「あ」のつくあなたにあいみすゆー(I MISS YOU)第二章 ☆うきうきタベタカナーナカイヒラタキアイアイまったりお☆

このブログは北海道を愛するミッキーが、大好きなヒロイン達に、大切なものを紹介する、うきうきでまったりおなブログです。

鍋とうめぇのあとに・・・。

2006-12-31 21:54:36 | Weblog
♪鍋が止んだら、あなたに会えますか?・・ナベとうめぇ!の後に、約束してくれますか?また会えると。もしもお箸を落としてしまったとしても、私は貴女を待っています♪
2006年最後もなぜか??な替え歌で妙にハイテンションに暮れゆくミッキーです。
あーちゃん今年一年は本当にありがとうございました。1月3日から12月2日まであーちゃんに会いにいった11日間は私の大切な思い出です。さて今頃どんな年越しを迎えていますか?今年は実家には帰れていない気がするけど、仲間の多いあーちゃんだから一人ではない気もします。でももし一人だとしても充実した一年をゆっくりふりかえっている頃だと思います。あーちゃんもテレビっ子だから今何見てるのかな?紅白?K1?それともネット配信でプライドかな?今だにパソコン直らないので、プライドも見れないし、年賀状も作れなくて、ちょっと残念。ただ本当にあーちゃんへのバースデープレゼント用の最後のCD事前に作っておいて良かった。あとプレゼントにするものの練習用などにつくっておいたものと、あーちゃんの二月の活躍を記録したもの、DVD作ってもおいたし、まさしく、備えあれば憂いなしです。まあそんな記念式まで二週間切ったね。サプライズが何かしたいけど、今回はシンプルに正装していきます。
さて年越しそばはもう食べたかな?私は今年は実家でお昼に家族4人で食べ、夕飯は私が鍋の準備して家族にふるまいました。親子世代が違い、好みも分かれるので、まず父母にタラちり風さっぱり鍋(タラ、えび、ほたて、つみれ、鳥肉、キノコ、野菜、お餅等をおろしポン酢で)ふるまい、そのあと私と姉は残りの具材とスープに豚キムチと蒸し餃子を入れたピリカラ味噌仕立てのキムチ鍋にして食べました。家族みんなが美味しい(うめぇ!)って言ってくれたので、本当にうれしいし、やっぱり一人暮らし長いと、一人鍋にはることも多かったから鍋はやっぱり誰かと食べるのが美味しい。そして喜んでもらえたら幸せです。宿主になったのは人の笑顔がスキだったから。でもお客少なかったからなかなかその場面は見れなかったけど、宿主を一時休業しても、笑顔のために生きていけたらいいなと思います。相手にもよるけど、少なくとも週2~5日位は大好きな人にご飯作ってあげられたらいいな。ニュージーランドでは旦那さんが家事手伝うの当たり前(キウィハズバンドという)だから、生活をお互い楽しめるような分担したいしね。まあそれはともかくあーちゃんとご飯食
べるの絶対楽しいと思うから、来年の夢としておきます。本当の夢の中でもいいから笑!
さて鍋はいい味出て残っているので、明日朝は私と姉はキムチ雑煮にして(父母は朝5時食事なのでさすがに私には早すぎるのでずらして)、お昼母の雑煮みんなで食べたいと思います。(母が元気になったのはあの時のがんばれメッセージのおかげでもあるから、本当にありがとう!)おせちは最近は買ってきちゃうけどね。あーちゃんのお母さんのお雑煮はどんなのかな?熊本の正月料理もいつか教えてね。あとあーちゃんは初日の出、初詣は行くのかな?実家の町は御来光の山あるし湘南の海も近いけど、今年は自重し、また家族は初詣行かないので私はお昼食べたら一人で東京行って初詣してこようと思います。
だって明日は映画1000円の日だから見ないで待ってた、ライフイズビューティフルのベニーニ監督の「人生は、奇蹟の詩!」を思い出のシャンテシネで見てきます。私がちょうどあーちゃんの年の頃、この映画館でミニシアターの魅力にはまり映画大好きになったから。原点回帰の2007年はそこからはじめようと思います。
画像は母の新居の居間から、みんなが食事終え休憩中、洗い物を終えてからとりました。それぞれの湯呑みが4つあるのが、少しだけうれしかったから撮りました。あーちゃんももうすぐ帰省したら、存分に家族の空気にふれて、より元気になって下さい。
それでは来年も文字モジなミッキーをよろしくお願いします!!

