今日は母の誕生日だ。
一年中毎日が誰かの誕生日だし、祝われない人もいる。 だからわたしは自分の誕生日も発表しないし、他のだれかが読める形では祝わない。
でも、今年はわたしはとうとう母の亡くなった歳に追いつくので、特別だ。
母の歳まで生きるのが目標だった。
わたしの誕生日が来るまでは正確にはまだだけど、歳はお正月にとるものだと、誕生日が祝われなかったことから考えれば、もう達成でよいかと思う。
わたしというものは たとえば ひとつの結び目
ただひとつのかたちに ふわりと あるいはしっかりと
わたしというものは たとえば 一通の手紙
託され 語り継がれ あるいは抜け落ち
わたしというものは たとえば ひとつの歌
ささやくように あやすように ときには他の歌と重なり
歌には始まりと終わりがある
手紙を読む人もなく
結び目はやがてほどけるだろう
そうしてみな還ってゆくのだ
一年中毎日が誰かの誕生日だし、祝われない人もいる。 だからわたしは自分の誕生日も発表しないし、他のだれかが読める形では祝わない。
でも、今年はわたしはとうとう母の亡くなった歳に追いつくので、特別だ。
母の歳まで生きるのが目標だった。
わたしの誕生日が来るまでは正確にはまだだけど、歳はお正月にとるものだと、誕生日が祝われなかったことから考えれば、もう達成でよいかと思う。
わたしというものは たとえば ひとつの結び目
ただひとつのかたちに ふわりと あるいはしっかりと
わたしというものは たとえば 一通の手紙
託され 語り継がれ あるいは抜け落ち
わたしというものは たとえば ひとつの歌
ささやくように あやすように ときには他の歌と重なり
歌には始まりと終わりがある
手紙を読む人もなく
結び目はやがてほどけるだろう
そうしてみな還ってゆくのだ
みけこの空中庭園を引っ越しました。 あたらしい場所は http://miquette.la.coocan.jp/ です。
見た目はなんにも変わってませんが。
アットhomepage終了を期に、長年親しんだlaputaも片付けて、coocanにまとめました。 内容が古かったり、外部へのリンク等が切れてるとかは、おいおい直します(^^;ゞ
それとともに、てるみんるーむも引っ越しました。 あたらしい場所は http://miquette.la.coocan.jp/theremin.htm です。
あの日・・・「大阪のほうで地震らしい」朝一番、ラジオを聴いていた夫からの言葉で起きました。
えええっ?! あわててテレビをON、やがてどうも神戸付近がたいへんと、次々と入ってくる映像に茫然。 知っているはずの場所の風景が知らない姿に変貌していました。
大阪市内の実家は留守番電話(父はたまたま郷里の石川県にいて無事)、海外にいる友達への電話、関西方面への電話はすぐにつながらなくなってしまいました。 近所の方から神戸方面へ物資を運ぶトラックが出るからと聞いてお水などを渡して・・・気がついたら、ずっとパジャマにガウンという格好のままでした。
しばらくはニフティサーブ(パソ通)では地震関連の利用が無料になり、安否情報、物資情報、ボランティアの方への銭湯情報、などを書き込みました。
年月が過ぎて周囲でささやかれる「もう大丈夫よね」との言葉に、そんなわけない!と思い続けました。
2011年の震災のときには、震源から遠く離れていても経験したことのない大きく長い揺れが繰り返し起き、とても怖い思いをしました。 全面的にではありませんが、交通に支障が出たり物資が不足したりも。 そんなとき、阪神方面の友達に助けられました。
とても心強くうれしくて・・・翻って、わたしはあの時、何ができたんだろう? もっとできることがあったのでは?と思いました。
もう20年も経つんですね。 でも、これから先も1月が来るたぴに思い出さないことはないでしょう。
えええっ?! あわててテレビをON、やがてどうも神戸付近がたいへんと、次々と入ってくる映像に茫然。 知っているはずの場所の風景が知らない姿に変貌していました。
大阪市内の実家は留守番電話(父はたまたま郷里の石川県にいて無事)、海外にいる友達への電話、関西方面への電話はすぐにつながらなくなってしまいました。 近所の方から神戸方面へ物資を運ぶトラックが出るからと聞いてお水などを渡して・・・気がついたら、ずっとパジャマにガウンという格好のままでした。
しばらくはニフティサーブ(パソ通)では地震関連の利用が無料になり、安否情報、物資情報、ボランティアの方への銭湯情報、などを書き込みました。
