水面に映る光景

日常感じたことなど。

短歌の思い出

2006-11-11 09:08:14 | Miso一文字
  身をかがめものいうことももはやなし 子はすんすんと水辺のまこも(河野裕子)

 息子が高校をやめて、しばらくして出会った短歌である。息子に短歌を読ませながら、あなたが元気で生きているだけで十分だね、と話すと、これは息子が死んだ歌ではなく成長した歌だよと訂正されてしまった。
おっちょこちょいなのだ、私は。

 それから2,3年後、自分で31文字を並べだして、ある日電話の向こうの息子に一つ読んで聞かせた。
 息子が、そのままじゃん、というので、私は写実主義だよと答えた。

 それからしばらくして、息子が司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読むように言ってきた。
戦争物で読みづらいかもしれないが、という言葉とともに。(第6巻までありまだ読み終えていない、すぐ読む本の位置に座ったまま数年が経つ)

 「坂の上の雲」の第1巻には正岡子規のことが詳しくかかれていた。なるほど、写実主義というものは見たままそのまんまじゃないんだ、一ひねり加える所に作者の思いが出るんだと教えられた。

 それでも上達しない私の短歌だが、工夫の視点はもらったつもりだ。

 息子にはいろいろ教えられたり、心配させられたり。
 短歌は細々と延々と修業していくつもり。


 最近のお気に入りの短歌

  泣かむとしこころの中の糸巻の糸切れるまで夜道を歩く(栗木京子)



拙歌
 息子が高校やめたときは円形脱毛症が出来た。
   
   禿の思うつぼと笑う なるほどと笑いながらも 夫と距離あく

リュウマチと診断された時  
   
   リュウマチで一生俺のそば なるほどねそれも愛ねと 心に蔭り
 

 今朝、河野裕子さんをテレビで見てちょっと書いてみました。
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