雨の夜と下弦の月

毎日を静かに、穏やかに生きていきたいと思う日々。
そのわりにはジタバタと暮らすワタクシの毎日を綴っております。

虚礼廃止。

2009-10-21 20:51:37 | …and so on
ワタクシの事務所の偉い方のお母さまがお亡くなりになりました。ご実家は遠いのでお手伝いとかはないのですが、回章を作るのはワタクシのセクションのお仕事なので、あちこちに連絡を取ったりしているうちに1日が終わってしまいました。ワタクシのカイシャに虚礼廃止の嵐が吹き荒れて10年近くになります。その昔はカイシャの誰かのご両親が亡くなったときは、セクションをあげてお手伝いに伺ったものですが、今は時代の流れともいうべきか、お通夜も告別式も近親者だけで執り行う方が増えました。お手伝いを頼めば頼んだで何かと気を使わなければならず、それも大変だから身内だけで…という考え方が浸透してきたような気はします。確かに、若い頃はワタクシなどもお通夜や告別式のお手伝いに駆り出され、それが何故か真冬の時期が多くて、背中にカイロを貼り付けて受付などをしていたことを思い出します。お通夜のお手伝いが多かったのですが、まさか受付の人間がコートを着てるわけにもいきませんしね。

他の事は大抵やってくれる葬儀社の方が、唯一手を出さないのが受付でお香典などをお預かりすることだと知ったのは、自分がそうやってお手伝いに伺うようになってからのことです。確かに、そういう場合の受付にはカイシャ関係ならカイシャの人間、地域の方関係なら自治会の方というように担当は分かれますが、そこに葬儀社は介在しないですね。ワタクシの父の時も、田舎のことゆえ隣組がまだ機能しており、隣組の皆さまには大変お世話になりました。だから、隣組のどちらかにご不幸があれば、実家の母などがお手伝いに行っているようです。持ちつ持たれつの関係が田舎にはまだあります。東京の方が見ると結構うざいと思われるかもしれませんけどね。虚礼廃止はある意味合理的でいいのですが、カイシャの中の人間関係がギスギスしてきたことは間違いないようです。よっぽどお世話になった方にご不幸があったときは別として、普通のお付き合いならお返しなど要らないから、お香典だけ出しておけばいいかという風潮になってきました。そのほうが合理的だと思う反面、世知辛い世の中になったなぁと思うのは、ワタクシが年を取った証拠かもしれません。

やっちまったかも…。

2009-10-20 20:38:03 | …and so on
新型インフルエンザ感染予防のために手を洗いすぎて、結果として手に湿疹ができたために皮膚科を受診する人が増えているという記事を、10日ぐらい前にポータルサイトのヘッドラインで見ました。その時は「大変だねぇ」と同僚と話していたのですが、ここ数日、ワタクシの手の甲がかゆくて、湿疹かも知れないと気がつきました。ひょっとしたら、他人様のことをとやかく言うことができないのかもしれません。確かに、事務所でも自宅でも外から帰るたびに薬用ハンドソープで手洗い怠りない生活を、我ながらちょっと神経質なくらいしております。それでも、手を洗うたびにハンドクリームをこれまた神経質なくらい塗っていることだし、湿疹とは無縁だと思っていたのです。ネットで見た記事は、やはり神経質に手を洗いすぎる人が増えたゆえに、お子さまやOLさんが皮膚炎になり、皮膚科に駆け込むケースが増えているとのことでした。

ワタクシは元来こらえ性がないため、かゆくなると患部をとことんかいてしまうという悪癖があります。おかげで、両手の甲が赤くなり、毛穴が数カ所傷ついてしまっております。最初は、もともと持っている金属アレルギーが出てきたのかと思っていたのですが、手の甲に金属をくっつけた記憶もないしなぁ…と不思議に思っていました。で、今日、ふと手の洗いすぎ云々を思い出し、やっちまったかもと思い当たったわけです。かといって、新型インフルエンザに感染しないためには、手洗いを止めることもできません。どうせワタクシたちの年代に新型のワクチンが回ってくるわけはないので、今のところ自衛手段としてできるのは手洗いぐらいなのです。昨日から、普段のハンドクリームに加えて身体用の保湿ローションも塗っているのですが、効果があるかどうかは甚だ疑問です。あまりにも酷くなったら皮膚科に行くしかないですが、今の時点ではそこまで悲惨でもない。当面は手を洗ったらしっかり保湿しようと思っております。全くとほほな今日この頃です。

