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「歩くZ旗」みね姉のひとりごと ~矜持 国を護るということ~

私たちを護ってくれている自衛隊を、私が護りたい!そんな気持ちで書いてきました。今は、自衛隊との日々の大切な記録です

「靖国で会おう」という言葉を遺して・・・

2013年07月31日 | 国を憂う
この季節になりますと、


彼らの姿が否応なしに思い起こされます。


それは、特攻隊です。


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70年ほど前に、夏の空に散華していった清冽な若い命を思うと、涙が出そうになります。


彼らの死を、単に悲劇という言葉だけでかたづけることに、私は疑問があります。


確かに、間違いなくこれ以上ないくらいの悲劇ですが、


彼らの遺書や日記などを読み、


彼らの人となりに触れると、そんな簡単な言葉では、


とても片付けることはできない存在だと感じます。






日教組教育やマスコミは、


彼らは洗脳された存在で、


だからこそあのような狂気の行為に及ぶ事ができたのだと、


そういう意図で情報を発信することが多いですが、


(実際、小学生の時に、そういう習い方を私はしました)


このような考え方は、


彼らに対する侮辱だと、憤りを禁じ得ません。


なぜなら、


彼らの手記をきちんと読めば、


彼らは洗脳されたのではなく、嬉々として旅立ったのでもないことが、


よく分かるはずだからです。


出撃命令が降りて、静かに瞑想する方、談笑する方がいる一方で、青白い顔で寝ている方や、


林で一人竹刀を手にして「お母さん」と何度も何度も叫びながら、素振りを何度も何度もして、


死への恐怖を断ち切った方もいました。


この方は、わずか19歳でした…。


また、


多くの人に感動を与える、特攻隊員の手紙も、


この時代は検閲があったら、


本当に書きたいことは書けなかったのだと、主張する人もいます。


ですがこの手紙も、


そういう側面はもちろんあったにしろ、


それでも、彼らの手紙は強制されてたものでも、


意志に反して書いたものでもないということは、


これも、読めば分かるのではないでしょうか。


彼らの手紙は、単に遺書と呼ぶには、


あまりにも痛烈で、哀しく、そして美しさすら感じさせます。


実際に彼らの手紙を読んで一番驚くのは、


その筆跡の美しさと文章の素晴らしさです。


この二点だけ見ても、


当時の日本の教育レベルが、如何に高かったかが伺えるのではないでしょうか。









ちなみに、私が大好きな特攻隊員の一人に、


穴澤利夫少尉がいます。


彼の話は、


「知覧からの手紙」という小説を、


抜粋したサイトがありますので、ぜひご一読下さい。


ここでは、彼の最後を少しだけご紹介します。


穴沢利夫陸軍大尉(中央大学) 昭和20年4月12日、特別攻撃隊「第二十振武隊」隊員として一式戦闘機「隼」にて知覧を出撃、沖縄洋上にて戦死。
「にっこり笑つて出撃した」(当時、知覧高女学生で、出撃を見送った前田笙子さんの日記)穴沢少尉(後に二階級特進で大尉)は、白い飛行マフラーの下に婚約者の智恵子さんから贈られたマフラーを締めていた。「神聖な帽手や剣にはなりたくないが、替われるものならあの白いマフラーのように、いつも離れない存在になりたい」
 穴沢少尉は彼女の一途な思いに、このマフラーを彼女の身替りとして、肌身につけ出撃する。
婚約者へのご遺書の中に「今更何を言ふか、と自分でも考へるが、ちよつぴり慾を言つてみたい」と三つあげている。「一、読みたい本」として「万菓」「旬集」「道程」「一点鏡」「故郷」を挙げ、「二、観たい画」としてラファエルの「聖母子像」と芳岸の「悲母観音」を挙げ、そして「三、智恵子」とあり「会ひ度ひ。.話したい。無性に」とあった。
 ご遺書は最後に「今後は明るく朗らかに。自分も負けずに朗らかに笑つて征く」と締めくくられていた。
 その日、穴沢少尉は、桜を打ち振り見送る前田笙子さんら女学生に、軽く手を挙げ笑みを返して飛び立って征った。

