田熊みうま会 尾道市因島から発信中

昭和40年度生まれで 田熊小学校・田熊中学校に通った人のブログ

田熊村四国八十八ヵ所札所巡り(長編です)

2019年03月23日 | 平成31年・令和元年因島・田熊・仲間の話題
田熊村四国八十八ヵ所札所を知人M君と巡りました。
昭和60年と平成15年に編纂された資料をもとに可能な限り設定された順路で巡ってみました。
午前9時に一番札所を出発、八十八番札所にたどり着いたのが午後2時。5時間の旅は流石にくたびれましたが、本四国遍路だと2か月かかることを思えば、先人が残してくれた貴重な遺産とご意志にだだ感謝です。

★田熊の村四国八十八ヵ所札所について★
四国八十八ヵ所の巡拝(遍路)は平安時代末期の始まりとされ、一般的になったのは室町時代、それから江戸時代後期になると次第に庶民にも浸透してきました。それでも四国巡拝は多くの時間(約二か月)も費用もかかるため、誰でも巡拝できるようにと、天保三年(1832年)田熊村に村四国八十八ヵ所札所を建立することになりました。他村からも多くの巡拝者が訪れるほど盛んであったようです。
明治時代になり、神仏分離令により衰退した時期もありましたが、大日本帝国憲法が発布された(明治22年)頃になると世の中も安定し巡拝も徐々に復活してきました。
ところが明治45年、因島島民あげての奉仕によって建設された島四国八十八ヵ所の整備が進むと、遍路の人気は島四国へと移り、村四国はふたたひ衰退していきました。さらに大東亜戦争ころから戦後にかけては其々の近所の人たちによって地神的にやっと守られてきた存在となり現在に至っています。
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以下、長編となり恐縮ですが、よろしければお読みください。
最後に地図と順路を掲載しています。

浄土寺近くの一番札所を出発。
一番札所


二番札所は墓所からお宮の裏参道へ向かう途中にあります。
石屋根はノックすると金属のような音がします。小石とか投げて遊んではいけません。。。


墓所を取り囲むように六番札所までを参り七番札所へ。
六番札所(中区・郷)


田熊農業発祥の地、上樫平(カミカゼヒラ)の七番札所


金栗池の辺りまで下って、三庄・土生方面行くと上細田の島四国五十九番札所の小公園に十一、十二、十三番札所が仲良く並んでいます。


島四国五十九番札所


上細田から下細田に下ると、十五番札所





因島スーパーの方へ少し進むと鍛冶後(カジガセド)に十六番札所があります。
この辺りに限らず、道路や水路の工事などで、壁面内の札所は結構多いです。


旧田熊農協の前の道を入って、元田熊郵便局の前を進むと左側道にの二十番札所(港区・寺迫)


中央区へ戻って、お宮の参道登り口付近に二十一番~二十四番札所
ここはかつて田熊村役場が置かれた場所です。


二十五番~二十八番札所は中央区三ツ石の島四国五十五番札所とともにあります。


天神社の樫の木


黄幡社から地獄橋へ。
三十三番札所


元水源地そばの三十四・三十五番札所


地獄橋交差点の三十六番札所


引き返して、三十七番、三十八番札所へお参りしてから金山区方面へ




金山区から竹長区へ向かうあたりで、足がつるアクシデント発生(笑)。水分補給と漢方薬投入。
この地域(四十番~四十五番)は土地開発が遅かったからか、札所の間隔が長いです。
四十一番札所(金山区)


因みに四十五番札所は取り外されて土台だけが残っていまし(もしかしたらどこかに移転したかもと付近を捜索しましたが発見できず)。←金山港近くの島四国六十八番札所に四十二番~四十四番とともに合祀されていました(4月2日確認)
四十五番札所跡(竹長区)


春の訪れを告げる、菜の花を眺めながら西区へ


西区の中心部へいくと、札所の間隔も数も復活してきます。
いかに西区・中区・東区が田熊の中心市街地であったかが想像できます。
四十六番、四十七番札所




清水谷交差点の四十九番・五十番札所
四十九番札所


五十番札所


保育園近くの五十二番札所


続いて、呉田池の東側の小道にある四十六番札所分院から登って五十四、五十五、五十六番札所を目指しましたが、全く道がなくなっていて断念。引き返して保育園近くの三角寺から上り五十七番札所をお参りしてから、上方からチャレンジしましたが、こちらも途中で道が途切れて進むことができませんでした。
近所のおばちゃんに話を聞くと、「その道はもう二十年くらい通ったことがない」といわれてしまいました。
→令和2年3月発見しました(田熊村四国八十八ヵ所札所 不明だった3か所発見)

