minaの官能世界

今までのことは、なかったことにして。これから考えていきます。

シルバーボール完結編

2005年03月12日 | シルバーボール
 その時である。
 玄関のドアが開き、そこには真理が立っていた。
 僕はうれしくて真理に飛びついた。
「どこに行っていたんだよ。凄く心配したんだぜ」
「ごめんなさい。わたし・・・・・・」
 真理は泣き出してしまった。玄関先でしゃがみこんで泣き続けている彼女を、僕は抱きかかえて立ち上がらせ、居間のソファに座らせた。
「どうしたというんだ。何があったのか、僕にも判るように説明しておくれよ」
「何を話しても許すと言って。そうじゃないと、わたし、話せない」
 僕は真理に只ならぬ雰囲気を感じ、また、自分の気持ちに正直になろうと決心もしていたから、彼女の言うことを何があってもそのまま受け入れようと思った。
「もちろんさ。僕には、もう真理しかいないんだ。何があろうと許すよ」
「わかったわ。それじゃ、本当のことを話すね。気が付いたら、及川専務と一緒にいたの。彼のベッドの中だったわ。わたしが沢良木部長が言っていた意識不明となっている及川専務の奥さんだったのね。結婚のことは、本当のことだったのよ。この世界のわたしは、あなたよりもお金持ちの及川専務を選んだ。わたしは、ここではそういう女なんだわ。でも、信じて。このわたしが愛しているのは、本当に貴方だけなのよ、一郎さん」
 彼女の僕に対する愛情のことはともかくとして、僕は彼女の言葉を俄かには信じることができなかった。
「そんな馬鹿な。だって、あの時、沢良木部長が確認したら、病気で倒れた及川専務の奥さんは及川専務と一緒にいるって言っていたじゃないか。その場に僕も君もいたんだよ。その時までは、ひょっとしたら、君が及川家を逃げ出してきたんじゃないかと心配していたのだけれど、あの時のアリバイを信じて、僕は及川専務は君とそっくりな別の女と結婚したんだと思ったんだ」
「そうなのよね。つまり、わたしが2人いないと、絶対に無理なのよ。ねっ、わたしが前に言ったことを覚えているかしら。ここは、わたしたちが暮らしていた世界ととてもよく似ているけれど、少しずつ違っている異次元世界なのよ。わたしたちは、別世界に迷い込んでしまった。そうでないと、説明がつかないわ」
 真理は再び「異次元世界説」を持ち出してきた。僕もそうかもしれないと思い始めていた。でも、そうだとすると、今ここにいる真理は・・・・・・。
 僕は、ふと学生時代に読んだ小説のことを思い出していた。エドガー・アラン・ポーの書いた「ウィリアム・ウィルソン」という小説のことである。その中に「ドッペルゲンガー現象」のことが紹介されていた。ドイツ語の「ドッペルゲンガー(Doppelganger)」がそのまま日本に入ってきて広まったようだが、そもそも「doppel」とは英語の「double」の意味であり、「もう1人の」あるいは「二重の」と訳せようか。「ganger」の「行く者」と合わせると「もう1人の行き来する者」という意味となる。つまりは、「ドッペルゲンガー現象」とは、もう1人の自分がいて、そいつが本人も知らない間に出歩いているという不思議な現象なのだ。このような言い伝えは西欧だけでなく、古来から中国や日本にもある。中国の怪異譚を集めた「聊斎志異」の中にも、家の外まで夫を見送った女房が、家に戻ってみると出かけたはずの夫がいる、その姿を女房が怪しんでいると夫の姿はかき消すように見えなくなった、後日、夫にその話をすると「そんな馬鹿な」と言って取り合わなかったが、数日もしないうちに夫は病に倒れ死んでしまったという話がある。
 いずれにせよ、自分の姿を見るというのは不吉なことらしく、その姿を見た限りは、数日のうちに死んでしまうというオチがついている。