 
そして、穴澤少尉の、婚約者智恵子さんに宛てた遺書がこちらです。

二人で力を合わせて努めて来たが終に実を結ばずに終わった。

希望も持ちながらも心の一隅であんなにも恐れていた“時期を失する”ということが実現して了ったのである。

去月十日、楽しみの日を胸に描きながら池袋の駅で別れたが、帰隊直後、我が隊を直接取り巻く情況は急転した。発信は当分禁止された。

転々と処を変えつつ多忙の毎日を送った。
そして今、晴れの出撃の日を迎えたのである。

便りを書きたい、書くことはうんとある。

然しそのどれもが今迄のあなたの厚情に御礼を言う言葉以外の何物でもないことを知る。

あなたの御両親様、兄様、姉様、妹様、弟様、みんないい人でした。

至らぬ自分にかけて下さった御親切、全く月並の御礼の言葉では済み切れぬけれど「ありがとうございました」と最後の純一なる心底から言っておきます。

今は徒に過去に於ける長い交際のあとをたどりたくない。

問題は今後にあるのだから。

常に正しい判断をあなたの頭脳は与えて進ませてくれることと信ずる。

然しそれとは別個に、婚約をしてあった男性として、散ってゆく男子として、女性であるあなたに少し言って往きたい。

「あなたの幸を希う以外に何物もない。

「徒に過去の小義に拘るなかれ。あなたは過去に生きるのではない。

「勇気をもって過去を忘れ、将来に新活面を見出すこと。

 あなたは今後の一時々々の現実の中に生きるのだ。

 穴沢は現実の世界にはもう存在しない。

極めて抽象的に流れたかも知れぬが、将来生起する具体的な場面々々に活かしてくれる様、自分勝手な一方的な言葉ではないつもりである。

純客観的な立場に立って言うのである。

当地は既に桜も散り果てた。
大好きな嫩葉の候が此処へは直に訪れることだろう。

今更何を言うかと自分でも考えるが、ちょっぴり欲を言って見たい。

1、読みたい本
 「万葉」「句集」「道程」「一点鐘」「故郷」

2、観たい画
 ラファエル「聖母子像」、芳崖「悲母観音」

3、智恵子。会いたい、話したい、無性に。

今後は明るく朗らかに。

自分も負けずに朗らかに笑って往く。

昭20・4・12
智恵子様
     利夫



愛する女性がいながら、


ついに結ばれることなく、


死地へ旅立たねばならなかった穴澤少尉の無念さは、


如何ばかりかと思いますが、


その最後の手紙に宛てて、


「自分はもうこの世にいないのだから、過去を忘れて幸せになって欲しい」


などとは、容易に言える言葉ではないでしょう。


ここに、彼の人格、矜持というものを伺い知る事ができると思います。


また、智恵子さんの


「神聖な帽子や剣にはなりたくないが、
 替れるものならあの白いマフラーのようにいつも離れない存在になりたい」


という言葉が、なんともいじらしく切なく、胸を打ちます。


こんなにも美しい恋が、この世にあったのかと思わずにいられませんでした。


また、


穴澤少尉の最後の「ちょっぴり欲を言ってみたい」という、その欲の、


なんと文学的かつ文化的なことか…。


読みたい本に「万葉集」とありますが、


この時代の高校生くらいの若者(男子)の愛読書といえば、万葉集だったのだそうです。


翻って現在は…と、思わずにはいられません(笑)


また、特攻隊員に限らずですが、この当時の日本軍は


戦地にあっても、自由時間などでは、各々、木を拾って笛を作って楽を楽しんだり、


和歌を詠んだりする姿が多く見られたようです。


しかも、それは、一部の士官などではなく、兵士でした。


またある特攻隊員は、絽刺しという日本独特の雅やかな刺繍をたしなんでいたようです。


出撃命令が下るその日まで。


徴兵されてきているので、


様々な人が集まっているとはいえ、過酷な訓練の合間や戦地にあっても、


雅な事を忘れないというのは、特筆すべきことだと思うのです。


そして、彼らを知ることで、1つの事実が浮かびあがってきます。


それは、


このような人々が軍を構成する兵士だったとして、


南京大虐殺のような暴挙を、果たして行うものでしょうか?


