熊エリアがわかります。


昔水道局があったところです。ここの桜も見事でしたが無くなって残念。

昔この場所にあった松を切った際、災いが続いたので、松の魂を祀った大松大神。
昭和53年の建立のようです。


そして金山港の交差点近くには竹長新開の鎮守として祭祀された竹長荒神社(天保13年・1842年)。




先人の開発で田熊にも多くの平地があります。



昔ボーリング場がありましたね。

予定では金山公園にも上がることになっていましたが、くたびれたので中止しました。

降り続く雨の中、出発地に帰着。旧田熊小学校で昼食を摂る予定でしたが、これも中止して解散しました。
皆さん、お疲れさまでした。

第3回ブラタクマ
第2回ブラタクマ
第1回ブラタクマ

令和3年4月6日 加筆修正しました
コメント (2)
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因島・田熊の方言・慣用句(9) 「おうじょう」

2021年04月01日 | 因島・田熊の方言・慣用句
おまちかね「おうじょう」です。
「おうじょう」は「往生」に由来し、「困った」とか「身動きが取れない」とか「行き詰る」とかの意味です。これだけですと少なくとも西日本共通ですかね。
関西では「往生せぃ!」となると「もうあきらめろ」みたいなニュアンスのようです。
因島では「せいじゃ」とか「せいじゃのう」などがくっついて「往生せいじゃ」とか「往生せいじゃのう」となり、意味合いも変化します。

例1
「こんだけの荷物をみな運べぇゆんか? "往生せいじゃのう"」
解説
「これだけの荷物を全部運ぶのですか? "手に余りますね"」


例2
「全員残業じょよ~ら~、よいよ"往生せいじゃ"」
解説
「全員残業との指示です。まったく"困りましたね"」


会話だと
A「こないだのゴルフはどうじゃったん?」
B「それが"往生せぇよ"。OB連発でワヤじゃった」
解説
A「先日のゴルフはいかがでしたか?」
B「それが"大変参りました"。OB連発でスコアになりませんでした」
てな感じで使います。

この言葉の特徴は、なにか見えない力に影響されるような命令形だということです。いずれの例文も直接命令されたことに対する感覚ではなく、自らの感覚なのが面白いところです。

亜種として
"往生つかまつるのぉ"(現在径)・"往生つかまつった"(過去形)というのもありますが、田熊の西部のごく一部でしたか聞いたことがありません笑

島内での常用度★★★★☆(結構多い)
島外での難解度★★☆☆☆(ニュアンスが伝わりにくいかも)
ではまた次回

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