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南英世の 「くろねこ日記」

徒然なるままに、思いついたことを投稿します。

膨らむ政府の借金

2021年01月31日 | 日常の風景
コロナ対策のために政府の財政支援の増額を求める声が高まっています。政府の借金は増えるばかりです。今や国債の発行残高は約900兆円、地方政府の借金である地方債の発行残高は約200兆円、国と地方を合わせるとその総額は約1100兆円に達します。この借金を将来どうするのか?
この問題について少し考えてみたいと思います。

1.返済の方法
まず第一に、政府の借金は返す必要があるのかないのか。
答えはもちろん返す必要があります。

では、だれが返すのか?
① 政府が政府紙幣を発行して返済に充てる。
② 国民が「政府にお金を貸している国民」に税金で返す。
③ ハイパーインフレを起こし借金をチャラにする。

①の考え方はまやかしです。
物事は極端に考えると本質が見えてきます。もし、政府が紙幣を発行して返済に充てることが許されるなら、いま税金をゼロにしてすべての歳入を政府の発行する紙幣で賄ってもいいはずです。しかし、世界には税金ゼロの国など存在しません。だから、①の考え方は長い目で見ると間違いです。

②の考え方は一番常識的な考え方です。
いま個人が銀行からお金を借りたとします。貸してくれたのは銀行にお金を預けている国民です。この場合、お金を借りた個人は、お金を貸してくれた個人に銀行を通してお金を返済することになります。
銀行を政府に置き換えると、現在の日本の財政状況になります。国債発行はたとえそれが日本国内で消化されていたとしても、将来世代の負担になります。

では、将来的に国民は1100兆円もの借金を返済できるのか?
もちろん「できません」。民主主義の下では国民は減税には賛成しても増税には反対します。だから政治家は増税を公約に掲げることができないのです。

ではどうするのか?
答えは③のハイパーインフレを起こすことしかありません。財務省も本音のところではそう思っているはずです。もはや日本の借金総額は返済できるレベルをはるかに超えています。借金で首が回らなくなったら最後はハイパーインフレを起こす。これは世界共通の公式みたいなものです。

ハイパーインフレで政府の借金がチャラになるなら、それも「有り」だと思うかもしれません。でも、ハイパーインフレが起きると「銀行にお金を預けていた人」は損をし、逆に「お金を借りていた人」は得をします。すなわち、国民が大損をし、政府が大もうけをします。ハイパーインフレで政府の借金をチャラにするといっても、結局その借金を払わされているのは国民なのです。

もうお分かりですね。増税もハイパーインフレも、国民が負担するという点では同じなのです。これを「インフレ税」と言います。民主的な方法で借金の返済ができないなら、最後はハイパーインフレを起こし「暴力的に」「有無を言わさず」チャラにするしかありません。もうだれにも止められない気がします。民主主義の限界ともいえます。


2.財政破綻はありうるか?
結論から言えば、通貨発行権を持つ政府・日銀は、紙幣をいくらでも印刷できますから、形式的には財政破綻はあり得ません。その代わりハイパーインフレが起きます。

現在のところ財務省の綱渡り的な国債管理政策により、何とか国債の国内消化が実現しています。しかし、政府の借金が限界を超えてくると国債を買う人がいなくなります。そうなると公務員の給料も払えなくなってしまいます。

それでは困るので、政府は財政法第5条で禁止されている「日銀引き受けの国債発行」に踏み切らざるを得なくなります。法改正が行われ、お札がジャンジャン印刷され、ハイパーインフレが発生します。

物価が100倍になれば100円の大根1本が1万円、タクシーの初乗り料金が6万円、40万円の月給が4000万円になり、為替レートは1ドル1万円になります。そうして政府の1000兆円の借金は実質10兆円になり、国民が銀行に預けていた1000万円の預金は10万円に目減りしてしまいます。

そんなことは起こりえないと思われるかもしれませんが、日本では1947年から1949年にかけて日銀引き受けの国債(復金債)が発行され、物価が戦前の240倍になったという事実があります。そして過去の借金をいったんリセットし、その後の経済発展につなげたのです。

確かに形式的には財政破綻は生じません。また、ハイパーインフレが起きたとしても日本がなくなるわけではありません。しかし、そんな事態にならないようにするのが政治というものではないでしょうか。最近は100年先のことを考える政治家が少なくなってきたように思います。もっとも100年先のことを訴えても当選できないから仕方がないのかもしれませんが。

(追記 この文章はある議員さんに向けて書いたメッセージです)