 僕は、今回の真理に起こった事象は、僕に起こっている事象と無関係ではなく、いずれも生命の危険に関係するような重大な事象であると感じていた。その証拠に、もう一方の真理は意識不明で倒れていたというではないか。二つに分離していた真理の身体は、偶然にも1つに融合することができたようだ。これで生命の危険がなくなったとは一概に言えないだろうが、少なくとも分離した状態よりは安定したと考えていいだろう。もしかしたら、ドッペルゲンガー現象とは幽体離脱のようなもので、僕のところにいた真理は、身体から離脱した幽体だったのかもしれない。だからこそ、他人から見えなかったのだ。
 そうだとすれば、僕は一体どうなっているんだろう。僕も幽体なのだろうか。そうだとすれば、僕の身体はどこにあるのだろう。そして、あのシルバーボールとの関係はどうなっているんだろう。
 僕は、そのことを真理に話してみた。僕の話をうんうんと頷きながら聞いていた真理は、
「わたしもなんだかそんな気がしてきたわ。そうだとすれば、どこかに一郎さんの身体があるはずよね。わたしと同じように意識不明で治療を受けているのかもしれないわよ。そうだとすれば、一刻も早く身体をみつけないと大変なことになるような気がするわ」
「そうだ」
 僕は閃くものがあって、パソコンに飛びついた。
「どうしたのよ」
 真理が怪訝な顔をして、僕の後ろからモニターを覗き込んだ。
「交通事故で身許不明の被害者が出ていないかと思ってね。もしかしたら、あの日、僕は何らかの事件か事故に巻き込まれたのかもしれない。でも、意識不明だし、身許を証明するようなものを身に着けていない、もしくは、意図的にそういうものを剥ぎ取られたのかもしれないけれど、とにかく、そういう状況にあるような気がするんだ。でも、僕がこうして普通に動けることからすると無事なのだろう」
「あっ」
 2人同時に叫んだ。
 1週間前の身許不明人の行き倒れ事件がヒットしたからだ。
 身元不明人が倒れていた現場は東部東上線の秋日部駅の近くである。東部東上線は僕たちの利用している線だし、秋日部駅は僕たちが乗り降りする草華駅からは数駅しか離れていない。身許を証明するものを何1つ身に付けていないなどということは考えにくく、もしかしたら、加害者が証拠隠滅のために身許が判るようなものを全て剥ぎ取った上で、意識不明の被害者を車に乗せて運び、秋日部駅の近くで捨てたのではないか。第一現場と思われる草華駅近辺と被害者が発見された場所は車なら十分に移動可能な距離である。
 警察は、事故、事件の両面で捜査を開始しており、情報提供を広く求めているとあった。
「きっとこれよ。場所も近いし。どこに収容されているのかしら」
「えーと、独協病院と書いてあるぜ」
「独協病院か。あそこなら、わたしの知り合いが看護婦をしているから、中に入れるわよ。今から行きましょう」
 僕たちは急いで車に乗り込み、独協病院へ急いだ。
 独協病院では、真理の知り合いの看護婦のおかげで比較的簡単に被害者の病室まで辿り着くことができた。真理が被害者の婚約者で、僕が被害者の兄かもしれないという説明が効果的だったようだ。彼女は僕の顔を見るなり、「よく似ていらっしゃいますね」と言ったくらいだから。
 案の定、ベッドに横たわっていたのは僕だった。全身を包帯にぐるぐる巻きにされた姿は痛々しかった
 僕たちはベッドの両脇に立って、意識なく横たわっている僕自身を眺めた。実に不思議な気分だった。真理は、立っている僕と横たわっている僕を交互に見比べている。
「本当によく似ているわねぇ」
 真理は溜め息まじりにそう言った。
「似ているんじゃなくて、僕自身だ」
「どうするのよ。このままじゃ、埒があかないわ。もしも、貴方の推論どおりなら、どちらかに収束するはずよ。立っている貴方と寝ている貴方。どちらが本物なの」
「どちらも本物だよ。どちらかにまとまるといってもなぁ」
 その時であった。肩にかけたバックの中から、ウィーンという機械音が聞こえてきた。
「何の音?」
 真理がびっくりして僕に尋ねた。
「シルバーボールだ」
 僕は咄嗟に応えた。
 外出した人に会う時は、シルバーボールを身に付けていないと僕の姿は見えなくなってしまうのだ。だから、今もシルバーボールをバックに入れて持ってきている。