四十六番札所


五十七番札所


そしていよいよ最大の難所、山の神社から六松公園へ。
山の神参道入口付近の六十四番札所


山の神社到着。山桜が咲いていました。


勝負はここからです。実はこのルートで登るのは小学生の時以来。

六十七番(下)、六十八番札所(上)


ここを過ぎると、昨年の豪雨の影響でしょうか、石がゴロゴロして足場が悪く、何度も転びそうになりながら休憩もしつつ進みました(でも携帯電話は繋がりますよ♪)。
ひたすら進むとなにやら記念碑が、、、


そのそばにようやく六十九番札所


水掛地蔵にもお参り。隣に清水が沸いています。


既に正午を過ぎてお腹も減ってきましたが、頑張って六松公園へ。
ここには七十番札所があります。


ここからの眺めは因島八景にも指定されています。
天気が悪いので、風景はまたの機会に。。。


ここからは下りなので"楽チン"かと思いきや、膝が痛くなってきて逆にペースが落ちてしまいました。

なんとか下って七十三番札所は島四国の横の壁面内に。小さくかわいらしいですね。
村上海賊が日本遺産になったので、あちこちに案内看板があります。

平成30年7月豪雨で崩落した道路が痛々しいです。


あともう少し。長沢の谷をを元中学校方向へ下ってまた登ってラストスパート。
中区・長沢の七十四番札所


道路拡幅の影響か、見つけらられない札所もありました。←翌24日、近所のおじさんに訊いて発見しました(七十六~八十一番札所)。
七十六番~七十八番札所は安土池北側の小路を下ります。






七十九番札所(安土池そば)


八十番・八十一番札所(安土池そば)


そして岡野藤原神社方向へ。
八十五番札所。。


中学の恩師K先生のご自宅そばの八十六番札所。


やっと八十八番札所に到着。思わずお賽銭の額を増やしました(10円)。




田熊村四国八十八カ所図(田熊の文化財第二十一巻より)


※十九番から二十番へは幹線道路(神戸川)の利用を推奨します。
※五十四番・五十五番・五十六番は道路消滅の為、確認できませんでした。
→令和2年3月発見しました(田熊村四国八十八ヵ所札所 不明だった3か所発見)
※七十一番から七十二番へは島四国宝寿寺方向へ降りる道がお勧めです。八十三番札所がありますので、そこから八十番・八十一番札所を向かい、続いて七十六番・七十七番・七十八番札所を目指します。地図通りに進むのはちょっとしんどいです。
※二十八番、二十九番、四十一番、四十六番、七十番札所は二カ所設定されています。

一緒に巡ってくれたM君、最後まで読んでくれたみなさん、お付き合いありがとうございました。そして貴重な資料を編纂してくださった田熊町文化財協会の先輩諸兄の皆様に衷心より感謝申し上げます。

平成31年3月24日加筆修正しました。
平成31年3月28日加筆修正しました。
平成31年3月31日加筆修正しました。
平成31年4月2日加筆修正しました。
令和2年3月8日加筆修正しました。




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春霞の合間、田熊の港(東浜港・西浜港)

2019年03月21日 | 平成31年・令和元年因島・田熊・仲間の話題
暑さ寒さも彼岸まで。次第に温かくなってきましたね。
久しぶりに一眼レフを引っ張り出しました。
五月晴れや真夏の入道雲も良いですが、この時期は、春霞の合間に現れる青空や雲の様子も、温かい春の訪れを予感させ、なんとなく嬉しくなります。
撮影日時が違うので、三寒四温の季節も感じます。

1枚目 因島総合支所(旧因島市役所)の屋上から田熊東浜港
2~3枚目 東浜港から青景山方向を望む
4枚目 東浜港から高速艇と竹島(亀島)
5枚目 相互支所の屋上から眺める箱崎港
6枚目 西浜港















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さとくん仕事場

2019年03月01日 | 平成31年・令和元年因島・田熊・仲間の話題
椋浦にあるさとくんの仕事場にて。
管理人「おっ ちゃんと仕事しょ~るじゃん」
さとくん「当たり前よ~ ぶち忙しいんじゃ」
さとくん「尾道の看板は9割方ウチがしょ~るけぇの~www」
相変わらずの"大言壮語"です(笑)。
さとくん「写真撮るなら、品物が写らんようにせ~よ、企業秘密じゃ」
管理人「品物の値段表じゃね。ちゃんとボカシいれるよ」

という訳で画像は加工しています。素顔はコチラからパスワードを入力してご覧ください。



コメント (4)
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