AIと人類の未来

2021年01月22日 | 日常の風景
        
 AI(人工知能)に大学入試問題を解かせるというプロジェクトがある。東大の数学の模擬試験(理系)を解かせたところ、6問中4問完答し、全受験生のトップ1%(偏差値76.2)の成績を叩き出したという。囲碁の世界でも、数年前までAIは人間の足元にも及ばなかったが、今では世界のトップ棋士でもAIには勝てない。なにしろ、1秒間に数万局の対局をし、1兆局もの猛勉強をして「記憶」させるのだから、人間には到底まねができない。
 しかし、AIにも苦手なことがある。それは文章が読めないことだ。たとえば、次のような問題があったとする。

問  次の文章の(  )内に(complex , me, solve, for, to, with)の語句を適当に入れて正しい文にせよ。
 This problem is too (  )(  )(  )(  )(  )(  )ease.

 人間がこの問題を見れば、too…to のあの構文だと一目で分かる。しかし、AIは文章の意味がわからない。そこでAIにこの問題を解かせる場合、6個の単語をアット・ランダムに並べ、出来上がった6の階乗(6×5×4×3×2×1=720)通りの文章を、あらかじめ覚え込ませた例文に適合するまで検索させる。こうして、This problem is too complex for me to solve with ease. という正解にたどりつく。しかし、こうしたやり方には限界があり、150億個の文章を学習させたにもかかわらず、入試問題の正解率は4割に届かなかったという(『AI vs 教科書が読めない子どもたち』新井紀子)。

 MITの物理学者であるマックス・テグマークは、AIの未来について次のような予測をする(『コロナ後の世界』文春新書 2020年発行)。
 第一に、ビッグデータ不要の時代が来る。現在、ビッグデータを活用することで様々な分野でデーターベースがつくられ、データは「新しい石油」だと表現される。しかし、大量のデータを必要とするのは、AIの知能がまだまだ低いからである。近い将来AIは何かを学習するのに、大量のデータを必要としなくなる。たとえば、プロの囲碁棋士より強い現在のAIは、実は人間の過去の対局データを一切使っていない。ゲームのルールを学んだ後は、AI内部で自己対戦を繰り返し強くなっていった。これからはこうした技術開発が様々な分野で起きるであろう。

 第二に、現在開発中のAIの多くは特定の用途(例えば囲碁)のみに限定された「特化型」であるが、おそらく数十年以内にはあらゆる面で人間の知能を超える汎用型AI(AGI=Artificial General Intelligence)が完成する。AGIができれば人間はその時点で、地球上でもっとも知能が高いという地位を明け渡すことになる。

 AGIの登場によって車の自動運転で交通事故を減らすことができるかもしれない。がんなどの検診で最高品質の検診ができるようになるかもしれない。GDPを何倍にも増やすことができるかもしれない。もちろん、いいことばかりではない。AGIが自動兵器に利用されテロや戦争というものが一変する可能性がある。所得格差を広げる手段として使われるかもしれない。AGIを手に入れた独裁者が、地球上のすべてをコントロールするために使う可能性だって否定できない。

 どんなテクノロジーにも良い面と悪い面がある。人類がこれまでとってきた戦略は「失敗から学ぶ」ことであった。火事の教訓から消火器や消防車を作り、交通事故が起きたので信号機や交通ルールを作った。しかし、AGIの危機管理対策はAGIができてからでは遅い。失敗をする前に「越えてはならない一線」を定め、早めに戦略や倫理基準を作る必要がある。


Pandemic War

2021年01月20日 | 日常の風景

私はサンフランシスコ平和条約が結ばれた1951年に生まれた。以来、平和憲法のもとで一度も戦争を経験することもなく古希を迎えることができた。幸せな時代を生きたものだと思う。

ところが、ここにきて急に雲行きが怪しくなってきた。コロナウィルスの猛威が一向に収まる気配がない。現在のところ、世界の感染者数は約1億人、死亡者数は約200万人である。ちなみにそのうちの4分の1はアメリカである。アメリカでの死亡者数は約40万人に達し、ベトナム戦争での戦死者数6万人の6倍以上となっている。

もはやこれは ” Pandemic War ”と呼んでもいい状況である。ベトナム戦争では若い兵士が犠牲になった。一方、今回のパンデミックでは主に高齢者が犠牲になっている。パンデミックを甘く見てはいけない。コロナウィルスと人類の全面戦争と考えるべきかもしれない。自らの政権維持に汲々としている時ではない。

