「あ」のつくあなたにあいみすゆー(I MISS YOU)第二章 ☆うきうきタベタカナーナカイヒラタキアイアイまったりお☆

このブログは北海道を愛するミッキーが、大好きなヒロイン達に、大切なものを紹介する、うきうきでまったりおなブログです。

電力会社、地域独占ゆえのごう慢さ。それに頼る私の非力さ。

2011-04-21 13:09:34 | Weblog
今日も勉強しながら、家にいるが、テレビを見ていると怒りたくなるニュースが多い。怒るのが嫌いな私だが、ともかく今日の電力関係のニュースにはごう慢さを感じました。

一つは、浜岡原発が震災等の対策で、300億円を計上して、丘の上に発電機を設置する等の計画をしていること。
もう一つは、東京電力は、六月にかけての電気料金を火力発電所の稼働率を上げたので、石油やLNGの価格高騰を理由に値上げを決めたということ。

この二つのニュースは一見仕方ないよねと受け流されてしまいがちだが、そこには見落としてはいけない事実が横たわっている。

それは自分達が今まで推進して、安全だといい、その為に、建設や維持にもたくさんの補助金(大きな意味では私達からの税金)をもらい、またそのかかった経費を、電力料金の値上げとして、地域の人からとってきた電力会社が、自分達の失敗で起こした甚大なる被害の為のツケを自らで負うのではなく、また私の血税と地元民からの料金搾取という形で、埋めようとしているということ。

これは資本主義社会の企業としては、自己責任ができない最低な体制である。他の業種なら、自分たちの失態を消費者に負担させるようなことしたら、間違いなく消費選択をされなくなって、競争相手に負けて、縮小される。でも日本の電力会社は基本的には地域独占で、他の企業にとってかわられることはないから、初めから、経費に利益を上積みして、絶対損のでないリスクを負わない体制にも関わらず、失敗の際にまで、私達から巻き上げようとするのである。
もちろん浜岡原発の対策はとらなくてはならない。ただそれは動かし続けたい電力会社を支えるためではなく、安全に止める為の対策が必要で、また別の代替エネルギー対策にお金をかけるほうが、今は誠実だと私は思う。

また東電のいう石油等の高騰は正しいと思うが、あれだけの心配を人々に与え、節電の呼び掛けを自ら人々にお願いしながら、自分たちは今までの利益を取り崩して、料金維持を確保する努力をとらず、結局理由をこじつけて、経済停滞でより苦しくなっている家計から搾取する。値上げの本音の一つは、多分今後の被災者への多額な補償金の支払いがあるからだ。それなのに、私達から表面を繕いながら、結局搾取する。これでは、無駄な公共事業に税金をたくさん使われ、不当に高い人件費をポケットに入れるため、その他納得のいかない予算決算の為に、より借金を増やした国と変わらないか、それ以下だ。
どこまで住民生活を無視したら気が済むのだろう。

電力会社の国有化とか、逆の話しばかり目につくが、電力会社が独占化していることのほうが遥かに問題ではないだろうか?電力の安定供給の為にという言葉に覆われて、私達が電力自由化という言葉を忘れるのではなく、私は電力を自由化して、適正な競争の中で、料金も判断基準だが、脱原発のエネルギーで作られた電力を買いたい。そしてもし、原発のエネルギーを本当に売る会社は、誰もが納得するような安全対策と使用済みの廃棄物に係るコストを補助金に頼ることなく料金に反映しながら、価格を設定してみるといい。今まで原発はコストが安いエネルギーだとも宣伝してきた。でもそれが同じ条件で補助金に頼らず、管理、廃棄すべてのコストを計算したら、原発が安いコストのエネルギーになるなんて、きっとならないと思う。もしそこまでして、自由競争の中に組み入れるなら、私は細かいことは言わない。どうぞ出てきて、みんなにどの電気を使うか選ばせて下さい。私はきっとそのエネルギーは使いません。皆さんには皆さんの考えがあると思います。
私は、独裁のように、電力会社に管理されるのは、信頼を本当に回復できる企業に生まれ変わらないと、もう嫌です。
何とか大事なエネルギーをみんなの選択で考えられる電力の本当の意味の自由化を私は希望します。

