「歩くZ旗」みね姉のひとりごと ~矜持 国を護るということ~

私たちを護ってくれている自衛隊を、私が護りたい!そんな気持ちで書いてきました。今は、自衛隊との日々の大切な記録です

「靖国で会おう」という言葉を遺して・・・

2013年07月31日 | 国を憂う
この季節になりますと、


彼らの姿が否応なしに思い起こされます。


それは、特攻隊です。


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70年ほど前に、夏の空に散華していった清冽な若い命を思うと、涙が出そうになります。


彼らの死を、単に悲劇という言葉だけでかたづけることに、私は疑問があります。


確かに、間違いなくこれ以上ないくらいの悲劇ですが、


彼らの遺書や日記などを読み、


彼らの人となりに触れると、そんな簡単な言葉では、


とても片付けることはできない存在だと感じます。






日教組教育やマスコミは、


彼らは洗脳された存在で、


だからこそあのような狂気の行為に及ぶ事ができたのだと、


そういう意図で情報を発信することが多いですが、


(実際、小学生の時に、そういう習い方を私はしました)


このような考え方は、


彼らに対する侮辱だと、憤りを禁じ得ません。


なぜなら、


彼らの手記をきちんと読めば、


彼らは洗脳されたのではなく、嬉々として旅立ったのでもないことが、


よく分かるはずだからです。


出撃命令が降りて、静かに瞑想する方、談笑する方がいる一方で、青白い顔で寝ている方や、


林で一人竹刀を手にして「お母さん」と何度も何度も叫びながら、素振りを何度も何度もして、


死への恐怖を断ち切った方もいました。


この方は、わずか19歳でした…。


また、


多くの人に感動を与える、特攻隊員の手紙も、


この時代は検閲があったら、


本当に書きたいことは書けなかったのだと、主張する人もいます。


ですがこの手紙も、


そういう側面はもちろんあったにしろ、


それでも、彼らの手紙は強制されてたものでも、


意志に反して書いたものでもないということは、


これも、読めば分かるのではないでしょうか。


彼らの手紙は、単に遺書と呼ぶには、


あまりにも痛烈で、哀しく、そして美しさすら感じさせます。


実際に彼らの手紙を読んで一番驚くのは、


その筆跡の美しさと文章の素晴らしさです。


この二点だけ見ても、


当時の日本の教育レベルが、如何に高かったかが伺えるのではないでしょうか。









ちなみに、私が大好きな特攻隊員の一人に、


穴澤利夫少尉がいます。


彼の話は、


「知覧からの手紙」という小説を、


抜粋したサイトがありますので、ぜひご一読下さい。


ここでは、彼の最後を少しだけご紹介します。


穴沢利夫陸軍大尉(中央大学) 昭和20年4月12日、特別攻撃隊「第二十振武隊」隊員として一式戦闘機「隼」にて知覧を出撃、沖縄洋上にて戦死。
「にっこり笑つて出撃した」(当時、知覧高女学生で、出撃を見送った前田笙子さんの日記)穴沢少尉(後に二階級特進で大尉)は、白い飛行マフラーの下に婚約者の智恵子さんから贈られたマフラーを締めていた。「神聖な帽手や剣にはなりたくないが、替われるものならあの白いマフラーのように、いつも離れない存在になりたい」
 穴沢少尉は彼女の一途な思いに、このマフラーを彼女の身替りとして、肌身につけ出撃する。
婚約者へのご遺書の中に「今更何を言ふか、と自分でも考へるが、ちよつぴり慾を言つてみたい」と三つあげている。「一、読みたい本」として「万菓」「旬集」「道程」「一点鏡」「故郷」を挙げ、「二、観たい画」としてラファエルの「聖母子像」と芳岸の「悲母観音」を挙げ、そして「三、智恵子」とあり「会ひ度ひ。.話したい。無性に」とあった。
 ご遺書は最後に「今後は明るく朗らかに。自分も負けずに朗らかに笑つて征く」と締めくくられていた。
 その日、穴沢少尉は、桜を打ち振り見送る前田笙子さんら女学生に、軽く手を挙げ笑みを返して飛び立って征った。

