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どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

どうも私は  その・・・なんとかみたいだ!

2005年02月06日 | 日記
山を見ると興奮するのは何故なんだろう

美しい容のせいか 勇姿に圧倒されるせいだろうか

特に富士山を見ると 嬉しくなってしまう

見えるんだよね 通勤電車の車窓から 時々だけど 

しかも私は背が低いから 窓際に立った時だけ

だから 一年のうち そんなことは何度もあることじゃない

それでだろうか 幸せな気分になってしまうのは 

片岡球子の富士山は好きだ

おそらくあらゆる季節 そしてあらゆる時間帯に

全く違った山の顔があるんだろうけど

残念ながら 都会生活でその様々な表情に触れることはできない

昔 丹沢に登った時 眼前にそびえ立つ富士山に感激したことがある

その時は 年下の男の子に沢登に連れて行ってもらったんだけど

初体験だからね 初心者用の沢を選んでもらって

でも 巻いてばかりじゃつまらないと 

チョイと大きな といっても素人にとってはってことだけど 滝に挑戦

あと一歩というところで・・・

滑り落ちた 滝壺に・・・

けれども なぜか爽快だった

山は遠くから眺めて愉しむものだろうか

自らの足で登って愉しむものだろうか

どちらにしろ 山はそんなこと知っちゃいない

お好きにどうぞ ってなもんだろう

だからこそ味わってみたいのだろうか

「バラを見たら詩を書け

リンゴを見たらかじりつけ」

これ ゲーテの言葉

リンゴとは もちろん女性を指しているけれど

山を見たら絵を描け なのか それとも 登れ なのだろうか

なんとかと煙は高い所に登りたがる とも言うけれど

私はどうも そのなんとか・・・みたいだ


ENDE

2005年02月06日 | 日記
俺はずっと彼女に惚れていたんだな~。

これ 今年82歳になる父の台詞。

今宵、母の遺骨を前にしての、父との夕食の時だった・・・。

                   *

父と母は、知り合った頃から数えると60年近く時間を共有してきたことになる。

家がらみの難しい問題があったが、「嫁しては夫に従え」という言葉どおり、母は夫と家庭を選び大切にした。

父も母も、そのことに関して苦悩はあっただろう。

当然夫婦喧嘩もあった。

けれども、私は恋愛時代の楽しい話も沢山聞いて育った。

                   *

3年前、いつものように受けた老人健診で、母の病気は発覚した。

それは、まさしく晴天の霹靂だった。

朝早く手を握って別れた母と再会したのは、夕方の6時も過ぎてのこと、というほどの大手術だった。

家からわずか30秒ほどの本屋にでさえ、母に買いに行かせていた父。

お茶の一杯も入れたことは無かった。

その父が、母の入院中は毎日病院に通い、食事を運び、洗濯をし、母の身のまわりの世話をした。

元来几帳面で器用な父は、主夫業を立派にこなし、それは母がある程度健康を取り戻した後も続いた。

                   *

肺炎に罹った母が入院したのは、12月に入って間もなくのことだった。

母は、以前にも増してナーバスになり食欲は減退していった。

口にこそしなかったが、病の影に潜む死というものを3年前から意識していたのだと思う。

加えて、自分が家族に対して何もできないということ、そればかりか迷惑をかけているという感情を

拭い去ることができなかった。

私は幸せ者だと思っていると言ってくれたが、一方では自分の不甲斐なさにじれていた。

その複雑に絡み合った行き場の無い感情から、時折、父や私に悲しい言葉の刃を向けることがあった。

それでも、じっくり話し合った後には、ご免ねと謝ってくれた。

父は、なんといっても一番辛く苦しいのは俺たちじゃない、病と闘う本人なのだ、そう言って母を励まし支えた。

                   *

母は、父の腕の中であまり苦しむことなく逝った。

それが父の深い悲しみの中で唯一の救い。

決して泣き言を言わない父だが、それでも、妻に対する深い愛と同時に、その対象を失った底無しの喪失感が、

父の言動のいたるところで見出されてしまう。

自分を慰める言葉は幾らでもあるが、それで自分が完全に納得できるというわけではないのだ。

                   *

素直で無邪気な母が気に入った、そして今も惚れている。

こんな言葉を父から聞くとは、想像もつかぬことだった。

なんの臆面も無く娘の前でそういう父を、今日ほど素敵に思ったことは無い。

そして、そう言わせた母も最高だと思う。

                   *

母が入院した時、きっといつか良い結果が書けると信じて、敢えてこのことは書かずにきた。

こんな結末が待っているとは予想だにしなかった。

しかし今、悲しみの裏にある偉大なる物の存在を改めて感じる。

前者が深ければ深いほど、後者は輝きを増す。

この想いを抱きつつ、このお話はおしまい。

いつまでも母をネタにしていては、母に叱られますから。