田熊みうま会 尾道市因島から発信中

昭和40年度生まれで 田熊小学校・田熊中学校に通った人のブログ

"志村けん"さん逝く

2020年03月30日 | 令和2年因島・田熊・仲間の話題
新型コロナウイルスが猛威を振るう中、同感染症による"志村けん"さんの逝去が報じられました。ご存知ドリフターズのメンバーで、土曜日に"8時だよ全員集合"を見るのはお約束でした。
"荒井注"さんと入れ替わりになった志村さんは、最初の頃は"見習いケン"として出演していた記憶があります。「なんだバカヤロー」の荒井さんと比べ、当初は物足りなさも感じていましたが「東村山音頭」で評価が一変しました(生意気な子供ですね笑)、みんな東村山がどこにあるのか知らないまま、歌詞もあやふやで歌っていました。
それから「カラスの勝手でしょ~♪」。短いフレーズの替え歌であんなに笑えるなんて新鮮でした。。
コントでは「志村、後ろ~。上じゃ~!」。テレビの画面でこれから起きることがある程度予想されるのに笑えてしまうのは、今思うと古典落語のような出来の良さだったのでしょう。予定調和という一言で片づけてしまうのではなく、「マンネリは俺にとっては悪い言葉じゃない。むしろ褒め言葉。」という志村さんの言葉が物語っているように思います。
こちらが年齢を重ねるとともに、次第に鑑賞の機会も減少しましたが、世代を超えて誰でも知っている志村さんはいつもテレビで活躍していました。
衷心よりお悔やみ申し上げます。
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やすし先生と立ち話

2020年03月22日 | 令和2年因島・田熊・仲間の話題
カメラを持って田熊の町をお散歩。
ブラブラ1時間ほど歩いたところで
先生「おい、なに取材しょんね(笑)」
旧田熊中学校近くで畑仕事をしているやすし先生が声をかけてくれました。
管理人「先生ええとこでお遭たわ。あんなことや、こんなことや聞きたいことがあるんよ」
てな感じで、40分以上の立ち話。完全に濃厚接触です。。。先生は水まき用のジョウロょ持ったまま付き合ってくれました笑。
後ろに少し写っているのは旧中学校(現因島総合福祉保健センター・はっさく交流館)です。

やすし先生は3回目のブログ登場です(ありがとうございます♪)。
今日の田熊小学校9 文化財譲渡会(平成27年8月7日)
やすし先生と愛子先生(平成27年8月7日)

素顔はコチラからパスワードを入力してご覧ください。


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平成9年同窓会・厄払い記念集合写真(訪問者20万人突破記念)

2020年03月15日 | 令和2年因島・田熊・仲間の話題
当ブログを2014年8月に開設して以来20万人の訪問を賜りました。これまでのご訪問、コメントありがとうございます。
今回は平成9年(1997年)に厄払いした時の集合写真。会の名称は"田熊みうま会"の前身"40会"です。三十三は女の厄年なのでお宮では女性陣は前列になってもらいました。管理人は服装とかの流行にまるで無頓着ですが、こうしてみると時代感ありますね。2枚目は懇親会での集合写真。会場は今は取り壊されてなくなった労働会館です。懇親会には小学校の恩師O先生とY先生にお越しいただきました。
この頃は「未来は私たちの手の中にある」なんて思っていましたが、今は「・・・」笑。
例によって、素顔はコチラからパスワードを入力してご覧ください




訪問者18万人突破記念
訪問者15万人突破記念
訪問者13万人突破記念
訪問者10万人突破記念
訪問者8万人突破記念
訪問者5万人突破記念
訪問者3万人突破記念
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田熊村四国八十八ヵ所札所 不明だった3か所発見

2020年03月08日 | 令和2年因島・田熊・仲間の話題
昨年3月に田熊村四国八十八ヵ所札所を巡った際、たどり着けなかった五十四~五十六番札所を知人Oさんの案内で発見することができました。
前回は呉田池の東側の小道にある四十六番札所分院から登って五十四、五十五、五十六番札所を目指しましたが、全く道がなくなっていて断念。引き返して保育園近くの三角寺から上り五十七番札所をお参りしてから、上方からチャレンジしましたが、こちらも途中で道が途切れて進むことができませんでした。
以前Oさんにその旨を話したとき「その道はワシの実家から中学校への通学路じゃった。確かに札所があったわい」と聞いていました。今日「あんたが、あ~よったけぇ、行ってみたんじゃ。今ならまだ草木が枯れとるけぇ通れるで。長靴履きないよ」とのことで早速案内してもらうことに。。(やや長編です)

先ずは、前回同様、呉田池東側の四十六番札所分院から進入




田熊こども園を眺めながら進みます


確かに以前来た時より草木が少ないようです。前回はこの先で断念しました。


五十六番札所発見


思った以上に道が良いと思ったのはここまで。足元も悪く、草木をくぐりながらの前進です。
右に行くと旧中学校へ行けるそうです。
Oさん「この道通って行きょうたんで。昔はもっと道がはっきりしとった。鐘が鳴り始めて家を出ても遅刻せんかった」(そりゃウソでしょ)
目指す札所には左へ進みます。


屈強なOさんはどんどん進んでいくのでなかなか追いつけません


Oさん「あんた山には向いとらんの~笑」
判ってますとも笑・・・







一度見てみたいと思っていた「心中場池(しんじばいけ)」も発見。鬱蒼としていますのでわかりにくいですが。。
この辺りは字"大将軍(だいしょうぐん・だいじょうご)"
この池も「大将軍池」と呼ばれていたはずです。
名前の由来もそのうち調べてみたいと思います。
「因島市建設計画書」(昭和34年)には、面積:992㎡、平水量:1.900㎥、最大水深:(増水期)8.10m(渇水期)0.90mと記載されています。
これで田熊町にある、池をコンプリートです♪(瀬川池、呉田池、安土池、金栗池、埋め立て廃止の鷺田池)。



頑張って進むと竹林が
Oさん曰く「ホンマの道は崩れて通れんけぇ、こっちを進むわ」
どこからホンマの道でなくなったのか、全然気づきませんでした。
なので、ここは道ではありません(ホンマの道は画面右側の方になります)。


ひたすら進むと五十五番札所


モノラックのレールが残っていました。
Oさん「この辺はミカン植えとったけぇの」
現在はその面影はありませんね。


無人の民家の傍を抜けて


五十六番札所
これで田熊村四国八十八ヵ所札所もコンプリートです。


もうすぐコール。振り返ってみました。


ようやく一般道が見えてきました。


一般道の入り口から振り返ってみました。
Oさんは「ワシはもう一回下って帰るけど、アンタはそのまま普通の道で帰りんさい」
言われなくてもそのつもりでした(笑)。。。

直線距離だと200m程ですが、結構なお遍路旅でした。案内してくれたoさんありがとうございました。

※令和2年3月13日 加筆修正しました。
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