年月が過ぎて周囲でささやかれる「もう大丈夫よね」との言葉に、そんなわけない!と思い続けました。
2011年の震災のときには、震源から遠く離れていても経験したことのない大きく長い揺れが繰り返し起き、とても怖い思いをしました。 全面的にではありませんが、交通に支障が出たり物資が不足したりも。 そんなとき、阪神方面の友達に助けられました。
とても心強くうれしくて・・・翻って、わたしはあの時、何ができたんだろう? もっとできることがあったのでは?と思いました。
もう20年も経つんですね。 でも、これから先も1月が来るたぴに思い出さないことはないでしょう。
父の郷里にあったお墓を閉じに行ってきました。
それは父と母だけが入るためのお墓で、母は24年前からそこに居ました。 今回、父の納骨をと思っていたのですが、事情が変わって、逆に母を迎えに行くことに。
町の墓地は森の緑の中、気持ちよく晴れた空の下、わたしたち夫婦と叔母夫婦だけでお経を詠唱しました。
お墓は後日、撤去されて更地になります。 父が自分が入るつもりで買ったお墓でしたが、結局は入ることなく・・・まさかそうなるとは思っていなかっただろうなー。
父の生きた足跡がまた一つ消えました、ちょっと死神の気分。
それは父と母だけが入るためのお墓で、母は24年前からそこに居ました。 今回、父の納骨をと思っていたのですが、事情が変わって、逆に母を迎えに行くことに。
町の墓地は森の緑の中、気持ちよく晴れた空の下、わたしたち夫婦と叔母夫婦だけでお経を詠唱しました。
お墓は後日、撤去されて更地になります。 父が自分が入るつもりで買ったお墓でしたが、結局は入ることなく・・・まさかそうなるとは思っていなかっただろうなー。
父の生きた足跡がまた一つ消えました、ちょっと死神の気分。
7月の終わりのこと、近くで猫の里親会(譲渡会)があるというので、見学に行きました。 今すぐではないけれど、いずれはお迎えしたいと思っていたので。
おとなのにゃーが多い中、「こっちこっち」と手招きされた先には子猫三きょうだい。 「どうぞだっこを」と言われるがままに・・・トラのおとこのこはわたしのひざの上で手を枕にうとうと、三毛のおんなのこは活発でまわりをキョロキョロ。 久しぶりの子猫の感触、軽ーい柔らかーい暖かーい! 夫がスマホで写真を撮ってくれました。
かわいかったねー、ちっちゃかったね、で終わるはずだったのだけど・・・気持ちはメロメロのグラグラ、日に日に我が家にお迎えしたい気持ちがむくむくとふくらんでしまいました。 でも、一日のほとんどを寝て過ごすわたしの体力で世話ができるのか、入院のときはどうするか、オープンでガード不可能な台所は危険なんじゃないか、などなど10日間ほど悩みに悩んだ末・・・三毛のおんなのこをお迎えしようと決心しました。
小さなうちはなるべくきょうだいで過ごしたほうが社会性が身に付くということなので、トラのおとこのこも一ヶ月ほど我が家でお預かりすることになり、ふたりははるばる山梨県から一緒にやって来たのでした。
おんなのこはトリニティ、おとこのこはももたろうと名づけました、トリももコンビの誕生です。
トリはちょっと繊細なおねえちゃん、ももは甘えん坊な弟かな。 でも、ふたりとも怖いもの知らずですぐに新しい環境に慣れてくれてひと安心。
お預かりだけのつもだったもも・・・ブラッシングのときに、お互いが見えていると遊びたくて落ち着かなかったので、トリを抱いて別室に移動したところ、ももが今までにない大きな声で鳴いてトリを呼ぶのでびっくり。 走って遊んでいて姿を見失ったときも、大声ではないけれど鳴いて呼ぶこともあるし、こんなに仲良しなふたりを引き離すのが忍びなくなってしまい・・・またしてもだいぶん悩んだのですが、やっぱりももたろうもうちの子にすることに決めました。
自分の家ににゃーたちが居て、毎日会える! あまりのうれしさに、なんだかまだ実感がわきません。 いいえ、決して我が家の「持ち物」ではなないんですよね。 神様から預かったちいさな「命」、せいいっぱい大切にしていきたいです。
おとなのにゃーが多い中、「こっちこっち」と手招きされた先には子猫三きょうだい。 「どうぞだっこを」と言われるがままに・・・トラのおとこのこはわたしのひざの上で手を枕にうとうと、三毛のおんなのこは活発でまわりをキョロキョロ。 久しぶりの子猫の感触、軽ーい柔らかーい暖かーい! 夫がスマホで写真を撮ってくれました。