組織防衛。

2009-10-19 20:52:21 | works
本日の午後、うちの事務所の偉い方々がみんなで連れ立って現場調査に出かけてしまいました。組織防衛のために、次の事業を始める候補地を見に行ったらしい。確かに、今の現在進行中の事業が終了してしまうと、ワタクシのいる事業所は本当に要らなくなってしまいます。下々は生首さえ切られなければ(これからはそれも危ないんだけど)他の事業所でも、あるいは本社でも行くところはあるのです。でも、役付きの方々はポストが減ると自分の行く場所が減るわけで、そういう方々にとっては事業所の統廃合は死活問題ではある。ワタクシなどは本社に戻ってこき使われるか、他の事業所の困ったチャンの面倒を見ることを覚悟するぐらいかなぁ。うちの事業所がなくなったとしても感情的に寂しいかなぁとは思いこそすれ、この事業自体に対する思い入れもあまりないし。この事業一筋数十年というおぢさんたちとは違い、お気楽事務屋は所詮どこに行ってもやってることは同じなわけで。

本社に行くにしろ他の事業所に行くにしろ、事務屋の仕事は技術屋さんとは違って、お金の管理か人の管理と相場は決まっております。ワタクシは就職して二十数年になりますが、それ以外の仕事(いわゆる事業のことですね)をしたのはそのうちの5年あるかないかなのです。事務屋の中にも事業の方が向いている人もいますが、ワタクシのように内部調整だって苦手で逃げ回っているような人間は、事業を持って対外調整をしなければならないと思った途端めまいがします。若い頃のようにエライ人のアシスタント的な仕事をしていればいいのならまだしも、この年になってアシスタントで~すというのもいかがなものかと思うわけです。ワタクシのような超人見知りかつ天秤座的八方美人的全方位外交のヒトは、内部管理をやってる方がまだマシというものです。ともあれ、事業所の明暗を分ける(かもしれない)本日の現場調査、偉い方々のポスト維持のためにもうまくいってればいいなぁと思います。ワタクシ自身には何の思い入れもなくても、一応この事業所に所属はしておりますので。

スノッブな人。

2009-10-18 16:02:23 | …and so on
昨日の夕方、gooのニュースのヘッドラインで加藤和彦さんの自殺を知りました。「えっ」と驚くのと同時に、何となくさもありなんという感じを抱いてしまいました。ワタクシの世代はフォーククルセダーズにもサディスティック・ミカバンドにも全く間に合わず、加藤和彦というと良くも悪くもスノッブな人というイメージしかない気がします。かなり昔の話ですが、安井かずみさんのホスピスでの療養記録をNHK特集かなんかで見て、ガンと闘うばかりが能じゃないんだなぁと思った記憶があります。ガンを受け入れて、心静かに最期のときを迎えるという選択もありなんだとそのときに初めて思いました。もちろん、どちらの道がいいとか悪いとかの問題では全くないし、そもそも、ホスピスに入るにはそれなりのお金も必要でしょうし。最後まで闘うことが必要な事だってありますよね。ただ、運命を静かに受け入れるという選択もありなんだと思ったのは、その安井かずみさんの闘病記録を見たときなので、結構鮮烈な印象があります。

個人的には、THE ALFEEの坂崎幸之助と組んだユニット「和幸」でミュージックフェアに出演したのを見たときに、何となく違和感を覚えたような気がします。確かに、元を辿ればフォークソングが出発点の人には違いないのでしょうが、今ごろになってフォークでもあるまいにと思ってしまったのかもしれません。ワタクシの全く勝手な個人的イメージが加藤和彦=スノッブな人だったので、アコースティックギター2本で歌う姿が想像できなかったせいかもしれません。それにしても、盟友北山修は精神科医で九州大学の教授でもあります。なんとも皮肉な最期だなぁと思うのはワタクシだけでしょうか?自殺というのは、本人はいなくなってしまえばそれまでなのかもしれないけど、残された周囲の人々にとんでもない心の傷を残すものだとは思います。あの時に助けてあげられなかった…などと一生後悔し続けなければなわないわけで。そういうことも考えられなくなるところが、うつ病のうつ病たる所以ではあるのでしょうね。

ご冥福を心からお祈り申し上げます。

貧相ですが、何か?。

2009-10-17 18:05:18 | books&magazine
有楽町に髪を切りに行ってきました。雨が降るという天気予報だったので折りたたみ傘を携帯していたのですが、昼間は何とか持ちこたえました。結局、自宅の最寄り駅に着いた頃からポツポツ降り始めたので、天気予報のわりにはかなりラッキーな展開だったと思います。有楽町までの往復の電車の中とランチしたカフェで、橋本治の「20世紀」上巻をずっと読んでいました。実を言うと、この本に取り掛かったのは2週間ほど前からなのですが、なかなか読み通すことができずにいます。その間に石田衣良の「親指の恋人」や土屋賢二の「貧相ですが、何か?」を読んでしまい、橋本センセイを延々と後回しにしてしまっています。土屋センセイのエッセイに至っては、昨日のカイロプラクティックまでの空き時間に読み始め、本を読みながら一人でゲラゲラ笑うという、周囲の人が見たらさぞかし気持ち悪いだろうと思われる状況で読んでしまったのです。