本日は晴天なり!

2006-12-30 01:04:03 | Weblog
今日は短めで・・・。あーちゃん今晩は。さて私もあーちゃんに負けない位晴れ男です。今日(正確には昨日)はお姉ちゃんが三が日まで帰ってくるので、電車に乗って隣町まで迎えに行きました。お姉ちゃんのことは昔手紙で書いた気がするのでここでは細かいことは省略しますね。春までは、私が新生活になれないから(仕事または夢探しにも時間かかるだろうし)、まだ短期帰省の繰り返しではあるけど、姉も約半年ぶりのふるさと喜んでました。お昼に姉貴の好きなピザパスタ宅配でとりました。まあ私はちょっと父母姉の空気のバランスとるのに気を遣いすぎてちょっとお腹下しました。(ノロではないし(少しノロマだが笑!)、今は落ち着いてるので心配しないでね。)
でも天気良くて良かった。地元の大山(初詣のメッカ、巨人の原監督が現役当時毎年来ていたはず。)もきれいでした。今夜は高校時代の天文部の仲間と忘年会です。みな大学卒業後もう14、5年経つのに今だに10人以上で集まれるのは貴重です。やっぱりハレー彗星をみんなで見た仲間だからかな。今度はあーちゃんと見るね。ではミッキーにしては少し短くこの位で。
今日もあーちゃんの大好きな本日は晴天なりでありますように!

今年も奇蹟の愛のうたふりそそぐ・・・

2006-12-29 01:35:30 | Weblog
あーちゃん起きていますか?今小田和正さんの「クリスマスの約束」が放映されてます。私は奇蹟的に毎年続いてきたこの一夜のライブが本当に本当に大好きです。
第一回ではなく、第二回目が私の最初(2002年12月)。その時はまだ宿は始めてなくて、家は一年前に手に入れたけどその運転資金を貯めるために静岡の工場に出稼ぎに出てました。
実はこの時私は大事なことを知らないでいました。出稼ぎに行く前に少しつらいことがあり暖かく包んでなぐさめてくれた大切な網走の床屋のおばちゃんが半月も前に急死していたこと。出稼ぎ頑張ってくるって話したのが最後だった。それをおじちゃんから聞くのは五ヵ月もあとのことだったが、そんな最後の出稼ぎの時に、小さなアパートの一室で扁桃腺を腫らして倒れた。(まわりの人は正月休みで帰ったりしていたが私は出稼ぎに出ていること実家に心配かけたくなかったので黙っていた。網走のように千キロ離れていても帰れるのに百キロちょっとしか離れていない隣の県にいながら熱の中寒い中、たった一人小さなアパートでさびしく耐えていた。)
そんな時に一つのメールが北の仲間から入った。当時一番スキだった人(友達になってから約六年、四年後の今は親友に戻り、彼女の恋の多分一番の相談相手にはなれてるかな。)からでした。「小田さんの番組見てる?」寝付けなくてテレビのスイッチをいれた。そして奇蹟のような圧倒的な歌声で小田さんが歌うミスチルの名曲「HERO」が流れてきた。まだHEROがリリースされる前の時、私は小田さんのHEROに本当に感動した。そしてこの番組との縁が始まった。
考えてみれば初めて空劇での贈り物に君を想い作ったCDの中心とした曲がHEROだった。「ずっとヒーローでありたい、ただ一人君にとっての。つまずいたり転んだりするようなら、そっと手をさしのべるよ。」この詞が何となく君の役とストーリーにぴったりだったから。
この番組との出会いがCDを作り大好きな人に贈るという私の短い宿主の思い出と同時期に続いた三年半のキモチのきっかけだったかもしれない。さっき書いた大好きな人に心をこめてハナミズキを贈ったが大失恋して、立ち直ろうとしてそのあとに、いつか本当にまた好きな人ができたらその人に贈りたいと思い作った二枚のCD。その後母が初めて倒れたり、大失恋した友人と仲直りしたり、宿の宿泊記念に密かに夜徹夜で作って朝サプライズで渡したり、いろんな思い出CDつまり大好きな歌にこめた。
さっき書いた未来の恋する人のために心をこめて作った二枚のCDは二年後ある人のために贈られた。それがあーちゃんだった。
実は告白するとあの時まだこれほどにあーちゃんのことが愛しく思えるなんてわかっていなかった。ただ時間経つ中でCDを作った時の純粋なキモチが変わってしまう前に、一番美しい届かないような人にキモチ預けたかったのかもしれない。
一番純粋に見返り求めず、相手を傷つけずに贈れる人が君だったから。でも今こんなに愛しいのはそのCDにこめた純粋な想いが運命的に贈る人を無意識に見つけていたんだなって今はそんなふうに感じる。届かない相手だけど、でもやっぱり君でよかった。そんな奇蹟も起こすのが、音楽なんだね。
話大きくそれたけど、小田さんがはじめたこの番組が時に小田さんを、時に小田さんの旧友世代を、若き歌い人を、歌の持つ力を信じる人々を輝かせて、そして私たちを毎年感動に包んでくれる。
今年も良かった。最初のゲストのいきものがかりからすべてが。小田さんはすでに音楽の力を後世に残す大きな使命を果たしはじめてるんだなと思った。
この内容はうまくまとめられないけど、私のCDづくりに一区切りつけたこの冬、実家に戻った冬、そしてこの番組の録画もビデオから初めてDVDに変わった。人は変化していく。でも歌はイコールメッセージ。誰かに伝えたいという想いがつづく限り、私は君にココロを贈り続ける。
番組と出会うきっかけくれた友へ。君の大好きなスキマスイッチも今年出てたよ。(明日メールするね!)
今一番大好きなあーちゃんへ。もし夢がかなうなら、いつかこの「クリスマスの約束」を一緒に見にいけたらいいな。きっと夢の中のあーちゃん。最後の曲が終わりました。「東京の空」。あなたが今いる東京。その東京の空からあなたはうたのようにたくさんの愛を遠くとおくまで自然に届けています。あなたと出会った2006年くれていきます。この番組と同じようにあなたも何度も何度もまた会えたらいいな。
クリスマスの約束。永遠に続きますように!

