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どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

貴重な財産

2004年11月27日 | 日記
昨夜は、親友との酒宴を楽しんだ

大学時代からの友である

互いに電話は好きではないし、滅多にメールもしない

数年前までは、手紙のやりとりのほうが多かった

同じ東京に住み、彼女の部屋は私の職場に近い

それでも、今年はこれで3回目の酒宴であり

年内中に会うことはもう無いだろう

だからといって、疎遠になることは決してない

尊重し合い、認め合い、

すべてを受け入れ合っている友だが

互いに独りが好きなことも充分理解している

会って話せばピタリとわかる

飲んで話せば、尚わかる

酒量につれて語尾があやふやになっても

気持ちは通じている

肌合いの良さとでもいうのか

いつでも新鮮で、それでいて常に永遠の今を感じる

この心地好い関係は、私には貴重な財産

足跡コメント

2004年11月27日 | 日記
参りました

多分書いてくださっているだろうと思う人の

コメントが白紙

零点ですよ~

かく言う私も、定型外のコメントを書いても

残せてはいないことに気がつきました

リニューアル後に私が訪問した人々には・・・

頭下げます

工事現場の看板状態

お手上げです

背後の銃口に丸腰状態

気分を示す絵文字とは何ぞや

2004年11月27日 | 日記
昨夜試せなかった編集を試みる

今日も重いようだが、なんとか色は取り返した

けれども、この気分を示す絵文字には違和感を覚える

苦笑や自嘲や嫉妬、あるいは無感動、無味乾燥といった気分は

どの絵文字に匹敵するのだろう

日記を読んでも、その人の気分が把握できないほど愚かと

思っているのか

それとも、絵文字に頼らなければ自分の感情を

表現できないほど・・・だと?

一体、出口の無い悲しみや絶望をを吐露した人間が

「哀」の絵文字を押す気になるだろうか

何の為に、こんな単純な気分の色分けを強制されねば

ならないのか

タイトルや日記に絵文字を使うことに反対は無いが

選択の自由を残して欲しい

それに、個人的理由として言わせて貰うと

ページの美観を損ねる

内容や文体だけでなく、ページ全体のスタイルが

その人の個性である

そこから醸し出される雰囲気もまた

大切なプロフであり、メッセージでもあると思うが