「あ」のつくあなたにあいみすゆー(I MISS YOU)第二章 ☆うきうきタベタカナーナカイヒラタキアイアイまったりお☆

このブログは北海道を愛するミッキーが、大好きなヒロイン達に、大切なものを紹介する、うきうきでまったりおなブログです。

SKIPスキップ~もし君との想い出がなくても~

2007-08-21 01:38:16 | Weblog
前に贈ったドラマ、スキップを見ています。

突然17歳の感情に戻ってしまった主人公。自分は高校二年生の時代からスキップ(タイムスリップ)してきてしまったと思っている。だからそこから25年ちょっとの記憶がない。しかし先生であり主婦であり母である。はじめは受け入れられない現実に途方にくれるがいつか自分の時代に帰れるという希望を糧にしてまずは目の前の現実の世界でベストを尽くそうと頑張る。初めは主人公の混乱を受け止められなかった家族(夫、娘)も、主人公の変化のまぶしさに、次第に彼女の気持ちを受け止めていく。主人公は高校二年生の心だが高校三年生の担任でもある。そのまっすぐさは、生徒には等身大の先生に感じる。そして先生に恋する男子生徒。実は彼に恋する気持ちを感じる主人公でもある。彼女の秘密を知っているのは家族だけである。高校生の心なのに恋心を押さえて振る舞う主人公がいる。また主人公の夫も教師である。中高年の倦怠期をきっと感じ始めていた彼には、妻の変化に心配ととまどいを感じつつも、高校生の心に戻った彼女があまりにまぶしくて、自分の今を省みている。何事にも熱くなりきれない世代にいる娘は、おばさんと思えてた母の変化を疎ましく感じ
ながらも、ま
っすぐな時代の高校生の気持ちのまま行動できる母がやはりまぶしい。しかし娘は自分の好きな彼が母に引かれているのに気付き、そして母の彼への恋も気付いている。
主人公はでも一時代昔の高校生だから、この恋は結ばれない伝えられないことと思っている。そして想い出という記憶のない夫に対しても、教師として人としての尊敬のような気持ちを感じ始めていた。そしてクライマックス文化祭の一日、憧れの生徒から告白される主人公。自分は違う世代の人であり、彼の気持ちは受け止められないと答えつつも、ただせめてたった一度後夜祭のフォークダンスで一緒に踊ってほしいという気持ちがこぼれた。でも後夜祭は雨で中止。彼も主人公も切ない失恋の痛みを感じる。
自分の時代に、高校生に帰りたいという想いがもう止められない主人公は記憶にかすかに残した帰る最後の手段に賭けた。家族も主人公が本当に時代に帰れること、そして妻であり母である彼女が今に帰れることを心から願い奇跡を待った。でも彼女は高校生の、そう自分の時代には帰れなかった。泣き崩れる主人公。しかしその姿の横には、高校生の心のままの主人公をまるごと受け止めた家族がいた。
そしてラストシーン。旅行に出掛けようとする主人公と家族。心は高校生のままの主人公だけど、家族との想い出もないけど、もう過去を振り返るのではなく、今をそのまま受け入れ、新しい未来に踏み出そうとし始めたみたいだ。彼女は最後にこう心の中でつぶやく。
「昨日という日があったらしい。明日という日があるらしい。でも私には今がある・・・。」

私はこのドラマが何となく好きだ。ラストシーンの言葉と、そこにいたるまでの主人公とその家族が好きだ。愛の深さを感じる。記憶さえ無くなっても、現実を一度は受け止められなくても、やはり家族が、愛する人が何よりも大切で、そして今を受け入れ誠実に生きる道を選ぶ主人公がステキだからだ。主人公の松坂慶子さん、夫役の長塚京三さんがどちらも最高によい。当時19歳だった娘役の酒井美紀ちゃんを見ると、あの頃一番好きな人だったから、あの頃の自分を思い出す。あーちゃんを好きになったのもあーちゃんが19歳になった頃。そうきっとこの世代の女の子が一番少女から女性へ変化がまぶしい時期なのかもしれない。
自分が無くしかけていたり、自分が一番計算なく損得なくまっすぐに物事にぶちあたれた頃、その時代のまぶしさとともに人に引かれていく気がする。長塚さんが高校生の心の松坂さんに引かれていく気持ち。それはきっと妻への愛情とともに、きっと子供を見守るような愛情にもなっているだろう。私も考えてみればもう長塚さんの役の年頃にかなり近づいてきた。


