今日で、あの震災からもう15年。
時の流れの早さと、あの頃のことを思い出しつつ
そしてハイチの被災者の苦しみと悲しみを思いつつ
フォーレのレクイエムを聴きました。
レクイエムといえばモーツァルトとか
ヴェルディとかくらいしか知らなかったけれど
初めて聴いたフォーレのレクイエムの、
なんて穏やかでまろかやで、美しいこと。
最後の審判を表現する、威厳と恐怖に満ちた
「ディエス・イレ(怒りの日)」の章がなく、
全編が、やわらかな安らぎに満ちていて。
フォーレの神は、最後の審判をかざして
人を脅し、怒り、裁く神などではなく、
すべての人を愛し、慰め、包み込む神のように思えて。
このレクイエムこそ、今日の日にふさわしい。
これから毎年、この日はフォーレのレクイエムを聴こう。
そしていつか、わたしもこのレクイエムを
出来ればソプラノの一人として歌ってみたいな。
祈りの朝にまた生まれた、ちいさな夢ひとつ。
時の流れの早さと、あの頃のことを思い出しつつ
そしてハイチの被災者の苦しみと悲しみを思いつつ
フォーレのレクイエムを聴きました。
レクイエムといえばモーツァルトとか
ヴェルディとかくらいしか知らなかったけれど
初めて聴いたフォーレのレクイエムの、
なんて穏やかでまろかやで、美しいこと。
(このところの寒さで、昼間でも水辺にところどころに残る薄氷)
最後の審判を表現する、威厳と恐怖に満ちた
「ディエス・イレ(怒りの日)」の章がなく、
全編が、やわらかな安らぎに満ちていて。
フォーレの神は、最後の審判をかざして
人を脅し、怒り、裁く神などではなく、
すべての人を愛し、慰め、包み込む神のように思えて。
このレクイエムこそ、今日の日にふさわしい。
これから毎年、この日はフォーレのレクイエムを聴こう。
そしていつか、わたしもこのレクイエムを
出来ればソプラノの一人として歌ってみたいな。
祈りの朝にまた生まれた、ちいさな夢ひとつ。
昨日の、神戸新聞社のドラマをずっと泣きながら見ていました。
私も看護師のはしくれの一人なので、命の優先順位の選択の辛さを、日々痛感している一人だと思っています。
でも、神戸大震災の時は、誰も彼もが一人でも少しでも救われなければならなかったし、救いたかった。
私は、神戸大震災の時に、准看護学校の2年生で、准看護学校の同期生皆で、
「何とかして希望者だけでも募って、神戸に援助に行けないだろうか?」
と、友人が立ち上がりましたが、准看護師資格試験を1ヵ月後に控えていた事で、看護学校の先生から、思い留まるように諭されました。
私も、フォーレのレクイエムの合唱は演奏会本番では歌った事はありませんが、合唱団の練習に加わった事はあります。大変に美しいレクイエムですね。私が一番好きな一節は、
「Libera me」
です。この節は、どの作曲家のレクイエムよりも優しく美しいですね。
改めてお祈り申し上げます。
フォーレのレクイエム、Goodweatherさんならご存知だろうな、と思いながら聴きました。わたしが聴いたレクイエムの中で、一番大好きな曲になりました。いつか出来ればソプラノとして合唱に参加できる日を夢見ています。
フォーレの”レクイエム”は、お姉様の葬送の時のリクエスト曲です。忘れないでね。
ちなみに僕はモーツアルトで葬送してもらっていいですが、はじめにラベルの”亡き王女のためのパヴァーヌ”を希望。