かわいかったねー、ちっちゃかったね、で終わるはずだったのだけど・・・気持ちはメロメロのグラグラ、日に日に我が家にお迎えしたい気持ちがむくむくとふくらんでしまいました。 でも、一日のほとんどを寝て過ごすわたしの体力で世話ができるのか、入院のときはどうするか、オープンでガード不可能な台所は危険なんじゃないか、などなど10日間ほど悩みに悩んだ末・・・三毛のおんなのこをお迎えしようと決心しました。
小さなうちはなるべくきょうだいで過ごしたほうが社会性が身に付くということなので、トラのおとこのこも一ヶ月ほど我が家でお預かりすることになり、ふたりははるばる山梨県から一緒にやって来たのでした。
おんなのこはトリニティ、おとこのこはももたろうと名づけました、トリももコンビの誕生です。
トリはちょっと繊細なおねえちゃん、ももは甘えん坊な弟かな。 でも、ふたりとも怖いもの知らずですぐに新しい環境に慣れてくれてひと安心。
お預かりだけのつもだったもも・・・ブラッシングのときに、お互いが見えていると遊びたくて落ち着かなかったので、トリを抱いて別室に移動したところ、ももが今までにない大きな声で鳴いてトリを呼ぶのでびっくり。 走って遊んでいて姿を見失ったときも、大声ではないけれど鳴いて呼ぶこともあるし、こんなに仲良しなふたりを引き離すのが忍びなくなってしまい・・・またしてもだいぶん悩んだのですが、やっぱりももたろうもうちの子にすることに決めました。
自分の家ににゃーたちが居て、毎日会える! あまりのうれしさに、なんだかまだ実感がわきません。 いいえ、決して我が家の「持ち物」ではなないんですよね。 神様から預かったちいさな「命」、せいいっぱい大切にしていきたいです。
6月に、リウマチのイベントで盛岡へ行ってきました。
あとで写真を見た夫から「三毛ちゃんものすごく楽しそうな顔w」と言われました。 だって、実際にものすごく楽しかったんだもん!
はじめての盛岡、はじめての東北新幹線、現地のお友達の車で案内してもらえてありがたかったです。
一日目は宮沢賢治ゆかりの場所を巡る計画をたてていた方に同乗させてもらって花巻をめぐり、最後に花巻温泉のバラ園にも立ち寄りました。 広大ではないけれど、傾斜地を活用した素晴らしいバラ園でした。
二日目は八幡平を目指してドライブ、途中で寄ったお店でさくらんぼ(べにさやか)を食べながら秋田県との県境まで。 八幡平は霧で岩手山もあまり見えませんでしたが、とても幻想的でが夢のよう。 残雪の湿原に咲く高山植物が可憐でした。
そして、小岩井牧場でお昼ご飯、オムライスが美味(^^) おやつにソフトクリームも食べました。
たくさん食べたのに、なんと夕飯にはわんこそばに挑戦! おねえさんの「はい、どんどん」「じゃんじゃん」「もー一杯」とテンポが良く可愛い掛け声に、65杯食べました。
他にも、さんさ踊りや鬼剣舞の鑑賞、そして何人もの友達との再会。
梅雨時なので曇りがちでしたが、土砂降りにはあわず幸いでした。
何百枚も写真を撮ったのですが、その一部をアルバムにしましたこちらです。
今更ながら岩手の地名の美しいこと。 花、石、雫、泉・・・自然がいっぱいでキラキラしていました。 また行ける機会があればいいな。
あとで写真を見た夫から「三毛ちゃんものすごく楽しそうな顔w」と言われました。 だって、実際にものすごく楽しかったんだもん!
はじめての盛岡、はじめての東北新幹線、現地のお友達の車で案内してもらえてありがたかったです。
一日目は宮沢賢治ゆかりの場所を巡る計画をたてていた方に同乗させてもらって花巻をめぐり、最後に花巻温泉のバラ園にも立ち寄りました。 広大ではないけれど、傾斜地を活用した素晴らしいバラ園でした。
二日目は八幡平を目指してドライブ、途中で寄ったお店でさくらんぼ(べにさやか)を食べながら秋田県との県境まで。 八幡平は霧で岩手山もあまり見えませんでしたが、とても幻想的でが夢のよう。 残雪の湿原に咲く高山植物が可憐でした。
そして、小岩井牧場でお昼ご飯、オムライスが美味(^^) おやつにソフトクリームも食べました。
たくさん食べたのに、なんと夕飯にはわんこそばに挑戦! おねえさんの「はい、どんどん」「じゃんじゃん」「もー一杯」とテンポが良く可愛い掛け声に、65杯食べました。
他にも、さんさ踊りや鬼剣舞の鑑賞、そして何人もの友達との再会。
梅雨時なので曇りがちでしたが、土砂降りにはあわず幸いでした。
何百枚も写真を撮ったのですが、その一部をアルバムにしましたこちらです。
今更ながら岩手の地名の美しいこと。 花、石、雫、泉・・・自然がいっぱいでキラキラしていました。 また行ける機会があればいいな。