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どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

中央郵便局の続きです

2009年03月08日 | 日記
仲良し君の面接の場所は 東京中央郵便局だったそうだ

泊まり業務の為にお風呂場もあり 内部はなかなかのものだったらしい


「あの」東京駅を前にしたこの建物を初めて目にしたのは何時の事だったか

おそらくは若い頃のはずだが その記憶は一切無い
 
勿論 当時徘徊は勿論 建築にさえ興味が無かったのだが その事を差し引いても

私にとっては 何の変哲も無い 広告の垂れ幕が下がったただの郵便局でしかなかった ということだ


忠太に出会ったことが 建物を建築として見るきっかけになったというのは何度も書いている

そうして徘徊するようになってから 当然この東京駅近辺も散歩コースになった

今でこそ新丸ビルのお蔭なのか 買い物客も多くなったが 少し前までの週末にはほとんど人にも会わないような

大きなドブネズミが舗道を駆け抜ける姿を目撃することもある そんな場所だった


今もってそうなのだが ドシロウトの私は外観の天晴れさにまず目がいく

一部とはいえ保存された日本工業倶楽部会館などは まだ何も知識の無かった時に偶然出合ったこともあって

大いに興奮したことを今もはっきり覚えている


この郵便局が ただものでは無いとわかるまでには 時間がかかった

明治時代からの洋風建築(擬洋風も含め)や煉瓦造建築 帝冠様式といった明らかにレトロな外観を持つものと

敗戦からの復興期以降現代に至るまで 次々と建てられていく斬新なものとの狭間にあって 

私の中ではもっとも平凡でありきたりなビルに見えたのも 今思うと仕方の無いことだった


そうでもないんじゃないか と思い始めたのは比較的最近の 再開発が始まってからのことだった

正直 此処ももうお仕舞だな そう思って歩いていた時 この今ではすっかり背の低いビルが目に入った

そして あまりにそっけないほど簡潔な姿に 何故か美しさを感じたのだ


竣工当時 赤レンガの東京駅の前 周囲には茶色の壁面を持つビル

そんな風景の中に この白いタイル壁と 水平垂直を強調するかのような柱梁を持った建物が現われたのだ

土地の形状にあわせたのか ゆるやかなカーブもユニークである

あのブルーノ・タウトやアントニン・レーモンドが絶賛したという話は 後になって知った


解体・建替えの話が本格的になり そのコンペの資料も見たことがある

ドコモモ100選(現在は135点)にも選ばれているというのに こんな風になっちゃうんだな 

ヘルムート・ヤーンの手にかかるというパースを見て そう思った

最近よくある手法だが 案の定一部保存の腰巻建築

だが こんな物は似て非なるものになってしまう

一応 世間の目を考えて保存もしてみました という弁解がましい姿になってしまうのだ

どこかみじめったらしい

経済優先ならば いっそ壊しちまったほうがマシというもの

そのほうが潔く 失ったがゆえに一層愛着も生まれる(かもしれない^^)


それにしても これは当時の税金で建てたはず

それにすでに何年も前から取り沙汰されていたのに 今更反対という声が上がったのは?

ちょっと変なんじゃないかと思わなくも無いが 政治と経済に疎い私には 理解の域を超えている


個体数の多い昆虫は 個人が採集した程度では絶滅したりはしない

それが起こる多くの理由は 人間がもたらす環境の変化にある

それが必要悪ならば 残念ながらそれも仕方の無いこと

破壊と構築は 人の世の常

私は100年先まで生きているわけではない

100年後の人には ごめんなさい ざまあみろ の両方の気持ちがあるが

私だってそれは同じ目に遭っているのだから だから 許してね^^

まだまだ酔っ払いを知らないねぇ~

2009年03月08日 | 日記
どんよりとした天気ゆえ徘徊は諦め(昨日 家事頑張ったのになぁ~)

こうなったら とりあえずビールだ(なんでそういう進行になるかね~)

あはは^^ 反省も忘れ しかも全然懲りてもいない^^

反省のフリならサルでも出来るが 酔っ払いながら日記を書くサルはいないだろ

(素面で日記を書くサルも居ないということは 内緒だ)


会社の仲良し君は郵便局員だった

キス男には あいつは公務員の根性が抜けないと(否定的な意味)言われている

それも頷ける思うこともあるが 組織の中で生きることには長けていると思う

小さな会社で上も下も無いのだが 人を見て上手くまわす(まわる)ことが大事だと私は思っている


高校生の頃 郵便局でアルバイトをしたことがある

例によって年末のだ

一応進学校である都立高校で アルバイトをするものはほとんど居なかった


小学校時代 仲の良い6人組の女の子のグループがあった

それは今から思うと不思議な気もするのだが ほとんど成績で決まっていたような気がする

自慢と思われては困るのだが 当時の(当時です!)私は優秀だった

だが根っからが どこか不良に出来ている(生真面目な母よりも自由気侭な父の血をひいてしまった^^)

そのせいか ガキ大将とも仲が良かった

勉強は好きだったからしてただけのこと

女の子はおませなのか 早くから自己とその種の保存にとって有利な選択をするように出来ているようだが

心根が男の子に出来ている私は 勉強の出来る男の子なんかつまらないという気分だった

中学に行ったら少しは女らしくなれよ なんていう卒業の時のコメントをもらったけど あはは^^なれなかった


そんなあれこれは もうちょっと成長するまで判らなかったのだが・・・ 

小学校以来仲が良く 同じ高校に進んだ友達と段々と疎遠になっていった時に感じた

最近 ○ちゃん変わったよね と・・・ 

何しろ高校に入学してからは 自主早退はある(吉祥寺のジャズ喫茶に一人で行ったり^^)

標準服はあったものの私服も許されていたのを良いことに

―それは先輩の運動のおかげで ノンポリ時代の私たちには縁のなかった学生運動の名残でもあった―

バスケットシューズには 自分流の派手な意匠をほどこしたりしていた

友達と映画を見に行こうと授業を抜け出した時 国語の講師の先生と出くわして でも笑って見逃してくれたっけ


そんな高校時代 小学校六人組のうち三人とは交換日記が続いていたのだが 

一人が局のアルバイトで外勤をすると言ってきた

外勤とは郵便配達である

私もそうすると 親にも相談せずに(正確には言ったのだが来客中だった)決めた(叱られたが後の祭り!)


公務員というもの 組合の力 学歴によるヒエラルキー

此処ではそういうものを見た

学校でも家庭でも 見えなかったものだった


今回 東京中央郵便局の建て替え問題が浮上している

プロポーザルの資料を見たことがある

本題はこれだったのだが 郵便局ということで思い出が甦ってしまった

この続きはまた ということで


お~い 本題にはいかなかったのに長かっただろう~^^

気軽に意見を訊いたことを後悔してるか?

まだまだ酔っ払いというものを知らないねぇ~~