「凄い。光っているっ」
 真理が叫んだ。僕が慌ててシルバーボールをバックから取り出すと、薄暗い病室が真昼のように明るくなった。しかも、シルバーボールから発する音は、もはや耳を押さえていなくては耐えられないくらい大きくなっていた。
「まずい。秘密のつもりだったのに、これじゃ、病院中の人間が集まってくる」
 シルバーボールをどこかに隠そうと思って、うろうろしていた僕は、突然、強い力に引っ張られた。正確には、シルバーボールが急に何かに引き付けられたのだ。シルバーボールと一緒に僕の身体もぐいっと引っ張られた。
「あっ」と叫び声をあげられたかどうか。
 そのくらい、瞬時であった。
 僕はベッドに横たわっている僕の身体に突進した。大きく見開いた僕の目に、握り締めていたシルバーボールが、僕の腕ごと、僕の身体にめりこんでいくのが映った。僕の2つの身体は、そのまま溶け合うように1つになった。
 僕は意識を保ったままだったから、次の瞬間、僕は絶叫することになる。
「なんなんだ、これはっ」
 凄まじい痛みだった。それもそうだろう、意識不明の重症なのだ。
 そこに、看護婦や医師たちがなだれ込んできた。
「何をやってるんですか」
 担当医と思われる若い医師が叫んだ。
 気の毒だったのは、真理とその知り合いの看護婦だ。被害者の兄がいなくなってしまったからだ。それでも、真理はその場を取り繕って、「彼のお兄さんは、彼の意識が戻ったので、病院の方に知らせてくるといってここを出て行ったのですが、そこで出会いませんでしたか」ととぼけるくらいの機転はきかせることはできた。
 とにかく僕も分離していた身体をひとつにすることができたようだ。
「意識が戻ったんですね。奇跡としか言いようがない」
 若い医師はしきりに頭を振りながら感動している。
「先生、彼の容態はどうなんですか」
 真理は傍らの医師に僕の身体の状態を尋ねた。
「全身を強く打ったようで、特に身体の右側は右腕、右足とも骨折していました。発見された時は、頭からも大量に出血していましてね、これはもう助からないかなぁと思いました。ところが、詳しく診察すると、頭蓋骨や脳には損傷が全くないことが判りました。意識は戻らなかったものの、脳波にも異常がなく、ひょっとすると助かるかもしれないと・・・・・・」
「えーっ、そんなに重症なんですか」
 真理がびっくりして叫んだ。
「もちろんです。全治3ヶ月ですよ。でも、意識が戻ったのなら、もう命に別状はないと言えましょう。肉体的な回復を待つだけです」
「先生、身体中が痛いんですけれど」
 僕が弱々しく訴えると、
「当然ですよ。大腿骨が2箇所も折れているし、上腕骨も複雑骨折しています。命があっただけ幸運だったと思って、辛抱してください」
と、にべもなく言われてしまった。
「ガイシャの意識が戻ったって」
 鋭い目つきをした2人の男たちが病室に入ってきた。
「あっ、刑事さん。困りますね、この患者さんは、まだ絶対安静なんです。事情聴取はその都度許可を取っていただかないと」
 若い担当医が入ってきた男たちに文句を言った。どうやら刑事らしい。インターネットで調べた記事にも、事故なのか事件なのか捜査中とあった。
「すみませんね、ほんの少しだけですから。どうして、こんな大怪我をしたのか、覚えていることがあったら、お聞かせいただきたいのですがね」
 実は、僕は真相を全て思い出していた。
 あの日、僕は、偶然に真理を見かけたのだ。久しぶりに見た真理は、まぶしいくらいに美しかった。肌はツヤツヤと輝いていたし、高価そうなブランド品で身を包み、頭のてっぺんからつま先まで隙がなかった。それに引き換えこの僕ときたら、よれよれの汗臭いスーツとくたびれたビジネスシューズ。こんな惨めな格好を晒すくらいなら、僕は彼女に気付かれる前に逃げようと思った。
 ところが、彼女は目敏く僕を見つけると、うれしそうに手を振るじゃないか。
「おひさしぶりね」
 彼女は開口一番、そう言った。
