風のように

ゆらり 気ままに 過ごすとき
頭の中は妄想がいっぱい
錯覚の中で生きるのが楽しみ

ミサンガ

2016-03-06 03:06:41 | 心理と真理
ミサンガを見ると思い出すことがある
もう何十年も前のある春の日のこと

父の実家で従兄達と遊んだ帰りだったのか
小学校の帰り道だったのか覚えていない

いつもはただ前を通るだけのお家
その奥まった玄関先で腰を下ろし

箕(昔の農具)の中の干した豆の
ごみ取りをしている老女に

引き寄せられるように近づいた
二人して筵の上に腰下ろし

二人して豆のごみを取り除いた
頭の中で覚えていることは

「お前はどこの子な?」と老女
「東垣内の正の子」

「正の子な!浪の子な?」
こっくり頷くと

「そうな浪の子な!」と
表情をくずし私の手を優しく撫ぜた

「お前の母ちゃんなこの家に居ったんやぞ」
「?.…」

老女の話しは続く
「これはな」と腕にはめた輪ゴムを指差した

その皺が寄った手の輪ゴムは糸屑や埃が巻き付いていた
「このゴムが切れる頃にはな、町に住んどる息子が会いに来てくれる」

「わしが淋しないように、息子が俺と思ってくれって付けていってくれた」
独り暮らしの老女はそれが日々の望みだったろう

その老女と同じ年頃になった今になって
あれから会いに行かなかったことが悔やまれる


浪の子かと懐かしまれた訳
母はこの老女の家の次男の嫁だった

老女の長男は都会に出て次男が跡を取っていたが
次男は子供が出来ないまま亡くなりその嫁を他家に後妻として嫁がせた


蔵の母の箪笥の奥で見つけた半分に切られた写真
なんとなく蟠りのある姉や兄達との仲

幼心のなんだかモヤモヤしていたものが
この老女との出会いで解けたようだった

会ってはいけない人のような気がして
あれからもう老女に会いに行けなかった…

コメント
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