雨の夜と下弦の月

毎日を静かに、穏やかに生きていきたいと思う日々。
そのわりにはジタバタと暮らすワタクシの毎日を綴っております。

小林秀雄の祟り(?)。

2011-08-20 15:31:04 | books&magazine
今日の東京は、昨日ほど極端ではないけれどかなり過ごしやすい1日になっています。お昼前にランチしながら本を読もうと思って、自宅アパートから徒歩3分のTully'sに出かけたのですが、まだ8月も下旬に入ったばかりだというのに、思わずホットジンジャーミルクティーを頼んでしまいました。普段のワタクシは、冷たいものの摂り過ぎはよくないという天の声よりも暑さに負けて、この時期ならコールドドリンクをオーダーしております。先週までは、Tully'sでもアイスジンジャーミルクティーを飲んでいました。ジンジャー入りの飲み物だから身体の中は温まるもんね…とおのれに言い訳をしつつ、ではありますが。ところが、今日は温かい飲み物のほうがおのれの皮膚感覚に合っておりました。自分でもかなり不思議な感じがしたのですが、温かい飲み物を飲んでも汗もかかないのです。まだ、8月だというのに。

読んでいたのは、相変わらずお茶の水女子大学名誉教授の土屋賢二センセイのエッセイ集です。「ツチヤの貧格」を再読しておりました。ひょっとしたら、年内いっぱいぐらいは「小林秀雄の恵み」後遺症から抜け出せないのかもしれないと思うと、「恵み」というよりは「祟り」なのではないかと思い始めております。ちょっとでも難しいと思われる評論などは、溶けたり固まったりの繰り返しに忙しいワタクシの脳が、一切受け付けようとしないのです。小説でも、自分の頭で考えることを要求するような作品(村上春樹の作品群などは代表例)を読もうとすると頭が痛くなりそうです。これが橋本治センセイの狙いだったとは思いませんが、本を1冊読んで、そのリハビリをしなければならない作品というのは、ワタクシの経験ではこの「小林秀雄の恵み」だけだと思います。今まで、簡単な本しか読んでいなかった証拠ですが。

それでも、昔は高橋和己の「邪宗門」とかに喰らいついて、何とか読んでいた記憶があります。20年ぐらい前までは、難しい本を読めた時代もあったということなのです。…ということは、これも老化現象の一種でしょうか。当時は、活字を頭が受け付けないなどという日が来るとは、自分でも思っていませんでした。そう考えると、何だか背筋が凍りそうになってきます。早く「祟り」から解放していただきたいものです。