もちろん、


そういう兵士もいたにはいたでしょう。


ですが、この当時の日記などを読めば読むほど、


疑問が湧き上がります。


彼らの手紙は、知覧の特攻記念館に数多く納められていますが、


靖国神社の遊就館にもあります。


ことに靖国神社は、


特攻隊はもちろん、多くの戦地に赴いた軍人たちが、


死に逝く事が分かっているような時に、


「靖国で会おう」と、言い合って分かれた、


いわば、戦死した魂が集う聖地です。


日本人であるなら、必ず一度は行って欲しい場所です。


戦死した御霊を、英霊と呼ぶことは多くの人が知るところだと思いますが、


今の平和は、


多くの英霊によってもたらされたものだということを、


日本人は決して忘れてはいけないと思います。


彼らは、もっともっと生きたかったはずだし、


恋をしたかったはずだし、


恋人をその手に抱きたかったはずだし、


子供をその手に抱きたかったはずだし、


子供の成人する姿を見たかったはずなのです。


彼らが自主的にしろ強制されたにしろ、


いづれ訪れることを願っていた平和のために、その全ての権利を捨てて、


命を散らしました。


その彼らが願っていた平和とは、果たして今日のような日本でしょうか?


そう思うと、8月15日は、英霊に感謝をするに留まらず、


謝罪したい気持ちにかられてしまうのです…。






最後に、穴澤少尉の言葉を再度。


智恵子よ、幸福であれ。

真に他人を愛し得た人間ほど、幸福なものはない。

自分の将来は、自分にとって最も尊い気持ちであるところの、

あなたの多幸を祈る気持のみによって満たされるだらう。



想うだけで心が幸福感に満たされるような相手がいるということは、


何にも替え難い幸福である事は間違いないと私も思います。


真に愛し得た女性を想って、彼は間違いなく幸福感に満たされて、


穴澤少尉は、逝ったのではないでしょうか。


だからこそ、一層哀しく美しく感じます。






「憲法」についてちょっとだけお勉強してきた♪~9条改正の是非~

2013年07月30日 | 国を憂う
さて、前回に引き続き、憲法についてのお話です。


日本を護るにあたり、自衛隊のままではいけないのか?


という点についてですね。







自衛隊のままで護れない、とは思いませんが、


極めて困難だと思います。


というより、


護ってもらう国民の立場でみるなら、極論はどちらでもいいのかもしれません。


ですが、護ってくれている自衛隊の立場で見るなら、改正すべきだと考えます。


だって、


攻撃できないんですよ?


敵がそこにいるのに。


そこで狙っているのに。


…敵が攻撃してきてるのに!


反撃してはいけない、ってふつうに考えておかしいでしょ?


合憲派だろうがなんだろうが、ここは民主主義国家で、


言論と思想の自由が保証されていますから、


そんなものは個人の自由ですからそれはとやかく言いませんが、


憲法9条を死守!と叫ぶ人たちに、これだけは言いたい。


それを叫ぶあなた方が、最前線に出て、


敵に攻撃されることは絶対にない。


あなた方は、


常に安全で平和な所にいるだけだろうが!
と。


だからそんな、寝言のような事が言えるんですよ。


敵に身をさらし、攻撃を受けても反撃が許されない中、


それでもなお、任務をしなければならい状態を、


ほんの少しでも想像してみたらいいと思う。


自分自身や、自分の大切な家族がそのような立場におかれてもなお、


そうその人たちは考えるのだろうか?


一切の軍備を放棄というが、


日本に敵が攻めてきて、


あなた自身や、あなたの妻や子供に恋人に、銃口を突きつけてもなお、


そんなことが言えるのだろうか?


軍備や軍化というと、


「戦争反対!」とアレルギー反応を起こす人は多いが、


軍化すること、国防軍を保有することと、戦争をすることとは、イコールではありません。


完全に違う話です。


護憲派はそこを単純に結びつけることで、


国民感情を、護憲側へバイアスをかけようとしているだけ。


憲法に則っていえば、


日本以外は「平和を愛する諸国民」らしいので、


軍備なんぞ持たなくても平和で、


なまじ持つから、刺激して攻撃されるという論法を振りかざしてくるのが、


この人たちですよ。


そんなわけあるか!(笑)


軍備を持たないから、攻撃してくるんです。


攻撃してこないとわかっているから、


安心して領海を侵犯してくるんですよ。(しかもしょっちゅう!)


現に、民主党時代、防衛費は削減されてきましたが、


それに呼応するように、中国は日本領海を侵犯し始めました。


泥棒は、警備が手薄な家を狙いますよね?