なぜここで今見ているこの話しをこんなに長く書いたのだろう?きっと私はこんなことを伝えたかったのかもしれない。年を考えれば、私にとってあーちゃんは娘のようだったり、妹のようであっても全然おかしくないはずだ。こんなふうになって、そしてこの作品を見ていたら、どんなにかあーちゃんを娘のように妹のように思えたら、余裕を持って君をただ見守り応援できるのに、そしたらきっとあーちゃんにとって(もしかしたら私にとっても)良かったかもしれないって思ったからかもしれない。あーちゃんを始めて見たのが高校生や中学生だったら、きっとどんなに成長しても恋にはならなかった気がする。私はその世代の人ならば間違いなくもうお父さんの気持ち、つまり子供のように感じられるから。どんなに綺麗になっても鈴木杏ちゃんやモー娘。の辻ちゃん、長澤まさみちゃんが恋愛対象に感じないのが、子役時代を知っているからだ。そして酒井美紀ちゃんのように高校生時代のみずみずしい姿で引かれ恋愛感情を感じれたのは、私が二十代半ばの時までだったから、まあなっちや広末さんの世代までが最後。それ以降はもう私にとって高校生は子供だと思えた。だからその時代
を見たのが最初ならば、きっと恋愛感情は沸かないですんだろう。だからもし私があーちゃんを始めて見たのが高校卒業後でなかったなら、高校生だったなら、きっと良かったのかもしれないね。
逆に考えればあーちゃんにとってミッキーが恋愛対象からアウトオブ眼中でもしかたないんだね。
やっぱりおじさんだったりお父さんだったり、いいとこお兄ちゃんどまりなんだものね。しかたないのかもしれないね。私にとってあーちゃんは一番下限界の恋愛世代だなって隠してたけど思ってたけど、17歳差はもし私が女性なら、法律でも親になれる計算なんだものね。
どうしたらあーちゃんを娘や妹のように見れるのだろうね。そうなれたらきっと今の私の悩みや、あーちゃんを困らせることもなくなるのに。私がもし妹のいる長男だったら良かったのに。きっと妹みたいに思えたのに。
でも私は残念ながら長男だけど姉のいるおとうとだから、年下を妹のように思えるには、まったく恋愛対象から外れた女の子でないとダメみたい。


ここが本当の寅さんとの私の違いなんでしょう。

あーちゃんからだからやっぱり一言でいいから、気持ちが聞きたいよ。私は不器用だから、スマートな恋なんてできないから、だからせめて無記名で住所もメルアドも電話も何も書かなくてもいいから、手紙が欲しいよ。

何ひとつあーちゃんからの手紙だってわからなくしたとしてもだめかなあ?多くの言葉でなくてもいい。一言、好きではありません。好きにはなれません。迷惑です。何でも構わないから、きちんとあーちゃんの言葉でふってほしいんだ。変かもしれないけど、相手の声や言葉で気持ち少しでも感じられなかったら、やっぱりふっきれない。

例えば相手をふる時にわざと悪者を演じて相手の一番嫌なふりかたをして嫌われるという方法を使う人がいるのは知っているけど、私みたいに誰かを怨んだりきらいになって離れていくということができない人にその方法は使っても効果ないし。

逆に普通の人は相手を傷つけるのが怖くて(相手を傷つける自分がいるというのを知るのが怖いのかもしれないけど)、曖昧にして知らぬ間にフェードアウトさせるやり方をする人もいるけど、私はフェードアウトされるより、それならはっきりとNOと言われたほうが全然いい。だって無言やフェードアウトは実は相手の心にチェーンをつないで離さなくしてしまう方法だから。なぜという鎖に繋がれた切れない関係を残してしまうから。

こんな感じで私は今のところ、まだあーちゃんに繋がれた鎖を切ることができません。今は恋愛の鎖がね。家族愛や隣人愛のような鎖だったら良かったのにね。それを変えるのはやっぱり人と人とのコミュニケーションしかないと思うから。

そんな感じで私は気持ちがやっぱりいつか届くのを信じて待ちたいんだ。
立場が逆になったと考えてみてほしいです。

女々しいミッキーでごめんなさい。あーちゃんおやすみなさい!

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