チャリダー誰じゃあ?

2006-12-28 21:38:32 | Weblog
あーちゃんこんばんは。アベックラーメンが無性に食べてみたいお年頃のミッキーです!さて今頃あーちゃんは故郷の味をうれしく懐かしく食べてる頃かもしれませんが、古里に戻ったミッキーはちょっと久々に一日中ぷりぷり大王になっていました。(別におならばかりしてたわけじゃなくて、一年でもめったに怒らない私が何だかプリプリ文句言ってしまいました。大人気ないなとあとで思いつつもどうも母のすることが少しうざったく見えてしまってね。いけないなと思いつつプリプリ。私は怒ること自体が嫌いでストレス逆にたまるタイプだから、そうしたくないのに、やっぱり親子ゆえ気が緩んでたのかな?あーちゃんに親孝行頑張るよなんて書いてたのにね。ちょっと反省してます。昔から無意識に煮詰まるとふらっとチャリダーになって予定決めずに何時間か鉄砲台でどこか行ってしまうのが私の小さい頃からの習慣みたいなとこがあってまるで小学生みたいに久々に(25年プレイバックしたかのように)チャリダーしていました。実家の町はベットタウン化はしてしまいましたが、少しチャリダーすれば東京から近い中でのハイキングの山があり、湘南ベルマーレの地元の
海があり、図書館とかもかなり使いやすい町ではあるので。まあそんなわけで夕方地元産の玄米をJA産直で買ってくると言って結局3時間チャリダーしてたら何となく心が静まりました。山と夕日が癒してくれたのかもね。ああ久々に地元でのんびり釣りしたくなっちゃった。今なら寒ブナかハゼ釣りとかかな?中国の古いことわざに「一日幸せになりたければ・・・、一週・・・、・・・、一生幸せになりたければ、釣りを覚えなさい!」というのが確かあったが(短いのは、酒を飲むとか、結婚するとか・・・)、そのキモチが少しわかる気がします。あーちゃんは煮詰まった時、どうしてるのかな?熊本の一番お気に入りの場所とか想像してるのかな?まあもしハイキングや釣りしたくなったらぜひミッキーに任せてね笑。熊本調べれば調べるほど行きたくなるよ。特に「あ」のつくとこ。北ではあばしり網走(海)あさひかわ旭川(山)がスキだが、熊本はあそ阿蘇(AS)あまくさ天草(AM)行き壱岐(IK)たい対馬(AI)!壱岐対馬は長崎だった。切腹!タイピーエン熊本ラーメン高菜めし車えび丼いきなり団子辛子蓮根馬刺しそしてイルカ(イルカは食べないですよ笑
!あーちゃん馬は美味しいようね。)。飛行機は嫌いじゃないけどエアドゥないので絶対今度は青春18切符で一日かけて火の国行きます!話それましたが、時には童心に帰って、自分を癒してあげようね。まずは自分が元気でいること。それがまわりを元気にするのだから。あーちゃん少し元気なかったようだけど、復活してよかった。おいしい熊本フード食べて、次の里帰り楽しみにしてがんばってください。明日は私も笑顔でいるね!30半ばのチャリダーミッキーでした。