もう一度いっておきますが、


改正派は、戦争をしたいわけでも、戦争に賛同しているわけでもないんです。


自国は自国の手で護られるべきだと、ごく当たり前のことを言っているだけです。


この一年間、陸・海の、士官の自衛官の幾人かと知り合い、お話をさせて頂きました。


みなさん、それぞれに人格的にも素晴らしい方たちで、


…これは私の感情論ですが、


この方達が、戦場に行く姿なんか、絶対に絶対に絶対に、見たくありません。


戦争に賛同もしません。


絶対いやです。


ですが、彼らが任務を遂行するにあたり、


現行憲法では、彼らが能力を最大限に発揮できないということは、


その現場にいる自衛官にとって、どれほど忸怩たる思いをかかえることだろうかと、


考えずにはいられません。


ソマリア沖の海賊対処の話1つとっても、


法整備が整わない中、


危険な任務につき、


手足を縛られているに等しい中で、


任務をこなさなければいけないという状況を、


護憲派の人たちは、少しでも想像してみたらいいのです。


行く必要がないというかもしれませんね。


ですが、日本は海洋国家で、貿易の実に約90%は船舶による運搬に依存しています。


職務として、運搬に従事している民間船の乗組員の心情だけでも、せめて慮ってほしいものです。


で、そこで自問してほしいものです。


自分なら、その任務をその状況でこなせるか、と。


参考までに、ソマリア海賊対処について


とてもよくまとめてある動画がありますので、


リンクをご覧下さい。


9条を守るとか言っている人達は、


日本の商船を守るために、こんな危険地域に、


危険な仕事をしに行くことはないのだろうし、


しに行こうとも思わないでしょうね。


だから、平気でそんなことが言えるのでしょうよ。


というか、普段そうことを平気で言っているくせに、


ピースボートなんかは、ペルシャ湾を通過する時は、


違憲だなんだと言っている相手から、何食わぬ顔で護ってもらっているわけです。


失礼にもほどがあると思います。


そういう時だけは、日本国籍の船だから、自衛艦から護ってもらうのは当たり前だっていうのでしょうね。


そういう種類の人達が、基本的に合憲派だと私は思います。






つい先日、戦争を体験された方とお話する機会を得ました。


そのおじいさんが語られたことは、



「戦争は、あれだけは二度としてはいけない。経験したものでないと、

 あれは、絶対に分かりませんよ。戦争経験者が、生きているうちは

 まだいいですよ。ですが、いつかはみんないなくなる。
 
 その時がねぇ…心配ですね…。

 だからこそ、日本は自分自身で自分の国を護れないといけない。

 攻撃されるまで、待っていなきゃいけないなんて、そんなバカな

 話はありませんよ」


と。


無抵抗の状態で、


敵が上陸した時、どんな状態になるか少しくらい想像力を働かせてみてほしい。


特に女性は、確実に悲惨な目に合いますよ?


どうしてもイメージがわかない方は、


南京虐殺のページでも読んでみて下さい。


ちなみに、これ、日本軍がやったのではありませんから。


元になっているのは、


 通州事件という読むのが気持ち悪くなる事件が、当時ありましたが、
 (勇気がある方は、リンクからどうぞ)

私は、これを読んでめまいと吐き気に襲われ…気分が悪くなりました。


この話がもとになってでっち上げられたのが、南京虐殺ですね。






ここまで、危険を煽る必要もないとは思いますが、


憲法を変えようとすると、眉をひそめる人達は、


憲法という国家の根幹を、


元の敵国が押し付けたものを、60年以上も粛々と護ってきた事を、


是としているわけで、


かつ、


ことさら、正しく憲法を理解するなどという言葉を使って勉強会するあたり、


胡散臭さを感じざるを得ないのです。


こういう言葉使うの好きですね、彼らは(笑)


