田熊みうま会 尾道市因島から発信中

昭和40年度生まれで 田熊小学校・田熊中学校に通った人のブログ

ブラタクマ(田熊探訪)開催しました

2018年04月15日 | 平成30年因島・田熊・仲間の話題

同級生5人でプラタクマ(田熊探訪)開催。
前日の雨も上がり、日差しも強くない絶好の遠足日和になりました。
参加者の様子は素顔はコチラからパスワードを入力してご覧ください。

田熊は多くの土地が江戸時代末期以降の干拓地ですので、中世田熊の息吹を感じるためにも干拓以前のルートを選択。
弁才天をスタートし金栗池を過ぎて西浦重井道を通って、春日神社(宇賀の神)、横峰寺(四国八十八ヵ所)、馬の墓、岡野明神・藤原神社まで登り、そこから山の神へ、戻ってきて浄土寺の岡野家祖先の墓、下って八幡宮の裏参道から表参道を抜け、西浜の黄幡社、菅原神社(天神山城跡)、旧田熊小学校を終点とする行程です。

まずは弁才天。
かつてはこの辺りまで入り江で、たくさんの船でに賑わっていたのでしょう。ここの弁才天社は宮島から勧請され、田熊の玄関口を見守ってくれていました。現在は6月に田熊最初の夏祭りが開催されています。


金栗池の方へ進むと安政柑発祥の地の碑があります。
田熊は八朔発祥の地でもありますが、安政柑も発祥の地として有名ですね。安政年間(1851-1860)に発見され明治43年(1910)に安政柑と命名されたようです。


金栗池
「文久年間(1862頃)、納入済みであるにも関わらず、藩から年貢の督促があり、担当者は納入証明書が見つからず困っていたところ、夢に弁才天が現れ、とあるハリコの箱を金栗池で洗うようお告げがあり、そのようにしてみるとはがれた紙から証明書が出てきて事なきを得た」という言い伝えがあります。
ザリガニや亀を捕まえに行った人もおるんじゃない?


道標
金栗池のすぐ近くに、「右土生三庄道 左西浦重井道」と書かれた道標があります。
三庄へはここから右へ道なりに進み島四国国分寺を通過して南北縦貫道を渡っていきます。土生へは国分寺から下細田へ下り土生越え(妙泰越え)を進みます。多少道の付け替えはあったかもしれませんが、土生三庄へはこれが幹線だったのでしょう。
今日は左の西浦重井道を進みます。ここから岡野明神まで登りが続きます。


最初は舗装されていますが途中からこんな感じに。。。
これでも一応"下樫平・郷線"という尾道市道です。


まもなく舗装道路に。左に下るとIスーパーに出ます。
右手に進んで行くと少し開けてきます。


右手の少しくぼんだ所に春日神社。ここは以前宇賀の神と呼ばれる食物の神様が祭祀されていました。この辺りは樫平という田熊農業発祥の地です。


因島島四国八十八ヵ所の横峰寺。以前はこの先のもっと険しい場所にありましたが現在はここに移されています。親しみをこめてでしょうか"よこみねさん"と呼ばれています。
因島の島四国は明治45年に整備されました。


少し行くと、馬の墓があります。昔戦さが会った時、馬を乗り捨てたか乗り換えた場所と伝わっています。


前半のクライマックス、岡野明神・藤原神社
因島荘といわれた皇室領荘園期から源平合戦や承久の乱後の東方武士の西国移動、南北朝時代と時が移り、因島(田熊)も歴史の波に翻弄されていきました。丘の(岡野)明神の建立や釣島箱崎浦の合戦など岡野・藤原、因島村上氏の由緒に触れました。




当初は浄土寺へ下る予定でしたが、みんなの気力が充実していましたので(笑)少し距離がありますが山の神神社にも行きました(途中島四国吉祥寺にもお参り)。山の神神社は1544年頃建立され、1755年の村立実録帳には八幡宮、菅原神社とともに宮として記載されています。田熊の夜店やステージが企画される夏祭りは6月弁才天、7月東浜明神祭、天神祭と続き、締めとして山の神祭りが8月末(又は9月初め)に開催されています。

