クリスマス直前の昨日、楽しみにしていた、
「佐渡裕 21世紀の第九」のコンサートへ。
今年は朝日放送創立60周年記念ということで
5日間にわたって行われ、その最終日。
今年も、第一楽章の最初の音が出た瞬間から
いきなり心が、魂が、共鳴してしまって。
苦悩の濁流がうねるような、地を這うような第一楽章は
今年の苦しかった時期の、わたしの心そのもの。
それでも音楽はたまらなく美しくて、
そのことが、どうしようもなくうれしくて。
音楽を聴くというより、音楽を通じて
わたしの一年が、この一年の様々な思いが
昇華されていくような、そんな感覚を味わいつつ。
そして歓喜が炸裂する、第四楽章に入ると
ただもう、とめどなく涙があふれるばかり。
何があっても、この先どんなことが起ころうとも、
生きていて、音楽があって、その喜びを感じられる、
それだけで、わたしはきっと十分幸せでいられる。
感極まった至福の涙は、人生を丸ごとすべて
肯定して抱きしめるような、幸せな涙でした。
演奏が終わった後の会場は、異様な興奮状態。
いつまでたっても拍手が鳴りやまず、
2回、3回、4回と佐渡さんとソリストは挨拶に現れ、
それでも鳴り止まない拍手に、ついに5回目の登場。
やがては会場が総立ちになって、ブラボーの嵐。
こんなのは、わたしもこれまで初めて。
きっと様々な思いのこもったスタンディングオベーション。
素晴らしい演奏への感謝と賛辞は言うに及ばず、
ベルリンフィルに挑戦する佐渡さんへのエールや、
運営の危機と戦っているセンチュリー交響楽団へのエール。
あまりに拍手し続けたせいで、腕が筋肉痛になったけれど
一年の終わりに、こんな素晴らしい時間を共有出来るなんて
やっぱり今年も、わたしは十分に幸せ者でした。
「佐渡裕 21世紀の第九」のコンサートへ。
今年は朝日放送創立60周年記念ということで
5日間にわたって行われ、その最終日。
今年も、第一楽章の最初の音が出た瞬間から
いきなり心が、魂が、共鳴してしまって。
苦悩の濁流がうねるような、地を這うような第一楽章は
今年の苦しかった時期の、わたしの心そのもの。
それでも音楽はたまらなく美しくて、
そのことが、どうしようもなくうれしくて。
音楽を聴くというより、音楽を通じて
わたしの一年が、この一年の様々な思いが
昇華されていくような、そんな感覚を味わいつつ。
そして歓喜が炸裂する、第四楽章に入ると
ただもう、とめどなく涙があふれるばかり。
何があっても、この先どんなことが起ころうとも、
生きていて、音楽があって、その喜びを感じられる、
それだけで、わたしはきっと十分幸せでいられる。
感極まった至福の涙は、人生を丸ごとすべて
肯定して抱きしめるような、幸せな涙でした。
(帰りに行った、中ノ島の「光のルネッサンス」)
演奏が終わった後の会場は、異様な興奮状態。
いつまでたっても拍手が鳴りやまず、
2回、3回、4回と佐渡さんとソリストは挨拶に現れ、
それでも鳴り止まない拍手に、ついに5回目の登場。
やがては会場が総立ちになって、ブラボーの嵐。
こんなのは、わたしもこれまで初めて。
きっと様々な思いのこもったスタンディングオベーション。
素晴らしい演奏への感謝と賛辞は言うに及ばず、
ベルリンフィルに挑戦する佐渡さんへのエールや、
運営の危機と戦っているセンチュリー交響楽団へのエール。
あまりに拍手し続けたせいで、腕が筋肉痛になったけれど
一年の終わりに、こんな素晴らしい時間を共有出来るなんて
やっぱり今年も、わたしは十分に幸せ者でした。