総取りの世界

2021年01月19日 | 日常の風景
 勝負の世界は厳しい。一番強い人が勝って優勝賞金を独り占めする。囲碁、将棋、テニス、ゴルフなど、みなこの総取りの世界である。何億も稼ぐ人がいる一方で、プロといえどもその道一本では食っていけない人が大勢いる。

 絵の世界も同じである。ごく一部の有名作家の作品は高額で取引されるが、大半の画家の作品はほとんど二束三文だ。たとえば、東山魁夷の「残照」という作品(上)は複製でもものによったら100万円以上、本物なら9桁?はする。一方、以前購入した雨晴海岸と立山連峰を描いた生絵は1万円もしなかった。いい絵だとは思うのだが。



 購入する側からすれば10万円は大金である。しかし、作家側からすれば完成までの時間給で考えると安すぎる。とてもじゃないが生計を維持できない。日本画を習い始めてから特にそう思うようになった。ましてや1万円なんて・・・

 先日、ネットオークションで落札した平山郁夫の「日本の道を描く」という作品の複製(中古)が届いた。日本のあちこちの風景の素描画15枚が収められている。売れっ子作家だから定価は高い。ただし、オークションで購入したから実際に払った金額は定価の1割ほどである。総取りの現実に疑問を感じながらも、いい絵はやっぱり欲しくなる。














共通テスト考

2021年01月17日 | 日常の風景
 センター試験に代わる共通テストが始まった。さっそく政治経済と現代社会の問題を解いてみた。以下はその感想である。

 結論から言うと、共通テストはセンター試験より劣化した感がある。そもそも共通一次試験で始まった全国一斉テストは、大学入試問題の難問・奇問を排し、基礎基本に重点を置いた高校教育を実現するためであった。その意味では、共通一次もセンター試験もそれなりの効果を上げたと評価してよい。
 しかし、センター試験が知識偏重だと批判され、もっと思考力を問う出題が望ましいという理由から、今年度から共通テストが開始されることとなった。だが、そこで問われた思考力とはいったいなんであったのか。そもそも思考力を問うというが、考えさせる目的は何だったのか。哲学が感じられない。
 また、考えさせる問題に固執するするあまり、問題文がやたら長いのも気になった。何を問うているのかを理解するのにかなり時間をとられる。これでは日本語読解力を問うているに近い。もっと簡潔な文章表現ができなかったのだろうか。
 結局、コンピューターに採点させる形式で思考力を問うこと自体に無理があるということだろう。採点のやりやすさが優先される問題作りは本末転倒も甚だしい。

 次年度からの高校教育の現場は困るだろうなあ。何を教えたらいいのか? 今でさえ2単位では時間が足りないのに、この上いちいち深堀して考えさせていたら、教科書1冊終えることなど不可能だ。もし、本気で思考力を問うなら中途半端な共通テストは早々に廃止したほうがいい。そして正解のない問題を問うべきである。



つくられた格差

2021年01月16日 | 日常の風景

アメリカの所得階層を以下の4つに区分するとわかりやすい。

1. 下位50%・・・この層の年間収入は1万8500ドルである。
2. その上の40%・・・中流階級と呼ばれるこの層の年収は7万5000ドルで、ほぼ全人口の平均と一致する。
3. 上位中流階級・・・上位10%から上位1%を除いた層。平均年収22万ドルで、郊外に庭付きの家を持ち、子どもを私立学校に通わせ、十分な年金を積み立て、手厚い医療保険に入っている。
4. 上位1%・・・約240万人いる富裕層で年間平均収入150万ドル。

アメリカの上位1%を占める富裕層は所得に対する納税率が普通の人より少ない。富裕層は2018年、所得の23%を税として納めた。これに対してアメリカ人の平均納税率は28%であった。アメリカの税制は超富裕層に有利にできている。



しかも、アメリカの格差は悪化する一方である(下図)。



なぜ富裕層への課税が低いのか。
その理由は第一に、個人所得税の大半が課税対象になっていないことがある。法律により様々な所得が非課税となっているのだ。例えば、Facebookは2018年に200億ドルの利益を上げたが、Facebook株の約20%を所有しているザッカーバーグは実質的には40億ドルの所得がありながら一銭の税金も払っていない。Facebookの配当はゼロだからである。

第二に、タックスヘイブンを利用することにより法人税も回避をしている。彼らは利益を税率の低いケイマン諸島に移転して税金逃れをしているのだ。また、法人税をさらに引き下げなければ、利益が海外に逃げてしまうと主張し、国際的な法人税引き下げ競争も生まれている。



