さくらの日々是好日

余命半年から生還♪今年21年目の【金つなぎ勝ち抜きRoad】を走り続ける、多重がん患者の病老の日々や患者会活動をご紹介!

♪ 鎮魂の電飾が点灯した日、「音やがんめい」こと伊藤元明氏が卒然と逝かれた

2023年12月03日 00時12分16秒 | さくら的非日常の日々

12月3日(日)    晴

午前中に、松阪の学友・岡光彦くんから「がんめいさんが亡くなった」と連絡を受けた。

伊藤がんめいこと、伊藤元明くんは、郷里の県立松阪高校の同窓生である。 日本大学芸術学部に学びながら、フジテレビで「坊や」と呼ばれるアルバイトを続け、やがて音響の道に志し「オフィスG」を主宰。 音やがんめいと異名を取るまでに活躍し、多くの秀作の音響効果を手掛けられた。

現役の新聞記者時代に、ある日「やぁ、元気かい? 今度『夢工場』の<祭の夜 OROCHI>の音響をヤルんだ」とさくら♪のオフィスに現れ、熱弁を奮って行かれた。 夢工場は、『コミュニケーションカーニバル 夢工場'87』と称し、民間が手掛けた最初の大掛かりな博覧会で、1987(昭和62)年7月18日から8月30日まで開催されたフジサンケイグループ・フジテレビ・関西テレビ・ニッポン放送・ラジオ大阪主催のイベントであった。

東京・晴海の東京国際見本市会場と大阪・南港の大阪国際見本市会場(インテックス大阪)で開催され、紙面を通して広報活動に参画した経緯もあり、たびたび会場に通い、テーマ館の中の「魔法のランプ館」で上映された、祭の夜OROCHIも観た。 作品は石森章太郎がプロデュース、特撮を「スターウォーズ」や「エイリアン」などのブライアン・ジョンソンが担当したほどの大作で、確かに、エンドロールに『音響効果 いとうがんめい』と表記があって、友人として誇らしかった。

それから6年後の1993(平成3)年11月23日(土、祝)の夕方。 わたしは、東京・代々木の国立代々木競技場(第1体育館)で、タキシード姿の凛々しいがんめいさんと待ち合わせていた。 この夜、『アサヒビールビッグスペシャル アレーナ・ディ・ヴェローナ【トゥーランドット】東京公演』が予定されており、さくら♪もアサヒビール社からアリーナ特別席に招いていただき、その条件が、「▽ご両名で▽ドレスコードは男性がタキシード、女性は準ずる」というもの。 タキシードを持っている友人はがんめいさんくらいなので、ムリをお願いしたのだった。

満席の代々木体育館で、特別席はひときわ豪奢な雰囲気に包まれ、隣席は某企業の社長ご夫妻、斜め前は故筑紫哲也さんであった。 私たちはオペラの舞台に酔うて満足してがんめいさんのジープに乗った。 車内にトゥランドットの「誰も寝てはならぬ」(歌=ルチアーノ・パヴァロッティ)が響き、「いいね、いいね。ほかになんか聴く?」と無造作に渡されたプラ籠には、クラシックの名盤ばかりが並んでいた。 「さすが、音やがんめい!」と言ったら、嬉しそうに笑っておられた。

さくら♪が、余命半年と宣告されたがんを病み、高校の同級生がたから手厚い応援をいただいていたころ、東京在住だったがんめいさんも折々に見舞いの電話をくださり、ある時などさくら♪が会話中に寝落ちしてしまい、はっと気が付いて夜具の上に転がった子機を耳に当てたら、「おぅ、目が覚めたか?」と聞かれて申し訳なく、恥じ入った。 今の携帯のカケホーダイと違い、電話代がバカにならない時代のことである。

ある時、突然見舞いに来てくださり、生前の夫が彼の兄上と知り合っていたこともあり、しかも熱烈な阪神ファンであると知った夫が大いに喜んで、お昼に上寿司を取り寄せて、夕方までもてなしたりもした。 

想い出は尽きない、がんめいさん。 10月に白血病の診断を受け、抗がん治療中のあっけないご逝去であったそうだ。 ご長女が「夜、看護師さんに体を拭いていただき機嫌よく言葉を交わし、その20分後に息を引き取ったそうです。 本人は多分、自分に何が起こっているのか今も判っていないのでは?」とおっしゃったほどの、安らかな人生の終焉を迎えて逝かれた。

12月1日深夜、享年83歳。 この日は奇しくも鎮魂の電飾点灯式で、がんめいさんも5年前には学友がたと観に来てくださった。 きっと今夜も一番高い一番華やかな電飾に止まっておられることだろう。  謹んで合掌

 


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