ココロの中にも大雨が降る夜

2006-12-27 01:44:57 | Weblog
あーちゃんの住む場所でもカミナリが鳴っているのでしょうか?実家の近くではまるで爆弾が落ちたかのようなかみなりが鳴っています。
オホーツクではこんなこと冬ではありえないし、私の小さい頃でもこんなに大きな冬のカミナリの記憶はないなあ。夏休みに帰ったときは集中豪雨のような夜明けの雨に不安になったり、私の記憶が忘れてしまっただけなのだろうか?でもやっぱり温暖化のせいで関東も南国のようになっているのだろうか?ともかく12年ぶりの神奈川第二章の生活も動き始めた。
でも今テレビでNEWS23SPを見ているが、外の大雨以上の止まない雨カミナリがココロの中降っている子供そして親が今たくさんいるのだろう。
こういう番組をメディアで全国に放送すること、局の見解の切り口でノンフィクションではあるが話の展開をまとめていくこと、そしてそのメディアに出演を承諾して出てくる家族親子の本音の部分など、番組を放映した後への影響の功罪を考えると、放映することがどうなのかの正誤は私にはわからないけど、ともかくここ数年の親子間における痛ましい事件の増加を見るにつけ、やはりこのままでいいのか?何かできないのかというキモチが湧いてくる。
でもいじめや虐待、親への殺意などは、昔は表にはあらわれなかっただけということだけではすまされない気はする。やはり何かがこの国は狂ってきてしまったそんなキモチがあふれてくるのが止められない。
私が小さい頃にも確かにいじめはあったし、私自身もどちらかといえばいじめられっ子だった。いじめられてることを親には言えなかったし、学校の先生がその解決に立ち上がってくれたという記憶もない。(まあ今のいじめはより深刻化し、親の要望は強まり、先生の威厳地位は弱まったから問題化したのかもしれないが)でも私には幸い学校の中にはいつも小さな居場所が見つかりそこにいることはできたし、家にちゃんと居場所はあった。裕福ではなくても、自営で両親が一生懸命働く姿は見れていたし、進学などで過度に期待されたプレッシャーを感じることもなかったし、運動がだめだった分、勉強で他の人から大きく遅れるような劣等感を味わうことはなかったためかもしれない。残念ながら祖父母は高校生までで早くにすべて亡くなってしまったけど、私が三つ子くらいまでで両親最も忙しく私にかまえない頃に、おじいちゃんがめちゃくちゃかわいがってくれたようで、その頃にきちんと無償の愛情にふれられ、そしてその後もやはり何よりも子供の成長を第一に生きていてくれる姿を身をもって示してくれた母の愛情はきちんと感じて生きてきた気はするから(父は今自己
採点したら結構低い親だった気もするが、ギャンブルお酒はしなかったし、質素な分、お金の管理は厳しくしていたから、まあ両親まとめて見ていた自分はまとめた愛情と感じていたから、父の愛情も感じていたとは思うので)、両親に何かしようなんていうキモチは起こらなかったし、両親より早く死ぬことは親不孝で絶対しちゃいけないって無意識に感じていたから、そういうことを考えたことは37年生きてきた今まででも一度もなかった。それは当たり前のことだった。
でもそんな当たり前だと思えたこと自体、私は幸せだったということ、そして無条件の愛を無意識で感じて生きさせてくれた両親、特に母には感謝してもしつくせないことあらためて感じた。目の前でそんなこと恥ずかしくていえないけど、「ありがとう」。
