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南英世の 「くろねこ日記」

徒然なるままに、思いついたことを投稿します。

嫌われる勇気

2016年03月28日 | 日常の風景
ある人に勧められて、アドラーの解説本を読み始めた。タイトルは『嫌われる勇気』。アドラーはフロイトやユングと並ぶ心理学の大家ということだが、この本を読むまでは知らなかった。

この本を読んで一番衝撃的だったのは、アドラーの言う「目的論」だった。アドラーは「われわれは過去の経験に『どのような意味を与えるか』によって、自らの生を決定している。」と述べている。これまでのフロイト的な原因論に立てば、過去が現在の自分を作ったと考える。
つまり、我々は過去に支配された生き方しかできないことになる。

しかし、過去にあった原因をいくら詮索しても現在の自分が幸せになれるわけではない。アドラーはフロイト流の「原因論」を明確に否定し、「目的論」を展開して前向きな人間像を描いて見せた。

人間は変わることができる。たとえ、過去に起きた事実は変えることができないとしても、その意味を読み変えることにより現在の自分を変えることができる。アドラー心理学は自分が変わるための心理学である。コペルニクス的な転回だ。

これまでの人生を振り返って、いまの自分が「幸せだ」と感じることができるのは、実はアドラー的な考え方を知らず知らずのうちにしていたからかもしれない。

南国土佐

2016年03月18日 | 日常の風景
高知県に一度は足を運んでみたいと思っていた。
龍馬を生み、板垣を生んだ土佐。
ペギー葉山にうたわれた土佐。
古くは土佐日記などというものもある。
土佐とはいかなるところか。



今回は、大阪からバスで行ったのだが、途中吉野川を見ることができ、四国の地形がようやく頭の中に入った。
吉野川と徳島自動車道が中央構造線に沿って並行に走っている。
写真は吉野川サービスエリアで上流に向かって撮ったもので、左側が四国山地、右側が讃岐山脈である。
徳島自動車道は、途中で松山に向かう高速道路と高知に向かう高速道路に分岐する。
高知自動車道は四国山地をぶち抜いて作られただけあって、長いトンネルが19もあった。





 高知市に着いてまず驚いたのは、街中、龍馬だらけだということである。
銅像、記念館をはじめ、土産物店に至ってはほとんどが龍馬がらみの品である。
それに比べて、板垣退助の影はいかにも薄い
ちょっと意外な感じがした。
写真は桂浜の龍馬像



(1874年、板垣らが作った立志社跡)




(はりまや橋)
地名としてのはりまや橋は、JR高知駅から南に700メートルのところにあり、路面電車や車が行きかう重要な交差点である。
しかし、いわゆる「はりまや橋」そのものは、観光客用に復元したもので、今では誰も使っていない。
しょぼい。




(高知城 初代藩主山内一豊 24万石)



高知市内の交通は、バスより路面電車のほうが便利だった。
50年前に作られた電車が現役で今も活躍している。
東西、南北に走っており、それがはりまや橋で交わる。大変わかりやすい。
電車の行き先を見て笑ってしまった。
「ごめん」と書いてある。
わざわざ平仮名で書いてあるところがよい。
漢字では「後免」と書く。
そこのけ、そこのけ、電車が通る。
「ごめん」

一番困ったのは、昼食にざるそばを食べようと思ってレストランを探したが、飲食店らしきものが一向に見当たらなかったことだ。
JR高知駅まで行けばあるかなと思って行ってみたが、やはり飲食店はほとんどない。
結局、コンビニでざるそばを買い、店の中の小さなカウンターで食べるはめに。
飲食店がないのは、やはり商売として成り立たないのだろうか。
都市としての元気のなさを感じた。
また、高知にはデパートはすべて撤退したと聞いていたのだが、これは嘘だった。
小さいながら大丸が出店していた。
撤退した後、また新規に出店されたのかもしれない。




南海大地震が来たらどうなるのだろうと、いつも気になっていた。
しかし、東北と違ってここはリアス式ではないから、津波の高さは限定的なのかもしれない。


「奨学金」制度を考える

2016年03月05日 | 日常の風景
奨学金を返済できず滞納している人が増えているという。

"http://news.yahoo.co.jp/feature/118

筆者は、以前から今の日本の「奨学金」の在り方に疑問を持っていた。借りるほうはまだ高校生。世の中の事は何もわかっていない。それでも教師は、自分の学校の大学進学率を上げるために、生徒に「奨学金」を勧める。大学卒業後、たぶん非正規雇用にしか就職できず返済が大変だろうと心の中で思ってはいても、そのことはあまり口にはしない。

生徒のほうも、この就職難の時に、高卒ではどこも就職口がないので、とりあえず大学にでも行っておこうか、という軽い気持ちで「奨学金」を申請する。大学に行けば何とかなるかという甘い期待が悲劇を生む。

返済が滞っているのはまだ氷山の一角だ。今後、この数は膨大な人数に上るだろう。奨学金という名称は使うべきではない。教育ローンは奨学金ではなく立派な「借金」である。利子をつけて返さなければならない。そのことをもっと強調する必要がある。卒業後の返済シミュレーションも、しっかり生徒に教える必要がある。

融資に際しては、厳格な審査(学力を含む)があってもよい。返済能力が疑わしいのに、300万円も500万円も無担保・無審査で融資をする制度は、どう考えてもまともではない。

ネーミング

2016年03月04日 | 日常の風景
世の中には、名前を付けて初めて問題が認知されることがある。
最近の例でいえば、



子どもの貧困


ワーキングプア


下流老人


ブラック企業


などなど。
ネーミングって大事だなとつくづく思う。


反対に、過去につけられたネーミングのために、正しい認識が遅れることもある。
その最たるものが「1億総中流」である。
1970年代に流布されたこの概念は、今はすっかり過去のものであり、いまでは日本はアメリカに次ぐ格差社会である。
それにもかかわらず、多くの人は、いまなお「1億総中流」という刷り込みを払しょくできず、
そのため、日本の貧困問題を認識できないでいる。