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アロマな日々

一条の光に誘われて歩くうちに、この世とあの世を繋ぐ魔法の世界に紛れ込んでいました。夢のワンダーランド体験を綴ります。

主観的な現実と客観的な現実

2005年10月10日 | 日々の泡
主観的な現実は、その個人の思考・感情・情緒・欲望・想像・空想・記憶、最も深い願望として存在しているものだそうです。客観的な現実とは、目に見えるその個人の物理的身体であり、五感で経験する世界のことだそうです。この現実はどちらも、同時に、互いに依存しつつ存在しています。ここからは、私独自の考え方ですので、全く当てにならないものではありますが、主観的現実というものが、その個人を形作っていくものだとしたら、いくら主観が大事だと言っても、「私はこう感じる。」ということを一度は相当に疑ってみてもいいと思っています。というより、疑ってみないと危ないとさえ思っています。「私が感じている」ことの内容の信憑性というものはかなり疑わしいものだからです。私の考えと信じているものが、本当に、私の考えかどうかなんて本当は分かりません。どこかで聞いて来たことを、まるで自分の信念であるかのように信じているだけなのかもしれないのです。私の経験では、思考・感情・情緒・欲望・想像・空想・記憶というようなものは脳のコンピューターの機能不全を通して(あるいは、あまりにも有能すぎる機能を通して)、巧みに捏造・改竄されている危険性に満ち満ちているものだということを知ったからです。(これは観念として知ったのではなく、身を切るような痛みとして体験したのです。)私が、唯一、信じてもいいと思えるものは、心の深い部分に横たわっている願望だけです。「私の願望」に嘘はない。願望には何人たりとも手を加える事は出来ないというのが、私の現段階での考えなのですが、これとても本当のところはよく分かりません。けれど、有能な脳のコンピューターをもってしても心の奥底の願望にまでは手が届かないような気がしています。これは、私の実感なのですが、如何なものでしょうか?主観的現実の何たるかに騙されている限り、身体にも変化は起こってはきません。五感というものを超えた世界も存在するようですが、私はその世界のことにはまだアクセス出来ていません。