「ああ、久しぶり」
 僕はしぶしぶ応対した。捨てた男を甚振って何がおもしろいんだ。それでも僕は彼女と会えて、こうして話しができて少なからずときめいていた。そんな自分自身に僕内心いらいらもしていた。情けなくもあった。
「少しそこのスウィートショップでお話しません?」
 彼女に誘われて断れる訳がない。僕は鼻先に人参をぶら下げられた馬みたいに、彼女の後をついて行った。
 コーヒーを飲みながら彼女から打ち明けられた話は、僕にとって驚くべきものだった。
「今の主人と結婚したのは、貴方のためでもあったのよ。わたし、上司から宣告されたの。もし、主人との見合いを断って、貴方と結婚するなら、貴方を出世できないようにしてやるが、それでもいいのかって。わたしは貴方と結婚できるのなら、貴方が出世しなくてもちっとも構わなかった。でも、貴方に相談しようにも、貴方は仕事のことばかり。もし、わたしと結婚して出世の道が閉ざされたということになったら、きっとわたしを嫌いになる、わたしにはそうとしか思えなくなったの。それで・・・・・・」
「それで、君はあいつを選んだのか」
 真理は頷いた。
「あああっ」
 僕は頭を掻き毟った。あいつは、取引関係をちらつかせて圧力をかけたに違いない。何て卑劣な奴なんだろう。でも、出世と彼女を天秤にかけることになったら、僕は彼女を選んだだろうか。自信がない。
「そんなに嘆かないで。結婚してから、気付いたの。わたし、やっぱりあなたのことが好き。今日も、こうしてお話できて、とてもうれしいの。もう一度、貴方とよりを戻したいと言ったら迷惑かしら」
「そんなことをして、ご主人にバレたらどうするんだ」
「さあね。でも、バレたところで、主人はそれすらも快楽のスパイスにしてしまうでしょうね。主人はそういう人なの。毎晩、わたしを組み敷いては、貴方のことを言うのよ。あいつと俺とどちらがいいかって。だから、わたしは言ってやるの。もちろん彼の方がよかったわって。そうしたら、涙を流しながら、猛烈に頑張るのよ。どうだ、これでもか、これでもかって。馬鹿みたいよね」
 僕は耳を塞ぎたくなった。僕の愛した女がこんな女だったなんて信じたくない。
「ふふふ。女は変るのよ。でもね、変ったのは、貴方の責任でもあるのよ。だって、あの時、貴方がもっと強くわたしのことを愛してくれていたら、わたしも踏ん切りがついたし、そもそもあんな男と一緒にならなかったのよ。それなのに、貴方は仕事が忙しいって、ちっともわたしに構ってくれなかったわ」
 そう言いながら、真理は泣き始めた。
「いいこと。わたしだけのせいだけにしないで。あなたにも責任があるのよ。その罪滅ぼしとして、私と浮気するの。あなたにとっても、彼に仕返しができるでしょう。わたしは、あなたにそのチャンスをあげたいの。判ったかしら」
 僕は、女というものが判らなくなった。それでも、彼女の剣幕に押されて「判った」と答えてしまった。
「よかった。じゃあ、次はもっと静かなところでゆっくりとお会いしましょう。ふふふ。期待しているわよ。また、連絡するわ」
 そう言うと、彼女は席を立った。僕は席から立ち上がることすらできないまま、呆然と彼女を見送った。
 その後、僕は仕事をする気力が失せ、会社を早引けした。午後4時過ぎだったろうか。会社のある浅草から電車に乗り込み草華駅で降り立つと、いつもの時間帯なら駅前も帰宅途中のサラリーマンでごったがえしているのに閑散としている。駅前から少し離れると、人影は全く途絶えた。僕は言いようのない孤独を感じ、寂しくなった。まだ陽は落ちていない明るい道を、僕はとぼとぼと歩いていた。
 後方から車が走ってくる音がする。
 こんなに寂しさを感じたことは、彼女と別れてから久しくなかったから、ほっとして振り返ると、なんだか様子がおかしい。戦車ほどもありそうな巨大なRV車が、速度も緩めずに、まっすぐ僕の方に向かって突っ込んでくるではないか。
「えっ、嘘っ。危ない!」
 僕は、思わずそう叫んだ。逃げることも、身構えることも叶わなかった。