ココロの居場所をなくした子供たち、無償の愛を感じられなくなった親子たち、そして核家族や地域のつながりが薄れて孤立して向き合わざる得なくなった家族たち。どうしたらいいんだろうね。何ができるんだろうね。
旅人宿を開きたいと思ってた頃の自分はやっぱり若者の居場所を作りたいということも理由の一つだ思ったのだと思う。自分がきっと旅の宿にたくさん居場所があってキモチが安らいだから。じゃこれから私は何ができるのだろう。それは大多数を支えるものではなくても本来はよいはずなのに。一人がたった一人を支え合えばそれで足りたはずなのに、親が子を愛せばそれで足りたはずなのに、それさえできない人たちがあまりに多くなってしまったから、だれかが多くの人をまとめて支えなきゃいけなくなってしまった。私には何ができるのだろう。
それはきっとまず目の前の家族を支え直すことから始まるのだろうね。
あーちゃんに私が心惹かれるのは、きっとあーちゃんから愛を感じるから。愛された記憶をきちんと身体に残して、まわりにそれを配ろうとできるそんな愛をちゃんと感じるからだと思う。それは本当に素敵なこと。そしてそんな素敵な女の子にあーちゃんを育んでくれたお母さま、そしてご家族の皆様にやっぱり感謝したいです。
あーちゃんの言葉や笑顔ぬくもりからたくさん幸せもらっているファンの一人として、「本当にありがとうございます。」ココロに大雨がふる人たちに早く美しい虹ががかる日をまずは心の底からミッキーは願います。
あーちゃんはクリスマスもビアノ練習だなんて、きっとみんなに早くよろこんでもらえるように、頑張ってるんだね。大掃除も疲れすぎないように無理しないでね。ちょっと疲れた顔に見えたので、美味しいもの食べてぐっすり休んでください。ミッキー
追記その後NHKで「川の記憶・父と子の多摩川」という番組をやっている。自然のなかで遊ぶ親子の記憶の大切さを感じる。私ももしいつか父になるときがあったら、例えどんな場所に住んでてもたくさん自然の中で遊んでやりたい。多摩川にもきれいな場所あるんだね。でもできれば網走や熊本とか水のきれいな場所、山海が豊かな場所で大好きな人とシンプルに小さなあたたかい家庭を作れたらいいな・・・。最後はやっぱり天然平和ボケ似合うミッキーより。

おふくろさんのおにぎりと煮物。

2006-12-25 23:55:18 | Weblog
あーちゃん寝てるかな?無事実家に着きました。
私は父の店のあるアパートの二階に住むので(母は歩いて三十秒の二年前建てた一軒家で寝ている。父と母はそのほうが気楽だと寝る時は別の場所で寝ています。仲が悪いとかじゃなくて、定年世代になるとそのほうが気楽だそうで、具合悪いときなどは父も新居で寝る。私もふるさとはアパートのほうなので、取り壊すまではこちらに住み、母の具合悪いときには新居に泊まるカタチにしようと思っている。)
部屋に入ってみたら、23時に帰るといってあったので、母が夜食を置いててくれた。おにぎりと煮物。まだこの部屋マイクロウェーブ(英語でいう電子レンジ)ないけど、冷たくても心は何だかあったまった。あーちゃんの手の冷たくてもあったかい真心と同じ。一人暮らし12年するとやっぱりこういう瞬間ってすごくうれしく感じるようになった。真っ暗でない部屋。海苔がしわになっているぬくもりあるおにぎり。そして懐かしき味のする煮物。ありがとおふくろさん。元気にしてくれたすべての人のキモチに感謝。あーちゃんもあの頃心配してくれてありがとう。お返しできるミッキーでいなきゃ。がんばるよ!