 富裕層の税率が低い第三の理由として、利子や配当などの資本所得に対して優遇措置が取られていることがある。アメリカでは2003年以来、配当に対する課税は20%に引き下げられ、累進課税は適用されないのだ。下の図から、1980年代以降、個人所得税の大幅な引き下げが行われたことがわかる。




 富裕層への課税が減少すれば、誰かがその埋め合わせをしなければならない。そのツケを払っているのが労働者である。労働所得と資本所得の平均税率を示した次のグラフがこのことを物語っている。




グローバル化によって租税回避が爆発的に増え、政府が富裕層への課税は無理だとあきらめて法人税率を引き下げる。その結果、そのツケは労働者に転嫁され、多くの国で格差が拡大している。この悪循環を断ち切るためには、もはや一刻の猶予もない。新たな税制、新たな協力形態を早急に生み出さなければならない。民主主義の底力が試されている。    



父が娘に語る経済の話

2021年01月15日 | 日常の風景
題名にひかれて購入したが、期待したほどおもしろくはなかった。それでも次のことは印象に残った。

1.技術革新は必要に迫られて行われる。農業もそうだった。自然の恵みが豊かな地域では農耕は必要なかった。土地を耕さなければ生きていけない場所だけで農業が発達した。

2.農業によって余剰生産物ができ、それを倉庫に貯蔵する。その記録をするために文字が生まれた。(でも、この説は怪しいなあ。 エビデンスは何も示されていない。)

3.この200~300年の間に、人類は新しいフェーズに入った。すべてのものが「売り物」になる市場経済に組み込まれた。労働力でさえも。今では自分のことすら市場価値で測ってしまう。


 市場経済の中にどっぷりつかっていると、いつの間にか「人間の価値」=「労働力としての商品価値」みたいな考え方をするようになる。もちろんそうではない。善く生きるとはどういうことか。人間が立派であるということとはどういうことか。世間には立派そうに見える人は多い。

最後の授業

2021年01月13日 | 日常の風景
73期生3年政経の最後の授業が今日で終わった。コロナのために休校や遠隔授業でスタートした学年であったが、なんとか責任が果たせてホッとしている。あとは、生徒が本番で力を発揮してくれることを祈るばかりである。

この2年間、3年生の政経を担当してきた。3年生の場合11月から受験に特化した演習問題をやらなければならない。しかし問題演習ばかりをやっていると、だんだん本来の教育から遠ざかっていくような気がして、正直つまらない。でも、やっと終わった。あとは論文指導を残すのみ。

さて、次年度はどうしよう。授業の準備は怠りなくやっているが、70歳を機に退くのもありかなと思ったりもする。そうなれば今日の授業が文字通り人生「最後の授業」になる。
Tomorrow is another day.
明日は明日の風が吹く。

日本画にはまる

2021年01月07日 | 日常の風景
長い間、日本画をやってみたいと思っていた。とりあえず、東山魁夷や平山郁夫といった大御所の作品の複製を購入し家に飾ってみた。













家の中が美術館みたいになってしまった(笑)。狭いマンションのこと、もう飾る場所もない。妻からはこれ以上買うなと言われてしまった。
しかし、買ってはみたものの見るだけでは物足りない。自分でも描いてみたい。それで勇気を出してNHKのカルチャーセンターの日本画教室に申し込んだ。講師の藤井智美先生から、鉛筆の削り方・持ち方、デッサンの基本、色鉛筆による彩色、膠の溶かし方、水干絵具の使い方など、順を追って基礎から教えていただいた。









絵画の入門書も購入した。


絵を描くのは中学生のとき以来55年ぶりである。絵心など全くない。しかし、習ってみると自分でも驚くほど描き方が変わってきた。テレビで住宅をリフォームする「before after」という番組があるが、あれと同じである。



下のリンゴは色鉛筆で描いたものである。色鉛筆は先生に勧められてプロ仕様の60色1万2千円のものを購入した。日本画は結構お金がかかる。



先日、初めてあこがれの岩絵具を使って描いてみた。
1か月に2回、習い始めてまだ3か月。まあこんなもんか。



完全リタイアーした後は、スケッチ旅行にでも出かけようか。一度立山を描いてみたい。若いころスキー三昧をした思い出の山である。








新年のごあいさつ

2021年01月01日 | 日常の風景

皆様あけましておめでとうございます。

古希を迎え長かった旅路もあとわずか,
あとは風の吹くまま気の向くまま、と行きたいところだが
もう一回ねじを巻きなおして 
いろいろやってみようか。

皆様にとって本年がいい年になりますように。