 どーーーんっ。
 激しい衝撃音とともに、僕の身体は10メートル近く吹っ飛んだ。手足が変な方向に向いている。呼吸が苦しい。生暖かいものが、額を流れている。
 誰かが倒れている僕の傍らに立った。
「た、助けて。病院に運んで・・・・・・」
 僕は必死で訴えた。
 見覚えある顔が、僕の顔を覗き込んだ。
「まだ生きてやがる。でも、この怪我じゃ、直に死ぬだろう」
 覗き込んだ男は、冷たくそう言った。男・・・及川忠彦は、僕の身体を抱きかかえると、乗ってきたRV車の荷台に僕の身体を押し込んだ。
 及川忠彦は車を発信させると、僕に聞かせるためだろう、勝手に喋り始めた。
「僕は真理に一目惚れだった。彼女のことを調べ、君という婚約者がいることが判った時にはショックだったね。でも、それを知ると余計に彼女が欲しくなってね。強引に君から奪い取ったという次第だよ。恨まないでくれ。ただね、今でも彼女は君のことが忘れられないらしく、いつも僕と君を比較するんだ。僕の方が財力も地位もあるというのに。僕は許せなかったんだよ、君という存在が。僕の気持ちが判るかい?」
 僕は薄れ行く意識の中で、こいつに殺されるんだと悟った。これは、事故なんかじゃない、立派な殺人だ。真理とはお茶を飲んだだけなのに、そんなことで殺されなければならないなんて、いくらなんでも理不尽だと思った。
「僕はね、真理の持ち物、例えば、バックとかブローチとか、そういったものに盗聴器を仕込んで、彼女のことをずっと監視しているんだ。それは、もちろん彼女の貞操を君のような外敵から守るためさ。だから、今日の君たち2人の企みは全部僕に筒抜けなんだ。僕は、君みたいに、むざむざと真理を他の男に抱かせたりしない。そんなことになる前に、邪魔者は抹殺する。ははは。悪いが、君はこのまま死ぬんだ」
 その後、僕は気を失ってしまい、現在に至ったという次第だ。しかし、僕はそのことを刑事たちに言うつもりはなかった。及川忠彦との接点が明らかになれば、真理はあいつの許に連れ戻されてしまうだろう。それだけは避けたかった。真理が僕のことだけを愛しているといった言葉に嘘はないと信じていた。
「刑事さん、悪いのですが、事故の影響なのか、何も思い出さないのですよ」
 僕はそう答えた。
「そうですか。仕方ありませんね。ところで、そちらのお嬢さんは?」
「彼女は、私のフィアンセです」
「あ、申し遅れましたが、わたし、北村真理と申します」
「北村真理さんとおっしゃる・・・・・・。いや、綺麗な方ですなぁ。こんな綺麗な方が婚約者でいらっしゃるなら、北村さんを置いて死ぬわけにはいかんでしょう。彼が意識を回復したのも、貴女が来られたからかもしれませんね」
 刑事たちは真理に本音ともつかないようなお世辞を言っているが、僕は内心まずいと思った。警察が彼女の身許を調べれば、及川忠彦と結婚しているのが判ってしまうだろう。そうなったら、彼女は・・・・・・。僕の身体は全身打撲のうえ、複雑骨折している。真理を連れて逃亡するなんてことは不可能だ。
 僕が1人でやきもきしていると、突然、病室の一角が明るくなり、白い手術着のような着衣をした人物が現れた。目はサングラス、口元はマスクで覆われていて、容貌は見えない。その人物はゆっくりと僕の方に近づいてきた。
「あんた、誰だ」
 僕の担当医だと思っていた医師が、驚いたように言った。
「わたしは管理局から派遣された監督官です」
 意外にも女声だった。
「管理局? 一体何だ、それは!」
 刑事が怒鳴った。気に障ったのか、その管理官と名乗った女性は、白い手袋をした右手を刑事たちに差し向けた。ついで彼女の指先から白い閃光がほとばしり、その先にいた刑事たちは石像の様にぴくりとも動かなくなった。
「あわわわわ」
 担当医と看護婦は腰を抜かしたみたいに、その場に無様にひっくりかえってしまった。
 真理は呆然と立ちすくんでいる。
