mimi-fuku通信

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【日本酒(SAKE)と焼酎を国酒に】:日本文化と憧れを売る。

2012-05-29 21:22:33 | 経済・産業・mono

日本酒と焼酎を“国酒”として世界に売り込む戦略をWeb記事で見つけた。
以前から何度も文字にしている日本文化の世界戦略。
特にアジアに向けて日本文化の優越を輸出戦略にすることに誤りはない。

先日お馴染みの居酒屋で同じくお馴染みのラウンジのマスターと酒談義。
景気低迷から最近ではラウンジでも焼酎のキープが常識となった。
バブル期以前にラウンジ(スナック)で飲む酒は水割りが主流。
ウィスキーやブランデーやバーボンの水割りを片手にマイクを掴んだ。
*ブランデーは香りを楽しむものとされ本来はストレートを推奨。

ラウンジのマスターの愚痴は円高になっても輸入酒が安くならない。
「どこかで誰かが儲けてる」。
には笑ったが、
「日本産のウィスキーでもいいんじゃないですか?」
そう言えば、
庶民の私が20代の頃にキープしたウィスキーはダルマ。

最近では“ハイボール人気”から角瓶が人気をさらった。
*マスターが頭に描く本命は山崎のようだ。

その話から、

「最近ではホワイト・ホースは1000円台、ジョニ黒でも2000円台」。
との話をしながら、
「昔のウィスキーは本当に高かったですね」。
と思い出話。

プラザ合意や関税の撤廃。
洋酒に憧れる人は今では少ない。
バブル期の頃の都会では、
ヘネシーやドンペリが飛ぶように売れたと聞く。
なによりも、
高価なビンテージ・ワインが数多く消費された。

ワインについても、
「昔はワインは白は飲めても赤は癖が強く飲めなかったね」。
との話からブーム時には、
「赤ワインが心臓や血管に良いからと飲み過ぎてアル中になった」。
の笑えない世間話をしながら〝あっ〟という間の約2時間。

この話を振り返り、
ジョニ黒の価格の違いを考えてみる。
私がお酒を飲める年齢は1980年代から。
当時のジョニ黒は10000円近くしたと思うし、
*年配の人に聞くと1960年代でも10000円?

友人が結婚して海外へ新婚旅行に行く時に

「お土産いらないからジョニ黒買ってきて」。
と、
5000円を渡して免税店での購入をおねだり。

*そんな記憶が甦る。

ワインにしても80年代頃の地方では、
結婚式の引き出物でしかお目にかかることはなく、
初めて飲んだ時の違和感は良い記憶として残っていない。

ワインが頻繁にテレビで話題になったのは何時の頃だろう。
恐らくバブル景気が始まる要因となったプラザ合意以後と記憶する。

ラウンジのマスターとの会話で印象的なのは、
「人は酒を飲んだのではなく金(数字)を飲んだ時代」。
と私の口から出た言葉。

“日本の不景気の最大要因は憧れ(物品欲)の消失”
手に入れたいと思うものが容易に手に入る現代。
手に入らない時代は手に入れようと夢中になった。
*勿論今でも手に入れたいものはあまりに多い。
しかし、
均一化されていく安価なグローバル商品の中で、
手に入れたことを自慢する時代ではなくなった。

数万円~数十万円もする洋酒を飲めるステータス。
美味しい酒を楽しむのではなく数字を楽しむ社会風潮。
その意識が景気の活性化を促したのだろう。
*ただし多くの不良債権も生まれた事実。

*****

以上の居酒屋での他愛も無い会話の中で注目すべきは、

〝お酒を数字で飲む方々が存在する〟こと。
日本の高度成長期~バブル期が証明する価格を楽しむ風潮。
それは、
お酒に限ったことではなく新興国の多くが日本とは違った格差を有し、
“自分をひけらかす道具(=ステータス)としての高級品志向”
に目を背けてはならない。
*若い日本人女性がフランスやイタリアでブランド品を買い漁った時代と同様に、
豊かになっていく新興国の方々が日本に来て高級品を買う姿勢の受け入れ。

日本の寿司や天麩羅に合う旨み酒。
その時に、
*ワインにはワイン・グラス。
*ブランデーにはブランデー・グラス。
に意味(道具としての理由)があるように、
*日本酒には陶器の猪口(ちょこ)や漆器の盃。
*酒だけでなくセット販売しなければ意味はない。
売るべきは飲料水ではなく日本の文化と作法だ。


食には必ず文化が付きまとう。
素手で食べる陽気で多忙なアメリカ人のハンバーガー。
フォーク、ナイフ、スプーンを使い分ける西洋の習慣。
箸食の文化の日本や韓国や中国等の極東地域。
*その他には宗教的な戒律としての手食を忘れてはならない。

日本人は戦後から多様な文化を取り入れ自由に選択。
食事に合わせ食器を変えグラスを変え盛り付けを変える。
*世界中の文化を趣向(購入)し生活に潤いを与えた事実。

忘れられていく、
清華と粋を趣向する日本固有の高級な食文化。
さらに、
食は目で楽しむを実践する職人技と高価な代価。
*安価と満腹だけが目的となった貧しい食文化。

*****

今の時代の日本では高価なものは売れない。
それは行政の指導方針に即した儲けを許さない国造りも原因のひとつだ。
平等を勘違いし不思議なマネーの流れを誘導したバブル以後の失われた時代。
*その話は別のお話になるので別の機会に。

何よりも今日のテーマは、
“高価だから売れない”
は日本国内(先進国)での現状であり、
世界中に日々誕生する中産階級に向けた、
“憧れとしての日本文化”の模索。

イメージの誘導とは21世紀に入り急激に成長したApple社代表の、
故:スティーブ・ジョブズ氏が最も重要と考えたビジネス戦略。

“日本文化への憧れの誘導”

しかし、
日本人(庶民)が日本文化に背を向け、
行政が誘導するアメリカ文化の模倣に追従。
*模倣の文化はどんなに成熟しても本家に及ばない。

日本人は何を売るのか?
日本人が売るべきものは何か?
日本人にしかできない所業とは何か?
日本の(地域)風土にあった伝承すべき文化とは何か?


そんなことは、
日本の頭脳(中枢)には知ったこっちゃない。
彼らが目指すものは金太郎飴型社会(=平等?)の実現。
*彼らの頭の中にあるのは自己保身と管理欲と数字だけ?
と、
最後はmimifuku節で締めてみました(笑)。
この文書の組み立ては久しぶりでしょ?

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