「返信・1」拝読。
ちょっと、面白いことを考えてしまいました。
相反する願望が存在する時は、どちらが実現されるのでしょうか。
より善なるものが実現されるのでしょうか。それとも、より強力に願ったほうなのでしょうか。
ところで、今回は多少的外れかもしれませんが、「悪人正機説」について考えてしまいました。
彼(発言した人)の思想について、政治的な内容等については、ここでは語るつもりはありませんが。
「善人なおもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。
しかるを世の人つねにいはく、悪人なお往生す、いかにいはんや善人をや、と。
この条一旦そのいはれあるに似たれども、本願他力の意趣にそむけり。」
これは、不勉強の私なりの解釈ですが・・・
人はなかなか、自分の中の邪悪な面を認めたがらない。
正当化したがるしものだし、善人だと思いたい~
でも、なぜか神はそんな完璧なものを御創りにはならなかった。
しかも、善や正義はしばしば相対的に捉えられる。
だからこそ、正しい戦争なんてものが存在し、殺人も正当化される。
ひとは、縁次第では自分の意思を超えて、簡単に善人にも悪人にもなりうるものだ。
他力にすがるしかない、そんな者が人間なんだよ~っていうことかな。
いったい、神や仏を前にして、堂々と私は善人ですと言える人がいるのだろうか。
私は、人間ができていないから、とても言えたものではありません。
自分の心に巣食う悪を知り、罪悪感を抱く者に、私は同感します。
やはり、的外れでしたか。でも、私にとって考えるのにはいい機会でした。