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一円相(いちえんそう)

丸、○の事です。
心が何時もまあるくありますように。。。。

なんとなく…秋色?

2019年09月13日 20時52分40秒 | 日々徒然
風が何となく変わった。




そう思ったのは午前中だけだったようだ。

午後2時から市主催の「はつらつ健幸ポイント」講座に行ってきた。
なんと・・・去年から開催されていたとの事。

私は何をしていたのだろう・・・・
健康に対する意識は高い方でアンテナがキャッチすると
確信していたのに・・・・
今回もヒットせず見逃す所だった。
オカリナの講座が社会福祉協議会の建物の中にあったので
チラシが配られてそれでキャッチする事が出来た。

いろいろ説明があったが・・・・
中程度運動量を計測できない測定器が1000円で配られる。


保健センターと繋がっている所は良いけど中程度が無いのは
お粗末かな?

100名~200名位の参加者。
なにが嫌って・・・・

終了時の車の渋滞。
出口はゲイトが付いてカードを入れて上げ下げして出るモノ。

一番に出て車に向かうとお隣に居て話していた女性が追いかけて来て
「今だとすぐ出られますよ~
私もそれが嫌で自転車で来ました。
ご縁があったらまた会いましょうね~~」と

さわやかに出て行かれた。

もちろん・・・私は一番に駐車場を出た。

基本、私は一人で行動する。
(よほど気心が知れている人は別ですが)




ちなみに

これは私が使っているモノ。
この方が断然優れもの。


母の事(NO1)

2019年09月13日 06時01分51秒 | 日々徒然
エンディングノートに母親の事を書く欄がある。

たかだか19年しか一緒に居なかった。
物心付いての記憶だから実質15年位しか生活していない事になる。
52歳で亡くなっている。

母は当時ポーラ化粧品を売っていた。
6歳上の兄が京都の大学に行きその費用捻出のためだと思う。

そんなに社交的ではないと思っていた母だったが
以外に性に合っていたのかもしれない。

高校生になった私にも化粧することを教えたが
(メイクではなくお肌のお手入れの方)
私は父親似で全くのバンカラで成人してからも化粧ッケのない方だった。

今思い起こしても・・・
母には不思議な魅力があった。
私の周りの男子は母親のファンが多かった。

よく「おふくろは?」と言って家に遊びに来た。
別に何かを振舞う訳でもない。

いろいろ話して帰っていった。

高校生になっても・・・・
家の前が神社でその山頂でよくトランペットを吹いていた
ジャズバンドサークルの先輩がいた。

クリスマスの夜9時ごろフラット玄関を開けてそこで倒れた。
泥酔していた。

それからは嘔吐の連続。
やっと落ち着いて寝かせた。
玄関先の狭い部屋で。

彼の家に連絡するも電話に出ない。
連絡のしようもない時代だった。

高校生がお酒を飲む?
今では大変な事になるが・・・・まだそんな時代ではない。

彼の家は市内では一番の大きな美容院で父親は市役所勤務。
子供は放ったらかしだったのだろう。

あくる日帰って行ったが・・・
その後家族からのお礼などなかったし
もちろん探した様子もなかった。

母親の優しさがうちの母にはあったのかもしれない。

断じて彼は私に気があったのではない(残念ながら)

我が家の父はその時どうしていたのだろう・・・・
記憶はない。

母親にはそんな話が山ほどある。