あとは、「市民」とか「団体」という言葉を好みますね。


日本人のフリした人たちとか、


日本が嫌いな人たちは。


そういえば、この前、九死に一生を得た、


辛坊氏は「この国の国民でよかった」という言い方をしましたね。


日本人なら、日本人でよかったという言葉を使うと思うのですけど…。


注意深くいると、変だな?と思うことがたくさんあるのが、この国です。


マスメディアが発信する情報は、特にです。


憲法改正についても、いろんな人の様々な思惑があるので、


自分なりに発言の意図を読み、


自分はどちらを指示するかを自分で考えて決めれば良いと思います。


ただ、もう、どうなるか、


既定の路線となっているであろうことは、間違いないと、考えますが…。




総論。


9条にかかわらず、


敗戦を期に、わずか数名の連合軍スタッフによって9日で作成した憲法を、


敵国が、日本を崩壊させることを意図して押しつけた憲法を、


遵守する理由も正当性も、何一つ見当たらないと愚考する次第です。


国家の根幹をなす、憲法の作成は自国民の手によって行われてしかるべきでしょう。


当たり前のことです。


憲法改正について考えてみる

2013年07月26日 | 国を憂う
今回、直接的な海自ネタではないですが、


この話は自衛隊とは切っても切れないネタなので、


書いてみました。









先日、憲法改正についての勉強会に参加してきました。


参加人数は、40人くらい?でしょうか?


20代~60代と幅広く集まっていて、


うち、女性は私含め4人(笑)…まぁそんなものでしょう。


高校生の男の子も1人いました。







今回の内容は、


長くなること間違いないので、2回に分けます(笑)






最初にはっきり言っておきますと、


この勉強会は、


憲法改正に賛同する気持ちをもっている人たちが集まっている会です。


もちろん、もれなく私もそう。


憲法改正と言いますと、


やはりみんなが最も興味を持ち、感心が高いのは、


憲法第九条ですね。


img001.jpg


これを守るべきか、改正すべきかということでよくもめるわけです。


で、


憲法と憲法改正について、論じる前に、


ぜひ、知って欲しい事があります。


それは、他ならない我が国日本が、


思想というファクターでみると、


どのような状態にあるか、という事です。


結論からいいますと、この国は二分化「されて」います。


それは、


国を想い、文化と歴史を守ろう、国の誇りを守ろうとする日本人


日本の文化と歴史を、腐食させ崩壊させようと目論む人種


この2種類です。


明確に意思表示をしていなくても、誰でも思想がいずれかに傾斜していると推察します。


ちなみに、無関心は下の方に該当すると言っていいでしょう。


変な陰謀論などではなく、日本がこの状態にあることは動かしがたい事実です。


このことに関しては、後ほど記述します。


では、なぜこのような国になってしまったのでしょう?


それは、「自然と」なったのではなく、


「そうなるべくして」なったということを、まず知って欲しいと思います。






それは、第二次世界大戦の敗戦がそのスタート(本来はもっと前になりますがここでは言及しません)


になります。


周知の通り、日本はポツダム宣言を受け入れ、敗戦国となりました。


日本は多大な犠牲の上に敗戦しましたが、


実は、アメリカの損害も、予想以上に大きなものでした。


国力差から考えると、通常は戦いにならない状況下での戦争でした。


しかし、アメリカの予想以上に、日本軍はアメリカを危機的な状況に追い込んだのです。


それは、日本が敗戦することは織り込み済みだとしても、


その後、日本という国を徹底的に弱体化させなければ危険だ、と、


アメリカに決断させるほどだったのでしょう。


なにがそこまでアメリカを苦しめたのか?