蒼き魂!尻だけ熱いぜトレイントレイン!!

2006-12-25 22:21:41 | Weblog
見えない自由が欲しくて、見えない銃を撃ちまくる本当の声を聞かせておくれよ!何だか京急で夜の蒲田川崎あたりを越えていると、懐かしきドラマ「はいすくーる落書」と蒼き魂ことブルーハーツを思い出してしまうミッキーです。(ミッキー世代がカラオケでシャウト!みんないっちゃう空気の帝王といえばブルーハーツだね。あーちゃん生まれた頃だろうな。)
さてそんな訳でたった2時間で気温差15度の別世界に戻ってきました。さて最初の洗礼は下半身だけ妙に熱いトレイン。まあ昔はこたつのみの暖房で生きてきたから耐えられたけど、北に12年住んで全体暖房(ミッキーは節約人だから最高16~18度にしかしないから全体定低温というべきか)になれてしまったので(北海道の汽車も下だけ熱いなんてのはミッキーは出会ったことない。)どうも一部だけ熱いのは苦手なのだ。実は貼るカイロもめちゃだめなミッキー。
まあ頭寒足熱は基本だし全体よりは一部暖房のほうがエネルギー消費少なくて環境に優しいとは知りつつも苦手なのです。だったら寒いなか着込んでしまったほうが楽な私。冬なのにおしりや膝裏にあせもできそうでね。
あーちゃんはどうですか?血行良くなり、おしりと太ももはセクシーダイナマイトになりそうだけどね笑!じゃ胸に暖房当ててよ!なんて言ってたりして。(そんな訳ないか笑!)
でも日本人特有の安産型はきっと正座やこたつ文化にも原因ある気がします。最近の若い人がスタイル変わってきたのも食事だけでない生活様式の変化もあるだろうし。
でも私はスキですよ。古風な日本人のスタイル。出産の時、自然分娩に耐えれそうだし。本当に女性はすごいよね。尊敬します。
話は大きく外れたが、こんな夜の感想からミッキーの神奈川復帰物語は始まります。でも雪の中の4時間前の網走が懐かしいです。富公さん食堂特製の手作り珍味の手土産ありがとね。朝ごはん感謝していただきます。
あーちゃん入金確認メール届いたよ。あと19日後楽しみにしてます。
エアドゥの男性CAさんのサンタコスプレちょっと楽しそうで憧れたミッキーでした。じゃおやすみなさい!

「さよなら」のあったかビビンバ味噌ラーメン。

2006-12-25 18:21:31 | Weblog
あーちゃんこんばんは。どんなクリスマスかな?クリスマスの夜私は今女満別空港へ向うバスの中にいます。
家はまだ残るのだから永遠に別れるという訳ではないけど、12年前あこがれて叶えた北海道民を離れるということはやはり少し淋しいです。最初の仕事のあと一年ニュージーランドに行ったけど、その時はどこにいても私は北海道民なんだという心のよりどころがあった。でも今回はやっぱり一区切りつけなきゃいけないから、あの時より別れが淋しい。まあでも実家には両親と姉が首長くして待っているしね。また新たな一歩踏み出さなくちゃね。そっとでいいからミッキーのこと応援してね。
さて最終日だというのにやっぱりバタバタしてしまったミッキーだけど、やっぱり最後の食事はコンビニとかじゃ淋しいし、また家を開けるので昼残り物処理したので、それが最後も悲しいし。お昼遅かったのでまだあまりお腹減ってなかったけど、そして時間余裕なかったけど、結局タクシー飛ばして、網走で一番お世話になった食堂にやっぱり行きました。昔から安くて食べさせてくれる人情ある店だったから建物や内装は古いままなのだけど、おじちゃんおばちゃんいい人で味もあったかいんだよね。公務員時代は残業の出前でお世話になり、辞めて帰ってきてからも、旅人業初めてからも、ふと人恋しくなった夜は行ってた。そしてそんな夜は必ず食べてた大好きなビビンバ味噌ラーメン。今日は時間ないとこ急がせちゃったから、チヤーシューもなるとも入ってるのに見えないけど、本当に心も体も暖まる大好きな「富公」さんのビビンバ味噌ラーメン。いつかあーちゃんと食べたいね。おじちゃんおばちゃんありがとう。親孝行してまた帰ってきます!空港に着きました。じゃあーちゃん今から君の待つ関東に帰ります。またよろしくね!ミッキー

