今日も勉強しながら、家にいるが、テレビを見ていると怒りたくなるニュースが多い。怒るのが嫌いな私だが、ともかく今日の電力関係のニュースにはごう慢さを感じました。
一つは、浜岡原発が震災等の対策で、300億円を計上して、丘の上に発電機を設置する等の計画をしていること。
もう一つは、東京電力は、六月にかけての電気料金を火力発電所の稼働率を上げたので、石油やLNGの価格高騰を理由に値上げを決めたということ。
この二つのニュースは一見仕方ないよねと受け流されてしまいがちだが、そこには見落としてはいけない事実が横たわっている。
それは自分達が今まで推進して、安全だといい、その為に、建設や維持にもたくさんの補助金(大きな意味では私達からの税金)をもらい、またそのかかった経費を、電力料金の値上げとして、地域の人からとってきた電力会社が、自分達の失敗で起こした甚大なる被害の為のツケを自らで負うのではなく、また私の血税と地元民からの料金搾取という形で、埋めようとしているということ。
これは資本主義社会の企業としては、自己責任ができない最低な体制である。他の業種なら、自分たちの失態を消費者に負担させるようなことしたら、間違いなく消費選択をされなくなって、競争相手に負けて、縮小される。でも日本の電力会社は基本的には地域独占で、他の企業にとってかわられることはないから、初めから、経費に利益を上積みして、絶対損のでないリスクを負わない体制にも関わらず、失敗の際にまで、私達から巻き上げようとするのである。
もちろん浜岡原発の対策はとらなくてはならない。ただそれは動かし続けたい電力会社を支えるためではなく、安全に止める為の対策が必要で、また別の代替エネルギー対策にお金をかけるほうが、今は誠実だと私は思う。
また東電のいう石油等の高騰は正しいと思うが、あれだけの心配を人々に与え、節電の呼び掛けを自ら人々にお願いしながら、自分たちは今までの利益を取り崩して、料金維持を確保する努力をとらず、結局理由をこじつけて、経済停滞でより苦しくなっている家計から搾取する。値上げの本音の一つは、多分今後の被災者への多額な補償金の支払いがあるからだ。それなのに、私達から表面を繕いながら、結局搾取する。これでは、無駄な公共事業に税金をたくさん使われ、不当に高い人件費をポケットに入れるため、その他納得のいかない予算決算の為に、より借金を増やした国と変わらないか、それ以下だ。
どこまで住民生活を無視したら気が済むのだろう。
電力会社の国有化とか、逆の話しばかり目につくが、電力会社が独占化していることのほうが遥かに問題ではないだろうか?電力の安定供給の為にという言葉に覆われて、私達が電力自由化という言葉を忘れるのではなく、私は電力を自由化して、適正な競争の中で、料金も判断基準だが、脱原発のエネルギーで作られた電力を買いたい。そしてもし、原発のエネルギーを本当に売る会社は、誰もが納得するような安全対策と使用済みの廃棄物に係るコストを補助金に頼ることなく料金に反映しながら、価格を設定してみるといい。今まで原発はコストが安いエネルギーだとも宣伝してきた。でもそれが同じ条件で補助金に頼らず、管理、廃棄すべてのコストを計算したら、原発が安いコストのエネルギーになるなんて、きっとならないと思う。もしそこまでして、自由競争の中に組み入れるなら、私は細かいことは言わない。どうぞ出てきて、みんなにどの電気を使うか選ばせて下さい。私はきっとそのエネルギーは使いません。皆さんには皆さんの考えがあると思います。
私は、独裁のように、電力会社に管理されるのは、信頼を本当に回復できる企業に生まれ変わらないと、もう嫌です。
何とか大事なエネルギーをみんなの選択で考えられる電力の本当の意味の自由化を私は希望します。
以上ミルキーウェイより。
追伸、ただ上に書いたことは私の希望であり、本音ではありますが、現実論として、地域独占の如く、発電設備をかなり占有されたり配電されている以上は、電力の完全自由化とか、この国の今の状況ではまだ無理なことは知っているし、首相が一旦白紙という発言をしたが、事実上は原発維持の姿勢に国がある以上は、それを成立させる為の安全対策には補助することになる。動かしている以上は周りの住民を考えたら、対策を打つのは当然だと思う。
ただ国の選択には浜岡原発を止めるという選択はあって当然の部分を誤魔化されているかのような流れや東電の値上げが、火力発電所は原発より遥かにコストが高いんだよという意識の植え付けをここでしておきたいのかと思わせるような、結局国や東電を信頼できなくなったことが私の根底にあるゆえの怒りだと思う。
電力はもしかしたら、適正競争にいつか進むために、一度は国有化してもいいのかもしれない。今のままの東電では、私達は値上げへの対抗手段を持てないからだ。生活必需品を相手に持たれたものは、自家発電ですべて賄えるなどの力がなければ、闘いにもならないからだ。まだ政府なら、選挙だけは選択肢に残っているからね。
何だか怒りに任せて文章書いてみたけど、結局最後は自分の力、自立が本当にできないと、長いものに巻かれてしまうということだ。
やっぱり、できる限り、シンプルな生活を目指し、電力や食料の半分位は自給できれば、何とか大きなものに巻かれないようになる。