様々な要因がありますが、


その根底にあったものは、


天皇を中心とした徹底した挙国一致体勢ではないかと思います。


現在でも、東日本大震災の時に見られるように、


有事の際の日本人の団結力は、素晴らしいものがあります。


これを壊すことが得策だと考えたのは、当然の事でしょう。


アメリカは日本の国土ではなく、


日本人の思想を破壊し、分断させることにしたのだと考えます。


その1つが、日本国憲法の制定です。


そして、


その憲法がいかにすばらしいかと、


戦前の世界がいかに暴力的で自由のない暗黒の世界だったか、


旧日本軍がいかに邪悪な軍隊で、


日本がアジア諸国の植民地にいかにひどいことをしたかを教え込む、


俗に言う「自虐史観」を、


子供の頃からすり込むために、教育改革を行います。


教育の破壊をするために、公職追放を行い、戦前に教職にあった人間を追放し、


新たにコミンテルン(共産党の国際組織)を送り込みました。


これが日教組の起源です。


日本の破壊を意図した人たちが、子供達の教育にあたっているという事実が、


現在の教育の崩壊の一因であることはいうまでもありません。


日本国内で行われている教育は、世界で稀に見る自虐史観で、


学校教育の中で子供達に愛国心を教えない国は、


世界広しといえど、日本だけといっても過言ではないでしょう。


自国への誇りを育てるのではなく、奪っていく教育を推進してきたのです。


憲法を他の国に作らせるのを許してしまったということが、


如何に破壊的な決断であったか、お分かりになると思います。


加えて、GHQは国民を堕落させる政策として、3S政策を実施しました。


3Sとは、


スポーツ、スクリーン、セックスの3つのSの頭文字です。


スクリーンとは映画を意味しますが、これは現在ではTV(メディア)と言い換えてもよろしいでしょう。


この3つのどれかに国民の関心を向けさせ、


堕落させていくことを目論みました。


これら様々な破壊工作が水面下で、ゆっくりとゆっくりと、


毒がしみこんでいくように、日本国内にしみこんでいきます。


その結果、今日本はどのような国になってしまいましたか?


お分かりでしょうか?


日本国憲法とは、外国人によって


日本の弱体化を意図して作られている憲法だといえるということが。


この勉強会の時に、ある年配の男性が、


「みんな今の憲法は危険だといいますが、一体どこの点が危険だといえるのでしょうか?」


と質問されました。


色んな方の、いろんなご意見がある中で、


僭越ながら、私も発言をさせて頂き、まさにこの事を述べました。


「危険な箇所というのは、皆様ご指摘の通り、いくらでもあるといえますが、私が最も危険だと感じるのは、
 そもそもこの憲法が日本の弱体化を意図して作られていること、そして、その意図通りに、日本は弱体化
 している…つまり、まさに功を奏している、という点が最も危険だと考えます」


と。


さきほどあげた、3S政策の1つスクリーンに相当するメディアが、


日本の弱体化を大きく推進させた原動力となったのことは、いうまでもないでしょう。


よくネットなどで、メディアの批判が行われていますが、


無意味です。


別は彼らは自由意志で能動的にそうしているのではなく、


なんらかの意図に沿って、そう指示されてしているわけですから、


いくら批判したところで、改善はしません。


メディアが流す情報は、必ずバイアスがかかっています。


見ている人の考えを、ある一定方向に流そうとする意図が必ずあります。


ですので、メディアの情報に接する場合、


その情報をなぜ流すのか?


その情報を流す意図はなんなのか?


それによって誰が利益を得るのか?


を考えながら見聞きする必要があります。


ぼ~っと見ていて、垂れ流しにされる情報を鵜呑みにしていると、


えらいことになりますよ?(笑)





では、メディアの意図とはなんでしょう?


ものすごくものすごく簡潔にいうと、


それは、アメリカの意に沿って、日本を弱体化させ


劣化させることに貢献することです。


メディアの特徴は、


いかにも善意であるかのように見せながら、


穏やかで丁寧な口調の裏に悪意が秘められていることです。


しかもTVでは、編集ということを行い都合のよい部分だけを切り貼りして、流し、


発言者本人が驚くような、真逆の意図に変えて放送することは日常茶飯事です。


ただ、今メディアもいろいろで、


一枚岩となって、何か1つの目的に取り組んでいるわけではないので、


単一的な見方をするとわかりにくくなります。


それは、ネットも同じです。


ネットの世界は玉石混合で石の方が遥かに多いのですが、


TVでは決して流れない情報があるので、


その点はマシだといえます。





ちなみに、別に私はアメリカをキライなわけではありません。


ただ、無条件に信用はしていないだけです。


日本に対して、東京大空襲、2度の原爆投下と、


非戦闘民を大量虐殺しておきながら、


「お前達は悪人なのだから、反省しろ」


と、丸腰にした上に憲法を勝手に押し付けてきた相手を信用できますか?


日米安保条約も、穿った見方かもしれませんが、こういう事だと思います。


「友とは親しく、敵とはもっと親しく」


マフィアの格言です(笑)


駐留軍の費用負担は、財政を悪化させます。


今まで、軍隊がないからアメリカに駐在してもらわないといけない、だから負担します、と、


ガードマンを雇ってきたわけですよね。


だったら、国防軍にして駐留軍費用負担を防衛費に当てた方が、


国としてのありようは健全だと思いますけどね。


だいたい、自分の国でもないのに、命がけで護ってくれるわけがないと思うんですけど…。


だったら、命がけで護ってくれる人たちに、きちんと法整備をして、


自国は自国の軍隊で護るのが適切ではないかと、愚考する次第です。


自衛隊のままではダメなのかという人もいるでしょう。


なので、次回はその点について書きますね。