「どうやら最悪の事態は回避できたようですね。霊体と肉体の結合装置が外れたという事故報告が管理局に届いたのが200時間前のことです。わたしたちは、その事故報告を受け取ってから、事故現場の特定を急ぎましたが、なにしろここは宇宙の最果てに位置します。管理局のある場所からは1000兆光年も離れていたため、到着が遅くなってしまいました。肉体と霊体が分離したままの状態で240時間が経過すれば、霊核分裂が始まってしまうので、もう間に合わないかとも思いましたわ」
「一体、何の話をしているのです」
 僕は堪らなくなって、管理官に尋ねた。
「あなたたちがシルバーボールと呼んでいたあの物体のことです」
「シルバーボール?」
 僕と真理は顔を見合わせた。
「ええ。あなた方お2人には、既にご理解いただけていると思いますが、あの装置は肉体と霊体を結合させるものなのです。あの装置が外れてしまうと、霊体は肉体の中に留まっていることができなくなります。分離された霊体をそのまま放置することは核分裂を起したも同じで、その世界のあらゆる生命体に連鎖反応を引き起こしてしまいます。そして、その霊核分裂連鎖反応の結果、恐るべき量のエネルギーが放出され、その世界は大爆発を引き起こしてブラックホール化してしまうのです。この世界もそうなるところでした」
「・・・・・・」
 僕たちには驚くべきことばかりで言葉が出なかった。
「このような事故は本来あってはならないことなのですが、霊体を送り出す際のチェック漏れなどが原因で何万京に1件程度の確率で発生するのです。我々管理官が辿り着く前に連鎖反応が始まり、手遅れとなって、ひとつの宇宙が消滅してしまうことも珍しくありません。自助的に安定状態に戻った極めて珍しい事例と言えるでしょう」
「それじゃあ、わたしが2つに分離したのも連鎖反応なの?」
「ええ、そうですよ。彼と最も親密であった貴方がまず連鎖反応を起したのです」
「最も親密であった・・・・・・」
 真理は管理官の言った言葉を反芻している。
「シルバーボールは本来、目に触れることはないのですが、あなた方は、それを実際に目にするという類稀な経験をしたと言えましょう」
「シルバーボールは、さっき僕の身体に吸い込まれたみたいなんだけれど、もう大丈夫なんだろうか」
「はい、今度はしっかりと肉体に固定されています。あなた方の活躍のおかげで、この小宇宙は消滅せずにすみました。このお礼をせねばなりませんね」
「お礼?」
「ええ、この小宇宙にとって、あなた方は命の恩人なのですから、何でも望みのものを。そうですね、あなた方をこの小宇宙の万能者にしてあげましょう。あなた方が神と呼んでいる存在に。わたしは大爆発が食い止められたことを、できるだけ早く管理局に報告しなければなりません。実は、わたしにとって、初めての成果なのです。ありがとう。さあ、急がなければ・・・・・・。それでは、ごきげんよう」
「あの・・・・・・」
 僕は何かを言いかけたが、それを管理者に伝えることはできなかった。その時には、既に管理者は姿を消していたからだ。
 ここから先は、説明するまでもないだろう。神となった僕たちは、何でも思い通りにできるのだ。だが、だからといって、今までと全く違う生活をしているわけじゃない。今までとほとんど同じ生活で、ほんのちょっぴり変更した。つまり、僕と真理の結婚に対して都合の悪い記憶を、人々の記憶から完全に消去したのだ。

(了)


最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
あとがき (mina)
2007-07-20 21:31:20
体調は今ひとつなのですが、今週は会社も休んで、じっくりと休養をとったせいか、随分と調子がよくなりました。
HPの日記でも書いたのですが、最近、同じ夢を見続けまして、それが、この「シルバーボール」のエンディングシーンなのですよ。悪夢ではないものの、同じ夢となると、やはりうなされます。
どうあっても完結させなければ、夢を見続けそうなので、minaとしては最後の力を振り絞って、ようやく完結させました。
返信する

コメントを投稿