「貧相ですが、何か?」は、東大哲学科を卒業され、お茶の水女子大学教授にして文教育学部長まで勤められた土屋センセイが、いかに貧相で、周囲から不当な扱い(?)を受けているかを切々とつづったエッセイです。週刊文春に延々と連載されているエッセイを1年に1回ぐらいのペースで単行本として出版されているので、ご存じの方も多いのではないでしょうか。土屋センセイのご尊顔を拝したことがないワタクシなどは、この人は一体どれだけ貧相なのだろうと思っただけでも笑えてしまいます。確かに、日本に2つしかない国立の女子大学のうちの1つ(もう1つは奈良女子大)だから、学長も女性だし学生も女性ではあります。それを逆手にとって、自分がか弱いというふりをなさっている節が無きにしも非ずですが。教え子の中には柴門ふみさんもいらっしゃる土屋センセイの、今後ますますのご健闘を願わずにはいられなくなる本でした。ただ、人が大勢いるカフェとかで読むのはあまりお薦めできないので、ご注意くださいませ。

人当たり。

2009-10-16 22:48:59 | works
やっと1週間終わりました。

今週は4日間しか仕事していないのに、なんだかとても疲れました。本社への提出資料の締切が毎日続いたのが一因かもしれません。何といっても本社様様なので、出先事業所は逆らえません。でも、最近の本社の方々は腰が低い人が多くなりました。それだけ自分が年を取って、若い人を相手にするようになったということでもありますが、昔はセクションによっては「あなたは何様?」みたいな人がいた気がします。おぢさんの中にはその頃の残党も若干残っていますが、若い人は、誰に対してもわけ隔てなく物腰が柔らかい人ばかりのような気がします。資料の提出依頼も非常に丁寧だし、たまに確認の電話とかしても懇切丁寧に対応してくれます。

ある意味、向こうにとってはワタクシなどは怖いお局サマに見えているのかもしれませんが。昔かたぎ(?)なおぢさんたちの中には、自分がいる部署の権威をカサに着ているような人がいて、みんなから煙たがられたりしています。そーゆーおぢさんに限ってKY発言・言動を繰り返しては周囲の顰蹙を買っているわけです。確かにあなたがGoサインを出してくれないと物事は先に進まないけれど、だからといってあなたが偉いわけでもなんでもないんですけど…みたいな人。たまたま、そのおぢさんがその部署にいるというだけの話で、立場が違えば別にどうってことないんですけど。「実るほど頭をたれる稲穂かな」というのは本当の話で、この人はどんどん偉くなっていくんだろうなぁと思う人は、頭もいいし仕事ができるのはもちろんなのですが、それに加えて人当たりがいい。無理してそうしているわけではなく、それが自然に身についている人はいるものです。いつまで経っても全く実りのないワタクシですが、せめて人当たりぐらいはよくしたいと思っております。

厄日かも…。

2009-10-15 20:55:19 | …and so on
もう少しで今日のブログをアップできるところだったのに、要らんキーボードを押してしまったらしいです。首の調子がいまいち良くないので、もう一度同じ記事を書く根性がありません。今日書こうとしていたネタは、後日改めて書き直そうと思います。

今日は厄日かもしれません。大したことではないけれど、ちょっとしたタイミングのずれみたいなものが、朝から続いている気もします。ま、長い人生こーゆー日もあるさということで…。

隣の芝生。

2009-10-14 21:17:04 | …and so on
ワタクシが帰宅した19:00前後から、東京は雷を伴った雨が降り出しました。どうやら一時的なものだったらしく、今はほとんど止んでしまったようですが。本日も何だかんだと雑用の嵐で、これもお給料のうちだと呪文のように唱えながら、何とか1日乗り越えました。本当に、仕事があるだけありがたいと思うしかないですよね。給料が減ろうが、税金が増えようが、その税金がワタクシとは何の関わりもない「子ども手当」なるものに使われようが、こうして暮らしていけるだけでもありがたいと思わないと罰が当たる。あのJALでさえ、銀行団に3,000億円の債権放棄を要請する羽目に陥るような昨今なのです。最初からできそうもなかったオリンピック誘致に都民の血税15億円を投入しておいて、はした金扱いをする某都知事に腹を立てても仕方なさそうだし。そーゆーのを税金の無駄遣いというのではないかとは思いますが。

