快風走

走っているとき、そして、走った後の風の心地よさはランニングの最高の楽しみです。

回想録・2017萩往還完踏記④完~激痛のなかの至福~

2020-05-07 22:11:27 | 萩往還2017
JN完走記の転載シリーズ「2017萩往還完踏記」も最終回。

読み返すと、いろんな思い出が次から次へと脳裏を駆け巡る。
涙がでるほど懐かしい。

虎が崎からゴールまでは約42㎞。
残り7~8時間でフィニッシュすれば70㎞のスタートに間に合うはずだったが、往還道に入るあたりで膝が完全に終了。

痛みで走ることはできず、往還道の下りは、激痛に耐え、片足ずつ降ろして、とぼとぼと進まざるを得なかった。

でも、なんとかゴールできたのは、すれちがう70㎞、35㎞のランナー、ウォーカーさんたちの素敵な応援があったからだ。

【2017萩往還完踏記④完】
≪玉江駅(195.5㎞)~陶芸の村公園(CP14、216.6㎞)≫

浜崎緑地公園(CP11、198.5㎞)は見落としやすいチェックポイントなので、歩道にはこれでもかというぐらい何重にも白線が引いてあった。

これで見落としたら、相当疲労困憊しているか、走りながら寝ているか、だね。

たっぷりと日も暮れて、ヘッドライトを点灯した。

萩往還のために新調したモンベルのヘッドライトは、カタログの点灯時間よりもずいぶん早く暗くなった。
往還道へ入る前に予定外の電池を交換しないといけなかった。
新しく使うものは事前にしっかりと予行演習しておかないといけないと自戒した。

萩焼会館前(200.2㎞)で、走行距離も200㎞を超えた(コースアウト分を入れると、もうちょっと手前だけど・・・)。

これまでの最長距離は、2015年にkuroさんと走った俺チャレ「2 Seas 2 Summits  200k」で、沙美海岸から皆生温泉まで走った200㎞。

このときは大山(170㎞)から、ゴールの皆生温泉まではボロボロだった。

あと5㎞ってとこで、Kaihataさんから生電話。
「頑張ってる? もうゴールした?」って声を聞いたら、突然、涙が噴き出てきた。
ウルトラは涙腺を緩ませるみたいだ。
kuroさんと並走していたけど、ぼろぼろ泣いているのを悟られないように、無理やりスピードアップして、ちょっと前を走った記憶がある。


あの甘く懐かしい「俺チャレ2015」を超え、いよいよ自分にとっても未知の距離に突入した。

だが、眠気はなし。
内臓も大丈夫。
脚は当然に重いが、なんとか動くことは動く。

ただ、左膝がだんだんと痛くなってきた。
腸脛靭帯をやってしまった。 
ごまかしながら走り続けるが、歩道の小刻みなアップダウンが容赦なく膝を痛めつけてくる。

走りにくい歩道をいかにうまく克服するかが、もしも来年「250㎞+70㎞」にチャレンジする場合の課題かもしれない。

浜崎緑地公園から笠山入口(204.0㎞)までは、実際の距離以上に遠く感じる区間。 

左側の歩道を走っていると、対向の歩道に笠山を折り返してきたランナーのヘッドライトがみえた。
約10分ほどして次のランナーも。
越ヶ浜駅の手前あたりですれ違ったので50~60分の差ってとこだった。

もちろん、暗いのでどこの誰かは分からない。
明神池(204.5㎞)でも、もう一人ランナーとすれ違う。

笠山のえぐいアップダウンをなんとかしのいで虎ケ崎(CP12、207.4㎞)に到着。

記帳すると、4位(5位だったかも・・・)だった。
記憶が確かならば、ですが・・・。

3日午後9時ぐらい。
36時間ペースからは1時間ほど速かった。

自分のコースマップには昨年の1位の方の通過タイムも書き込んでいた。
33時間でゴールしたHさんが午後7時14分の記帳。
それと比較しても、まあまあのペースだった(去年は暴風雨の悪条件だったので単純比較はできません)。 

虎ケ崎からゴールまでは約7~8時間を想定していた。

昨年の140㎞のときは5時間20分ぐらいだったが、250㎞では到底無理。

ただ、7~8時間かかったとしても、4日午前4~5時にはゴールできるので、このときは「やったね! なんとか70㎞をスタートする権利だけは得られたかな♪」と、内心は喜んでいた。

記帳とチェックシートへのパンチを終えて、待望のカレーをいただいた。

 3か所あるカレーエイドのうち、ここのカレーが一番辛めかな。
自分の好みにあっていた。
冷蔵庫にビールがみえたけど、やはり、ここでもアルコールは我慢した。

ごちそうさまを言って出発。

ほぼトレイルといっていい約2㎞の自然探勝路のアップダウンが膝に響く。
リスタート直後の固まった脚は、ソフトに扱うことが大切なのに、大腿四頭筋のふんばりも効かなくなっていた。