 
そして、穴澤少尉の、婚約者智恵子さんに宛てた遺書がこちらです。

二人で力を合わせて努めて来たが終に実を結ばずに終わった。

希望も持ちながらも心の一隅であんなにも恐れていた“時期を失する”ということが実現して了ったのである。

去月十日、楽しみの日を胸に描きながら池袋の駅で別れたが、帰隊直後、我が隊を直接取り巻く情況は急転した。発信は当分禁止された。

転々と処を変えつつ多忙の毎日を送った。
そして今、晴れの出撃の日を迎えたのである。

便りを書きたい、書くことはうんとある。

然しそのどれもが今迄のあなたの厚情に御礼を言う言葉以外の何物でもないことを知る。

あなたの御両親様、兄様、姉様、妹様、弟様、みんないい人でした。

至らぬ自分にかけて下さった御親切、全く月並の御礼の言葉では済み切れぬけれど「ありがとうございました」と最後の純一なる心底から言っておきます。

今は徒に過去に於ける長い交際のあとをたどりたくない。

問題は今後にあるのだから。

常に正しい判断をあなたの頭脳は与えて進ませてくれることと信ずる。

然しそれとは別個に、婚約をしてあった男性として、散ってゆく男子として、女性であるあなたに少し言って往きたい。

「あなたの幸を希う以外に何物もない。

「徒に過去の小義に拘るなかれ。あなたは過去に生きるのではない。

「勇気をもって過去を忘れ、将来に新活面を見出すこと。

 あなたは今後の一時々々の現実の中に生きるのだ。

 穴沢は現実の世界にはもう存在しない。

極めて抽象的に流れたかも知れぬが、将来生起する具体的な場面々々に活かしてくれる様、自分勝手な一方的な言葉ではないつもりである。

純客観的な立場に立って言うのである。

当地は既に桜も散り果てた。
大好きな嫩葉の候が此処へは直に訪れることだろう。

今更何を言うかと自分でも考えるが、ちょっぴり欲を言って見たい。

1、読みたい本
 「万葉」「句集」「道程」「一点鐘」「故郷」

2、観たい画
 ラファエル「聖母子像」、芳崖「悲母観音」

3、智恵子。会いたい、話したい、無性に。

今後は明るく朗らかに。

自分も負けずに朗らかに笑って往く。

昭20・4・12
智恵子様
     利夫



愛する女性がいながら、


ついに結ばれることなく、


死地へ旅立たねばならなかった穴澤少尉の無念さは、


如何ばかりかと思いますが、


その最後の手紙に宛てて、


「自分はもうこの世にいないのだから、過去を忘れて幸せになって欲しい」


などとは、容易に言える言葉ではないでしょう。


ここに、彼の人格、矜持というものを伺い知る事ができると思います。


また、智恵子さんの


「神聖な帽子や剣にはなりたくないが、
 替れるものならあの白いマフラーのようにいつも離れない存在になりたい」


という言葉が、なんともいじらしく切なく、胸を打ちます。


こんなにも美しい恋が、この世にあったのかと思わずにいられませんでした。


また、


穴澤少尉の最後の「ちょっぴり欲を言ってみたい」という、その欲の、


なんと文学的かつ文化的なことか…。


読みたい本に「万葉集」とありますが、


この時代の高校生くらいの若者(男子)の愛読書といえば、万葉集だったのだそうです。


翻って現在は…と、思わずにはいられません(笑)


また、特攻隊員に限らずですが、この当時の日本軍は


戦地にあっても、自由時間などでは、各々、木を拾って笛を作って楽を楽しんだり、


和歌を詠んだりする姿が多く見られたようです。


しかも、それは、一部の士官などではなく、兵士でした。


またある特攻隊員は、絽刺しという日本独特の雅やかな刺繍をたしなんでいたようです。


出撃命令が下るその日まで。


徴兵されてきているので、


様々な人が集まっているとはいえ、過酷な訓練の合間や戦地にあっても、


雅な事を忘れないというのは、特筆すべきことだと思うのです。


そして、彼らを知ることで、1つの事実が浮かびあがってきます。


それは、


このような人々が軍を構成する兵士だったとして、


南京大虐殺のような暴挙を、果たして行うものでしょうか?


もちろん、


そういう兵士もいたにはいたでしょう。


ですが、この当時の日記などを読めば読むほど、


疑問が湧き上がります。


彼らの手紙は、知覧の特攻記念館に数多く納められていますが、


靖国神社の遊就館にもあります。


ことに靖国神社は、


特攻隊はもちろん、多くの戦地に赴いた軍人たちが、


死に逝く事が分かっているような時に、


「靖国で会おう」と、言い合って分かれた、


いわば、戦死した魂が集う聖地です。


日本人であるなら、必ず一度は行って欲しい場所です。


戦死した御霊を、英霊と呼ぶことは多くの人が知るところだと思いますが、


今の平和は、


多くの英霊によってもたらされたものだということを、


日本人は決して忘れてはいけないと思います。


彼らは、もっともっと生きたかったはずだし、


恋をしたかったはずだし、


恋人をその手に抱きたかったはずだし、


子供をその手に抱きたかったはずだし、


子供の成人する姿を見たかったはずなのです。


彼らが自主的にしろ強制されたにしろ、


いづれ訪れることを願っていた平和のために、その全ての権利を捨てて、


命を散らしました。


その彼らが願っていた平和とは、果たして今日のような日本でしょうか?


そう思うと、8月15日は、英霊に感謝をするに留まらず、


謝罪したい気持ちにかられてしまうのです…。






最後に、穴澤少尉の言葉を再度。


智恵子よ、幸福であれ。

真に他人を愛し得た人間ほど、幸福なものはない。

自分の将来は、自分にとって最も尊い気持ちであるところの、

あなたの多幸を祈る気持のみによって満たされるだらう。



想うだけで心が幸福感に満たされるような相手がいるということは、


何にも替え難い幸福である事は間違いないと私も思います。


真に愛し得た女性を想って、彼は間違いなく幸福感に満たされて、


穴澤少尉は、逝ったのではないでしょうか。


だからこそ、一層哀しく美しく感じます。