この道の果てまで・・・

ただ純粋に ただ一途に歩む時
突如として それまでとは まったく違う
次元の異なる大地が あなたの目の前に姿を現す。

毎瞬の様に 大いなる空間へと溶けてしまっている あなた

2016-11-29 10:29:16 | Weblog






あなたの中から

それまでの あなたが

次々と無くなり




あなたの中の

それまでの あなたが

無くなり 失われる事に依って

新しく生まれた何も無い空間こそが

新たな あなたの姿です。




何も無い空間が

あなたなのですが




何も無い

空間と言う

言葉から あなたは

或いは実際に何もかもが

無くなってしまった あなたの中の

空っぽに成ってしまった空間の




どれを あなたが

あなたと捉えてしまうのかが

とても重要なのです。




多分 最初の内は

目に見える空っぽに

成ってしまった外枠と言うか

外郭と言うか大枠を捉えて

しまっているのだと思います。




それでは

あなたは空間の

入っている器の方を

捉えてしまっているのです。




何も無い

空間では無く

何も無い空間の入っている

器の方を あなたは何も無い

空間として捉えてしまっています。




何もかもが

無くなってしまった

空間の器は確かに有ります。




だから

どうしても

そちらの方に

目が行ってしまうのです。




そうでは無くて

器の中には何もかもが

無くなってしまっていて

何も入っていないでしょう?




空っぽの器だけが

あなたの目には映っています。

でもね 静かな気持ちのままで

その空っぽの器に じーっと

見入っているのです。




透明で何も

無い様にしか見えません。

そうです。目に映るものは確かに

何も見えないのです。




透明な空間が見えている

だけなのです。だから透明な

空間の方には目が行かずに

見えている器の方へと目が

向いてしまうのです。




でもね

空っぽの器だけしか

目に映らずに その中には

何もかもが無くなってしまった

空間しか無いのに あなたが

向き合ってしまい その何も無さを

受け容れて上げてしまっていると

ちっとも虚しく成らないのは一体

何故なのでしょう?




本当ならば

何かもが無くなり

心細くて虚しくて堪らない

はずなのです。なのに あなたと来たら

ちっとも心細くなど無いのです。




何も無さは

あなたが逃げ回らずに

受け容れて上げてしまえば

あなたを脅かす存在などでは

無かったのです。




むしろ

あなたが

逃げ回らなくて

済むだけでは無くて




何もかもが無い

その場所は あなたが

受け容れて上げてしまえば

とても落ち着きますし とても

楽な場所だと言う事が身を持って

解る事が出来ます。




けれども

あなたが折角

見つけ出す事の出来た

落ち着く事が出来る場所も

あなたが居つく事は出来ないのです。

何故ならば次の瞬間には綺麗さっぱりと

何もかもが無くなってしまいます。




だから

その場所も

あなたの安住の地では

無かったのです。




けれども

嘆かないで下さい。

折角 見つける事の出来た

落ち着く事の出来る場所そのものは

次の瞬間には綺麗さっぱりと何もかもが

跡形も無く確かに無くなってしまっています。




確かに何もかもが

跡形も無く無くなって

しまったけれども そこには

真新しい何もかもが無くなってしまった

何も無い空間が生まれてしまっているのです。




生は

何も無常な事など

してなどいないのです。




むしろ

真新しい生を

あなたの目の前に

ちゃんと用意してくれて

いたのです。それは いつも

そうでした。けれども あなたが

嘆いたり悲観に暮れたりする事で

その事実を見い出す事が出来なかった

だけなのです。




あなたの中の

何もかもが失われてしまった

空っぽで何も無い 静かな目で

辺りを見渡していれば それは

自然に見えて来てしまいます。




死は生なのです。

それまでの あなたの死は

新たな あなたの誕生なのです。




死は こちら側への

誕生であり それは怖れる事でも

何でも無いのです。それは むしろ

喜んで迎え入れて上げる事なのです。




誕生も やがて

時間の経過と共に

直ぐに死を迎えてしまいます。

それは過去へと永遠に消え去り

無くなってしまいます。




けれども それは真新しく

なった あなたで帰って来る

事なのです。だから喜んで見送って

上げられる事です。死と誕生の両方を

同じ様にして 同じ扱いで あなたが

受け容れて上げてしまう事なのです。

死や誕生や生に対して それだけしか

あなたには出来ませんから




いいえ

それならば

あなたにも出来るのです。

何で有れ あなたの目の前に

起こる事の全てを逃げ出さずに

全面的に肯定して上げてしまい

受け容れて上げてしまう事ならば

あなたにも充分に出来る事です。




あなたの中で

四六時中の様にして

行われている あなたの

生に死に誕生に あなたも

大いに関わる事が出来るのです。




無関心などでは

居られないのです。

だって もしも あなたが

無関心でいたならば あなたの中で

次々と行われている あなたの生も

死も 誕生も全てが行き当りバッタリでしか

無く成ってしまいます。常に注視し共に

生きる事が あなたには可能なのです。




人任せや

生(神)任せになど

しない事です。




あなたに

与えられた

生なのですから




あなた本位に

して 上げたら

良いだけなのです。




それは

いわゆる

自分本位とは

全く違います。




何もかもが

無くなってしまった後の

何も無い空間としての あなたを

受け容れて上げてしまった




その

何も無い

空間としての

あなた本位の

事なのですから




どうぞ

勘違いなど

召されませぬ様に




その空間の

器の方では無くて

器の中には内包している

目には見えないものが

そこには確かに何かが

存在してます。




その何かが

在る事に依って

あなたは ちっとも

虚しく無いのです。




何かは解らないけれど

何も解らないままに あなたの中に

確かに存在している何かを受け容れて

上げてしまったら良いだけなのです。




すると それが

出来てしまうだけで

あなたの中味が芯から

満たされ切ってしまうのです。




落ち着けて

楽に生きられる

どころの騒ぎでは

無いのです。




あなたの中に

あなたが何も出来ていないし

何も成し遂げていないし何も

手に入れなどいないのにも拘らず

満たされ切ってしまった喜びが

溢れてしまうのです。




それは あなたの中に

確かに在る 目には見えない

何かを何かが解らないままで

受け容れて上げてしまう度に大きく

満たされてしまうし喜びが溢れだして

しまうのです。




何も無い空間としての

中味の方こそが あなたが

受け容れて上げてしまう必要の有った

本当の あなたの姿だったのです。




そして それこそが

何も無い空間としての

あなたの事を受け容れて

上げてしまっている事なのです。




何も無い空間の中の

透明で純粋で無垢で活き活きとした

空間は あなたの身体の外側に何処までも

広がる壮大な空間で在る 宇宙そのものと

一つながりに 繋がっていて それは

宇宙と ひとつのものなのです。




だから本当は

あなたが目覚めてさえいれば

あなたは一度も孤立などした事など

無かったのだと気づけてしまいます。




あなたの目を

一度でも開いたならば

孤立など有り得ない事です。




誰も居なくたって

あなたは孤立などして

いないのです。




壮大な

宇宙の空間と

常に ひとつに

繋がったままなのです。




壮大な宇宙の

空間に内包された

ままなのです。




あなたの

生まれ出て来た所も

そこだし あなたが

帰る場所も そこなのです。




その場所と

溶けて上げたら

良いだけなのです。




何も無い

空間を受け容れて

上げてしまい あなたが

居なく成った途端に




あなたは

大きな宇宙の中に

溶けてしまっています。




大きな

宇宙の中に

あなたは委ねられて

しまっています。




もう

あなたを

あれこれと

操作しようなんて

する必要など 全く

無いのです。


















































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