ともあれ、ワタクシのような庶民は地道にコツコツと日々を暮らしていくしかないわけで。召し上げられた税金の使い道をあれこれ詮索しても仕方ないですからね。1日1日を心穏やかに、静かに暮らしていければそれが一番のゼータクなのかもしれません。そのためには、隣の芝生が青く見えても、それはそういうものなのだとおのれに言い聞かせることが必要ではありますが。結局、他人と自分を比べてしまった時点で、良くも悪くも心穏やかな生活はできなくなる。「子ども手当」がもらえる人をうらやましがってみても、自分に子供がいない以上どうしようもないわけです。子供がいる生活は何事も子供中心でとても大変だという見方をすれば、ワタクシのように1人でのほほんと暮らしている人間は、自由気ままでうらやましいということになるのかもしれない。他人は他人、自分は自分。本当の意味でその境地に至ることができれば、憧れの仙人生活も夢ではないのでしょうが、まだまだ修行することだらけで道程は険しい。とりあえずは、雑用が増えたぐらいでオタオタしないように頑張りたいと思います。


ありがたきこと。

2009-10-13 20:59:32 | works
連休明けの初日の始まりは、やはり1通のメールからでした。先週金曜日の夜に、本社から資料を提出するようにというメールが送られてきていました。提出期限は本日10:30厳守のこと。あさいちからバタバタになってしまいました。各事業所の担当者に一斉送信されていたので、恐らくどこの事業所も「え~~嘘ぉ~~」という担当者の声が出たに違いない。少なくとも、ワタクシはPCに向かって叫びましたから。でも、叫んでいても仕方ないので、とにかく資料を集めて本社に提出できるよう体裁を整え、メールを送信したのが9:45でした。10:30という提出期限は守れたから、個人的にはまあ良しとします。メール1通で資料の提出依頼も資料提出も済んでしまうのだから、本当に便利な世の中になったことは認めます。昔だったら、金曜日の夜に連絡することもできないし、朝8:30に連絡を受けたとしても、10:30までに本社に資料を届けるなんて不可能に近い。

もう一つのメールの利点は、電子データを送信できるということかもしれません。今朝の資料もExcelファイルのやり取りだったのですが、FAXだと訂正もできないけれど、電子データは加工することが可能です。誤字脱字程度のちょっとしたミスなら、電話で確認して訂正するなどということもやろうと思えばできてしまいます。もちろん、加工されたくない場合はPDFで送ればいい。そういう意味では、依頼のメールを見てから2時間程度あれば、ちゃんと各事業所が資料を提出することもそれほど困難なことではなくなりました。だからといって、夜21:00過ぎに資料作成の依頼をして、提出期限を朝10:30に設定してくる(しかもご丁寧に締切厳守と書いてある)のもどうよ?とは思いますが。ワタクシの事業所などは上級セクションさまには逆らえませんので、必死こいて資料を作りましたけどね。おかげさまで、連休明けの時差ぼけも吹っ飛んでしまいました。ありがたきこと…というべきなのでしょうね。

格差社会。

2009-10-12 17:27:48 | books&magazine
3連休最後の1日、ふらっと立ち寄った本屋で石田衣良の「親指の恋人」を見つけて購入、2時間ほどで読了してしまいました。いくらフィクションだと分かってはいても、なんともやりきれなくなるお話でした。父親が外資系銀行の社長で六本木ヒルズに住む大学生と、年収200万円でパン工場の契約社員として働く女の子の恋愛小説です。小説の設定だからこその極端さではありますが、石田衣良は、今の日本国にはびこる格差社会なるものを恋愛小説の形を取りつつ提示しています。ワタクシ自身は、もちろん六本木ヒルズには全く縁もありませんが、娘が大学に行くために一生懸命働いて貯めたお金を、ギャンブルで使い果たすような父親にも育てられなかった。今だって、本当にありがたいことに、それなりに働けばそれなりのお給料がいただける環境にいるわけです。でも、自分と同じような環境にいる人に囲まれて暮らしていると、時として、それが当たり前なんだと錯覚してしまいそうになる。

大学生の彼は、時間がもったいないという理由でタクシーを使おうとする。ワタクシだって、タクシーに頻繁に乗る生活ではないけれど、時間がもったいないから…と日常生活の中でしばしば思います。だけど、彼女はそのタクシー代だって生活費に充てなければ生きていけないわけです。あるいは、横浜ニューグランドホテルのカフェでお茶をしようとする彼に、もったいないから家に行ってコーラでも飲もうという彼女。石田衣良の「格差」の提示の仕方に、なるほどなぁと唸ってしまいます。ここまで極端ではないけれど、吉田修一の「東京湾景」にもこういう恋愛が描かれていたなぁとふと思ってしまいました。ただ、吉田修一は小説の最後は曲がりなりにもハッピーエンドにするのだけど、この「親指の恋人」は救われない。20歳で人生に絶望することがあるのかと問われれば、理由は全く違うけれど、同年代の頃に人生に絶望した経験のあるワタクシとしては、それはありだと思うわけで。「美丘」もかなり強烈でしたが、「親指の恋人」はもっと救いがない。石田衣良って、実はとてもこわい作家なのかもしれません。