ワタクシの事務所の偉い方のお母さまがお亡くなりになりました。ご実家は遠いのでお手伝いとかはないのですが、回章を作るのはワタクシのセクションのお仕事なので、あちこちに連絡を取ったりしているうちに1日が終わってしまいました。ワタクシのカイシャに虚礼廃止の嵐が吹き荒れて10年近くになります。その昔はカイシャの誰かのご両親が亡くなったときは、セクションをあげてお手伝いに伺ったものですが、今は時代の流れともいうべきか、お通夜も告別式も近親者だけで執り行う方が増えました。お手伝いを頼めば頼んだで何かと気を使わなければならず、それも大変だから身内だけで…という考え方が浸透してきたような気はします。確かに、若い頃はワタクシなどもお通夜や告別式のお手伝いに駆り出され、それが何故か真冬の時期が多くて、背中にカイロを貼り付けて受付などをしていたことを思い出します。お通夜のお手伝いが多かったのですが、まさか受付の人間がコートを着てるわけにもいきませんしね。
他の事は大抵やってくれる葬儀社の方が、唯一手を出さないのが受付でお香典などをお預かりすることだと知ったのは、自分がそうやってお手伝いに伺うようになってからのことです。確かに、そういう場合の受付にはカイシャ関係ならカイシャの人間、地域の方関係なら自治会の方というように担当は分かれますが、そこに葬儀社は介在しないですね。ワタクシの父の時も、田舎のことゆえ隣組がまだ機能しており、隣組の皆さまには大変お世話になりました。だから、隣組のどちらかにご不幸があれば、実家の母などがお手伝いに行っているようです。持ちつ持たれつの関係が田舎にはまだあります。東京の方が見ると結構うざいと思われるかもしれませんけどね。虚礼廃止はある意味合理的でいいのですが、カイシャの中の人間関係がギスギスしてきたことは間違いないようです。よっぽどお世話になった方にご不幸があったときは別として、普通のお付き合いならお返しなど要らないから、お香典だけ出しておけばいいかという風潮になってきました。そのほうが合理的だと思う反面、世知辛い世の中になったなぁと思うのは、ワタクシが年を取った証拠かもしれません。
他の事は大抵やってくれる葬儀社の方が、唯一手を出さないのが受付でお香典などをお預かりすることだと知ったのは、自分がそうやってお手伝いに伺うようになってからのことです。確かに、そういう場合の受付にはカイシャ関係ならカイシャの人間、地域の方関係なら自治会の方というように担当は分かれますが、そこに葬儀社は介在しないですね。ワタクシの父の時も、田舎のことゆえ隣組がまだ機能しており、隣組の皆さまには大変お世話になりました。だから、隣組のどちらかにご不幸があれば、実家の母などがお手伝いに行っているようです。持ちつ持たれつの関係が田舎にはまだあります。東京の方が見ると結構うざいと思われるかもしれませんけどね。虚礼廃止はある意味合理的でいいのですが、カイシャの中の人間関係がギスギスしてきたことは間違いないようです。よっぽどお世話になった方にご不幸があったときは別として、普通のお付き合いならお返しなど要らないから、お香典だけ出しておけばいいかという風潮になってきました。そのほうが合理的だと思う反面、世知辛い世の中になったなぁと思うのは、ワタクシが年を取った証拠かもしれません。