聖夜の夜、世界一美しいラストシーンを貴女へ・・・

2006-12-25 02:37:31 | Weblog
あーちゃんメリークリスマス!どんな夜、どんな夢を見てますか?今夜は世界一、いや映画の中で最も昔の美しいラストシーンである「(チャップリンの)街の灯CITYLIGGTS」を見ました。盲目の花売り少女のために身を捧ぐ浮浪者の物語。もちろんチャップリン映画なのでコメディにあふれてるのだけど、まっすぐに相手のために尽くす男と目が見えたあとの美しいラストシーン。ミッキーも映画を見習わなきゃって思いました。
さてミッキーはイブの休日を引っ越し作業に費やしました。網走の家をまだ残すので、ともかく全部荷造りしなきゃという気忙しさではなかったのですが、ただ逆にどれを実家に持っていき、どれを網走に残すか、毎日のようにキモチがゆれて、荷をほどいてみたり入れてみたり、一階に下ろしてみたり二階に上げてみたり、そんな数日間が続き、黒猫さんが来るぎりぎりまで、揺れ続けました。
なんたって宿目指し整え始めたわが家だから二段ベット二つふとん十組あるし、居間はご存じのように、私の思い出コレクションのような本CDビデオ壁にはボスターや旅の思い出などであふれてるから、さすがに実家にこれをそのまま持って帰る訳にいかないし。私が有名人なら居間ごと記念館になるのに(笑!)まあ凡人ミッキーじゃそれもないだろうし。そんな訳で居間を残す形にしたので、なかなか月五千円の賃貸でも決まらず。まあこの冬はやむを得ないがそのまま眠らし春から移住希望者の短期滞在場所にできないか知り合いと相談していこうと決めました。それかあーちゃんとかお知り合いで別荘的に活用したい人いないかな?なーんてね。網走じゃ遠いかな笑!
でも思い出カタチに残すタイプの人だったミッキーは居間や客寝室をそのままにしてもまだまだ荷物がたくさんあり、特に今後あーちゃんとお話していく中で手元に置いておきたい本や写真やビデオやDVD、釣具等と入れていったら、黒猫さんの単身パックボックス結局はるかにオーバーしてしまった。
泣く泣くもの詰め込んだ衣裳ケース五個はあきらめようと一度は決めたが、そのうち一つは過去の手紙を詰め込んだボックスだったので、パソコンデータすべてダメにした私にはそれないと年賀状書けないので、今日結局追加のペリカン飛ばさなきゃになる位、モノを捨てられない私の引っ越しはいつも大変。海外一年いた時は百リットルの大型バックパック一個で楽しく生きれたのにね。どうして日本でできないのかな?心から遊牧民シンプルライフに憧れます。
まあ自分のものだから捨てられないけど、もし奥さんいて、「私とこの荷物どちらが大事なの?」とか言われたら、簡単に荷物なげる(捨てられる)気がするよ。やっぱりこんな時はひとりより二人だなって気がするけど、いつのことやら(一生ないかも笑!)?まあイブの夜遅くに、たわいもない長文をすみませんでした。
映画のラストシーンじゃないけど、今度会ったときは目をつぶり手のぬくもりときちんと対話してみようかな。だっていつもあーちゃんと話したいキモチばかり先走って握手さえ忘れていること有るくらいだから、こんな美しいシーンのように、手にふれただけで「YOU(あなたでしたの?)」とあーちゃんだって気付けないとさびしいものね。映画の名シーンは言葉を超えたものがほとんど。ヒトの結びつきはぬくもりに勝るものないこと多いから。
そんな感じでやっぱりクリスマスもあーちゃんのことを考えながら眠りにつきそうです。ちょうど小田一正さんの歌テレビで流れてます。「いつか君のその悲しみを、WOWWOW、WOWWOWきっと忘れさせるから。」聖夜に幸せサンタが君の枕元に現れますように!おやすみなさい。ミッキー