昨年の140㎞のときは、早朝、脚のきれいな美ジョガーにずっとくっついて走ったが、今年は真っ暗な闇の中ただ一人。
ネコちゃんのぴかっと光る眼に驚いたり、けっこう怖かった。

笠山をでて、越ヶ浜駅前をすぎたあたりのコンビニで単4電池購入。
ついでに左膝のテーピングもした。
いつもは「ひざかんたん」という既成テープを使用しているので、自分でハサミでテープを切ってテーピングをしたことがなかった。

だいたいこんな感じかなって張り付けても、スプレーしまくったサロンパスのせいか、こびりついた汗のせいか全然くっつかない。
いいかげんにぐるぐる巻きにして走り出すものの、逆に走りにくくなった。
次はテーピングもきちんと勉強しておかないとね。

松陰神社を経て、金照苑(CP13、215.7㎞)から最後のチェックポイントの陶芸の村公園(CP14、216.6㎞)へ。

昨年はカレーで復活して元気に駆け上がれた陶芸の村公園への急坂は、脚がほぼ終わった今年はトボトボと歩いて上がるしかなかった。 

ここにはエイドがあっておにぎりが食べられると思ったけど、なぜか、テントは真っ暗。
チェックパンチのある看板だけが、チカチカの反射ワッペンで点滅していただけだった(エイドは4日午前7時からだった)。

でも、なんとか、とりあえず、14か所全部のチェックは終えた。
ずっと首にかけていたチェックシートをザックに大切にしまい、ベストのウィンドブレーカーとアームカバーをとりだした。 

あと残り35㎞。

楽しみにしていた往還道を残すだけだったが、膝はますます悲鳴をあげてきた。


≪陶芸の村公園(CP14、216.6㎞)~ゴール香山公園・瑠璃光寺(251.1㎞)≫

ずぎずきする膝をだましだまし走る。
あと、たった35㎞。
なんとか持つかな、とは思っていた。

ただ、70㎞をスタートできても、完踏する自信はまったくなかった。 

涙松跡(221.3㎞)をすぎ、約2㎞の登山道(&ロード)の短い峠越え。

平坦なロードではごまかしが効いたが、足元の不安な急坂のトレイルで、膝痛は一気に限界を超えてしまったようだ。 

下りでふんばりが全くきかず、膝に激痛が走った。
歩きに変えても痛みはおさまらない。

トレイルを終えて、明木エイドへの平坦なロードもまったく走れなくなった。
というか、歩いても激痛が生じるので、左脚をひきずりながらなんとか進むだけ。 

「(+70㎞のチャレンジは)終わったな・・・」と思った。

225㎞地点だった。

痛みを我慢して無理やり走れないことはない。

でも、そうするとランナー生命に終止符を打つことになるので、ダメージが最小になるようにゆっくりと歩いてゴールすることに決めた。
残念だけど、仕方ありません。

明木エイド(226.9㎞)は、4日8時からのはずだが、すでに開いていた。

おまんじゅうを3種類とお茶をいただいた。美味しかった。

36時間ペースは4日午前1時15分。
全く時間は覚えていないが、ほぼこのくらいの時間だったかも。

エイドをでたとき、一升谷をものすごい勢いで駆け降りてきた140㎞のランナーにすれ違った。
大阪のKさん。一昨年の優勝者。
昨年は序盤トップを独走していたが、コースアウトでリタイアしたらしい(今年はダントツのトップだった)。

私もとぼとぼと一升谷へ。
登りはなんとか頑張れる。 次々と140㎞ランナーがやってくるのかと思ったが、2位、3位のランナーは相当に差が開いていた。

この一升谷。
140㎞に参加した昨年は、登りは全部走りきれた。

2012年に28時間55分でゴールしたよしだ~さんのブログでも「一升谷はずっと走った」とある。
230km走って、登山道の急登を走って上がれるくらいの走力がないと、やはり「250㎞+70㎞」にチャレンジする資格はなさそうだ。

仮に膝が痛くならなかったとしても、駆け上がれたかどうかは疑問なので、もし来年チャレンジするとすれば、もうちょっと走力・脚力を上げとかないといけません。

やがて、すれ違う140㎞のランナーもだんだん増えてきた。 

ラン友のうち、最初に会ったのはちっさいおっさん。
意識がもうろうとしていて、どこかよく覚えていないけど、千持峠(343m)のあたりだったろうか。
まだまだ元気そうだった。

続いて、セカン!さん。
ドラミちゃんの格好は一部ではなじみだが、初めて目にする方にはかなりのインパクトがあるに違いない。
「膝、やっちゃいました。歩いても痛いです・・・」と泣き言を言った。
もっと元気な姿ですれ違うことを夢見てたので、ちょっと残念だった。