来た道を戻り、田熊村四国八十八ヵ所一番札所の前を通って浄土寺へ。
岡野家祖先の岡野対馬守藤原通宗の碑、つんぐり地蔵、田熊村上氏の祖村上直吉の墓を見学、家紋の話などしながら、亀甲山八幡宮(お宮)へ向かいました。


田熊お宮(八幡宮)は"宮"と付くぐらいですから、ずいぶん立派で田熊町民のシンボリックな存在です。歴史的な話も随分しながらお参りしましたが、やっぱり出てくるのはカンケリの思い出てす ♪




1827年火災により焼失した際、神様がうずくまっていたとされる神踞石(しんきょいし)。鉄の柵を乗り越えて遊んでいたら叱られたことがあります(ばちあたりですね)。


狛犬。片耳が垂れているのがおしゃれです。


旧田熊中学校の傍を通って黄幡神社へ。村上水軍華やかし頃、竹島城へ向け鬼門除けとして建立されました。ここは島四国雲辺寺もあります。土生在住で田熊出身の女性が祠守に来られていました。

そして菅原神社(天神山城跡)へ。



菅公左遷の途次休憩され、その後建久年間(1190-1199)祭祀したと伝えられています。境内にある楠の木は県指定の天然記念物で、樹齢約900年と推定され、高さ20メートル、周囲7メートルの大木は田熊町の目印として聳えています。昔は登り口までが海岸線で、伝説では大きな"三つの石"があり、菅公が船を停め釣糸を垂れ楽しまれたといわれています(三ツ石菅公御愛石碑)。城としては竹島城、島前城を一望できる戦略上の拠点であったことがうかがえます。


いよいよゴールの旧田熊小学校。Iスーパーで弁当、ビールを調達し昼食。八幡宮、田熊小学校、中学校、幼稚園と展開する田熊の文化ゾーンで、慶応元年久敬舎を開設された村上萬之介先生(大田熊)に感謝しながら、酔っ払いました。。。















コメント (6)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 田熊探訪企画(ブラタクマ) | トップ | 次の記事へ »

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (まちゃきん)
2018-04-15 20:21:59
いや~読みごたえありました。
懐かしい場所や初めて見た場所やら。
お疲れでした。
返信する
Unknown (がっさんでぇ)
2018-04-15 23:36:54
みんなお疲れ様でした。クソ楽しかった!地形や歴史のうねりや産業に寄り添うて神社がそこにあって往時の人々の息吹を感じられ、それが現在に繋がっとるとこが面白く勉強になったわ。スーパーナビゲーターありがとう!また秋の遠足で会おうでぇ。
返信する
Unknown (管理人)
2018-04-16 11:53:08
まちゃきん、久しぶり ! 楽しかったよ♪
がっさん、お疲れ様でした。機会があればまた宜しくです !
返信する
Unknown (えりちゃん)
2018-04-16 13:47:41
博識ある管理人さんのお陰で楽しい田熊の歴史を散策できました。岡野明神、山の神等も初めて行き、歴史や祖先あっての今を感じられました。私たちは皇族とゆかりがあるかもなんて夢をみることもできました。今度は田熊の歴史を中学生に語ってあげるなんてこともいいですね。管理人先生のお話面白くためになりましたよ。私は知らないことがいっぱいでした。楽しかったね。又おしゃべりしましょう。
返信する
Unknown (なこちん)
2018-04-16 20:59:15
管理人さんの知識、雑学の豊富さには驚かされました。とても、同級生とは思えない!!( ; ロ)゚ ゚!!
なんてね💦💦
ありがとうございました。
返信する
Unknown (管理人)
2018-04-18 10:34:33
えりちゃん、なこちん、お疲れさまでした。子どもの頃遊んだ場所や大人から聞いた話が、現在になって歴史の一コマとして蘇ってくることにロマンを感じるとともに、先人あっての地域なので大切にしたいと思っています。
返信する

コメントを投稿