やっぱり地域で自立する道を目指すのが、私の人生の目標になりそうだと、あらためて思うミッキーより。
一つは、浜岡原発が震災等の対策で、300億円を計上して、丘の上に発電機を設置する等の計画をしていること。
もう一つは、東京電力は、六月にかけての電気料金を火力発電所の稼働率を上げたので、石油やLNGの価格高騰を理由に値上げを決めたということ。
この二つのニュースは一見仕方ないよねと受け流されてしまいがちだが、そこには見落としてはいけない事実が横たわっている。
それは自分達が今まで推進して、安全だといい、その為に、建設や維持にもたくさんの補助金(大きな意味では私達からの税金)をもらい、またそのかかった経費を、電力料金の値上げとして、地域の人からとってきた電力会社が、自分達の失敗で起こした甚大なる被害の為のツケを自らで負うのではなく、また私の血税と地元民からの料金搾取という形で、埋めようとしているということ。
これは資本主義社会の企業としては、自己責任ができない最低な体制である。他の業種なら、自分たちの失態を消費者に負担させるようなことしたら、間違いなく消費選択をされなくなって、競争相手に負けて、縮小される。でも日本の電力会社は基本的には地域独占で、他の企業にとってかわられることはないから、初めから、経費に利益を上積みして、絶対損のでないリスクを負わない体制にも関わらず、失敗の際にまで、私達から巻き上げようとするのである。
もちろん浜岡原発の対策はとらなくてはならない。ただそれは動かし続けたい電力会社を支えるためではなく、安全に止める為の対策が必要で、また別の代替エネルギー対策にお金をかけるほうが、今は誠実だと私は思う。
また東電のいう石油等の高騰は正しいと思うが、あれだけの心配を人々に与え、節電の呼び掛けを自ら人々にお願いしながら、自分たちは今までの利益を取り崩して、料金維持を確保する努力をとらず、結局理由をこじつけて、経済停滞でより苦しくなっている家計から搾取する。値上げの本音の一つは、多分今後の被災者への多額な補償金の支払いがあるからだ。それなのに、私達から表面を繕いながら、結局搾取する。これでは、無駄な公共事業に税金をたくさん使われ、不当に高い人件費をポケットに入れるため、その他納得のいかない予算決算の為に、より借金を増やした国と変わらないか、それ以下だ。
どこまで住民生活を無視したら気が済むのだろう。
電力会社の国有化とか、逆の話しばかり目につくが、電力会社が独占化していることのほうが遥かに問題ではないだろうか?電力の安定供給の為にという言葉に覆われて、私達が電力自由化という言葉を忘れるのではなく、私は電力を自由化して、適正な競争の中で、料金も判断基準だが、脱原発のエネルギーで作られた電力を買いたい。そしてもし、原発のエネルギーを本当に売る会社は、誰もが納得するような安全対策と使用済みの廃棄物に係るコストを補助金に頼ることなく料金に反映しながら、価格を設定してみるといい。今まで原発はコストが安いエネルギーだとも宣伝してきた。でもそれが同じ条件で補助金に頼らず、管理、廃棄すべてのコストを計算したら、原発が安いコストのエネルギーになるなんて、きっとならないと思う。もしそこまでして、自由競争の中に組み入れるなら、私は細かいことは言わない。どうぞ出てきて、みんなにどの電気を使うか選ばせて下さい。私はきっとそのエネルギーは使いません。皆さんには皆さんの考えがあると思います。
私は、独裁のように、電力会社に管理されるのは、信頼を本当に回復できる企業に生まれ変わらないと、もう嫌です。
何とか大事なエネルギーをみんなの選択で考えられる電力の本当の意味の自由化を私は希望します。
以上ミルキーウェイより。
追伸、ただ上に書いたことは私の希望であり、本音ではありますが、現実論として、地域独占の如く、発電設備をかなり占有されたり配電されている以上は、電力の完全自由化とか、この国の今の状況ではまだ無理なことは知っているし、首相が一旦白紙という発言をしたが、事実上は原発維持の姿勢に国がある以上は、それを成立させる為の安全対策には補助することになる。動かしている以上は周りの住民を考えたら、対策を打つのは当然だと思う。
ただ国の選択には浜岡原発を止めるという選択はあって当然の部分を誤魔化されているかのような流れや東電の値上げが、火力発電所は原発より遥かにコストが高いんだよという意識の植え付けをここでしておきたいのかと思わせるような、結局国や東電を信頼できなくなったことが私の根底にあるゆえの怒りだと思う。
電力はもしかしたら、適正競争にいつか進むために、一度は国有化してもいいのかもしれない。今のままの東電では、私達は値上げへの対抗手段を持てないからだ。生活必需品を相手に持たれたものは、自家発電ですべて賄えるなどの力がなければ、闘いにもならないからだ。まだ政府なら、選挙だけは選択肢に残っているからね。
何だか怒りに任せて文章書いてみたけど、結局最後は自分の力、自立が本当にできないと、長いものに巻かれてしまうということだ。
やっぱり、できる限り、シンプルな生活を目指し、電力や食料の半分位は自給できれば、何とか大きなものに巻かれないようになる。
やっぱり地域で自立する道を目指すのが、私の人生の目標になりそうだと、あらためて思うミッキーより。