「ずっと歩いてゴールしますよ」と言うと、「あと14㎞ぐらいありますよ」の答え。
残りの数字は考えないようにしていたので、具体的な数字を聞いて、先の長さにちょっと気持ちが萎んだ。
でも、セカン!さんに会えたので元気はいただきました。

佐々並エイド(236.8㎞)は140㎞のランナーで賑わっていた。
豆腐ないかなって思って近づくと、あるのはおにぎりだけ・・・。
まだ、ここの名物の豆腐は用意できていなかった。

お腹がすいていたので、おにぎり2個をとって、ベンチに座ってパクついていると、「あれ、ミールさん!」って、ね~さんが声をかけてくれた。
すぐそばには、かま~ちもいた。 

「パワーもらおうかな!」って、ね~さんが握手を求めてきたけど、おにぎりの米粒が指先についている。
握手か、米粒か、どっちを優先しようか、迷ったけど、米粒をさっと舐めとって、ぐっとね~さんの手を握ってしまった。
ね~さん、ちょっと汚くてすみませんでした。

ペルピエのIさんとすれ違ったのは、佐々並の前か後か記憶が確かじゃない。
去年140㎞をリタイアしたIさんは今年がリベンジ。
かなりハイテンションで、けっこう元気をいただいた。

ちっさいおっさん、セカン!さん、ね~さん、かま~ち、Iさん、全員が140㎞を見事に完踏した。
おめでとうございました!
すれ違ったときのみんなの笑顔はとてもよく覚えている。
思い出すたびに心地よい快感に浸ることができる。

ただ、私が見せていたのは、きっと痛みを我慢して意気消沈した顔。
だめだったね、そんなんじゃ。みなさん、すみませんでした。

(佐々並エイドをでて、県道262号線をとぼとぼと歩いていたときに【完踏記②】の事件が起こるが再掲はしない)

上長瀬一里塚あたりで140㎞の最終ランナーが通り過ぎた。

250㎞ランナーには4~5人に抜かれていた。

萩往還最高地点の板堂峠(545m)からの往還道の約3㎞の下りは、もうなんて言ったらいいのか、天国の無上の楽しみと地獄の軽めの苦しみが入り混じる至福のひとときだった。


板堂峠の下りに入ったあたりから70㎞、35㎞の参加者のボリュームゾーンとすれ違うことになる。

次から次へとランナーがたくさんやってくる。

みなさん、口々に、「お疲れさま!」、「お帰りなさい!」、「あと、ちょっとでゴールですよ!」って声をかけてくれる。

このエールが萩往還マラニックの真骨頂。

しっかりと相手の顔を見てのエールで、一言一言が心にずんずんと響く。

私も、「ありがとうございます!」、「行ってらっしゃい!」、「ゴールまで頑張ります!」って、できるだけすべてに答えた。 
ただ、どうしてもうつむきかげんになるので声だけ返さざるを得ないことが多かった。

見ず知らずの私を暖かく応援してくれる幸福感が天国、一歩一歩の膝の激痛が地獄。 

こんなに応援してくれるランナーの方々がいなかったら、ずっと地獄の苦しみだけを味わって往還道を下っていたはず。

36時間以内にゴールできなかったけど、感動的な完踏にはベストタイミングだった。
みなさん、ありがとうございました。

70㎞、35㎞ランナー、ウォーカーの波も一の坂ダムで終わった。 あとは激痛が残るのみ、と思った矢先、前方にうずらさんがいた。
湯本でリタイアしたらしい。

最後の最後で知り合いに応援してもらって、なんとかラスト2㎞も歩ききってゴール。 フィニッシュテープは走ってゴールしたかったが、走ることもできない状態。

バンザイだけのポーズを決めて写真撮影してもらった。

私のすぐあとにやぶっちさんもゴールした。

37時間22分39秒。



残念ながら、+70㎞のスタートには全然間に合わなかった。
ゴールもボロボロだった。

昼過ぎからラン友さんたちがゴールする予定なので、それまで仮設テントで仮眠した。
でも、仮眠しても体力が回復しない。
身体がひどくほてり、うごめくように寝返りをうつ。
食べ物も受けつけなくなった。

そのうち意識がなくなって救急搬送される生命の危険を感じた。

やむなく、午後1時30分ぐらいだったかな、タクシー会場を後にして新山口駅に向かった。
岡山まで無事に帰ることが自分のゴールでもあったので・・・。

ただ、いろいろとみなさんのゴール風景を後で知ると、やっぱり無理をしてでも、あの場所にいるべきだったと後悔している。

かま~ちは大泣きしたらしい。
一緒に泣きたかったな。

孤独なはずのランニングをとても豊かな共通感覚スポーツにしているのは、ともに走ったランナーと時間と空間を共有しているからだから(完)。 

★写真はさとじゅんさんが撮影してくれた往還道を下るよぼよぼの私。

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