見出し画像

南英世の 「くろねこ日記」

千住博

 千住博画伯の『日本画を描く悦び』(光文社新書)という本を読み始めた。これがむちゃくちゃ面白い。その一部を要約して紹介する。



 足元の石ころを見て「なんだ、こんな石ころ」と思うのはちょっと待ってほしい。目の前の石ころは、46億年前に地球が誕生して以来、気の遠くなるような長い年月をかけた造山運動を経て、雨に打たれ、風に吹かれ、川に流され、海で洗われた存在である。いわば宇宙そのものの神秘に通じる存在である。岩絵具はこうした天然の岩石を砕いて粉状にしたものであり、「宇宙そのもの」である。この天然の岩や砂の粉末を動物の膠で定着させる日本画は、今から約1000年前の平安時代に確立した。源氏物語絵巻、信貴山縁起絵巻、源頼朝像など、平安時代から鎌倉時代は日本画の黄金期であった。

 近代以前のヨーロッパのモチーフは、神話、羽の生えた天使、金持ちの肖像画などであった。これに対して日本画のモチーフは等身大の現実であった。例えば葛飾北斎の大工が働いている光景、旅人が早朝に出発する旅籠の光景、波にもまれる小さな小舟に必死にしがみつき、振り落とされまいとする人々などなど。
 それらの浮世絵が包み紙としてヨーロッパに伝わり、ヨーロッパにも新しいモチーフが描かれるようになった。バレリーナの楽屋裏(ドガ)、睡蓮が浮かぶ日常の庭(モネ)、ピアノの練習をする少女(ルノアール)、ただ日が暮れていく畑の様子(ゴッホ)などなど。こんなのタダの印象だと悪口を言われても、彼らは夢中になって描き続けた。



 私の画家としての原点は母に褒められたことである。5歳の時、鳥や海の中の世界のお絵描きをして母に見せると、母は「すごい、すごい」と言って手をたたいて喜んでくれた。ほめられると気分がよくなりまた次の絵を描く。またほめてくれる。そんなことがずっと続いた。
漫画ばかり読んでいる子は漫画家にはならない。漫画家になるのは幼稚園の頃から漫画ばかり描いている子である。ラジオばかり聞いている子は放送作家にはならない。放送作家になるのは中学生のころからせっせと放送局にコントなどを投稿している子である。小説ばかり読んでいる子も小説家にはならない。小説家になるのは高校生くらいから文章らしきものを書いている子である。音楽ばかり聴いている子も音楽家にはならない。音楽家になるのは、3歳くらいから必死に練習している子である。
  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日常の風景」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事