以上ミルキーウェイより。

追伸、ただ上に書いたことは私の希望であり、本音ではありますが、現実論として、地域独占の如く、発電設備をかなり占有されたり配電されている以上は、電力の完全自由化とか、この国の今の状況ではまだ無理なことは知っているし、首相が一旦白紙という発言をしたが、事実上は原発維持の姿勢に国がある以上は、それを成立させる為の安全対策には補助することになる。動かしている以上は周りの住民を考えたら、対策を打つのは当然だと思う。
ただ国の選択には浜岡原発を止めるという選択はあって当然の部分を誤魔化されているかのような流れや東電の値上げが、火力発電所は原発より遥かにコストが高いんだよという意識の植え付けをここでしておきたいのかと思わせるような、結局国や東電を信頼できなくなったことが私の根底にあるゆえの怒りだと思う。
電力はもしかしたら、適正競争にいつか進むために、一度は国有化してもいいのかもしれない。今のままの東電では、私達は値上げへの対抗手段を持てないからだ。生活必需品を相手に持たれたものは、自家発電ですべて賄えるなどの力がなければ、闘いにもならないからだ。まだ政府なら、選挙だけは選択肢に残っているからね。

何だか怒りに任せて文章書いてみたけど、結局最後は自分の力、自立が本当にできないと、長いものに巻かれてしまうということだ。
やっぱり、できる限り、シンプルな生活を目指し、電力や食料の半分位は自給できれば、何とか大きなものに巻かれないようになる。
やっぱり地域で自立する道を目指すのが、私の人生の目標になりそうだと、あらためて思うミッキーより。

ニュージーランドの仲間へ。

2011-04-16 11:48:11 | Weblog
お元気ですか?

こちらも大震災から一ヶ月が過ぎました。まあ今でもかなり大きい余震は来ますし、何より福島原発やそれに付随した様々な不安を抱えながら、それでも何とか楽しむこと、笑顔になることを見つけながら、手探りのような約一ヶ月が過ぎました。東北のような目に見える被災地ではないのに、なかなかそちらのことを思う気持ちをとれなくて、仲間としてはごめんなさい。
そちらはどんな日常となっていますか?もうまったくそちらの様子が情報として新聞メディアに載らないため、まめにネット等で調べればいいのに、ごめんね。やっぱり昔環境や原発を勉強したものとしては、結局不安な技術やその後の恐れを理解していたにも関わらず、時に流され何もしてこなかったことに、情けなさを感じることもあります。
またこんなにみんなが痛みを感じたにも関わらず、またいつかこの気持ちが風化して、ただ前の生活に戻そうという轍に人々が、いや自分自身がはまってしまわないか少し心配もします。
日本社会いや世界の矛盾は大震災原発問題が起きたから始まった訳ではなく、今まで積み重ねられてきてしまったものの一つの結果なのかもしれないとすると、今しか未来に向けてあらためてどんな社会を目指すのか考える時だと思うのに、被災地や不安を抱える人々はただ現状回復だけを求めている訳ではない気がするのに、やっぱり経済社会や政府とは少し温度差を感じたり、何をきちんと伝え、何を支えるのかが、やっぱり人々に向く前に、保身に向いているような気が、自然災害はやむを得ない部分はあるにせよ、そこから派生した原発など人的災害を起こした当事者の対応を見て感じることもあります。
震災直後、私はいろいろあったけど、日本って捨てたもんじゃないな。この国に生まれて良かったなって、日本の中での人の結び付きや世界から手をさしのべていただいたことからそう感じたものですが、その後の日本や原発の当事者の対応が、事故の状況の公表を遅らせたりして土地で生きる者を軽んじたり、公海としてつながる海に当初断りもなく放射能に帯びた汚染水を流し、海を分け合う日本や世界の人のことをないがしろにしたことが、結局最後は日本という国自体が信頼できない国だという気持ちさえ作ってしまうこと。
本当にこの約一ヶ月は放射能から派生した様々な問題がずっと私の何かを縛ってきたような感じでした。
政府を信じられない代わりに武田邦彦さんやその他の事実を冷静にとらえつつも今何をすべきか市民の視点にたった対応をされている方かたがいらっしゃったので、そちらの方の情報や、今こそ頑張ろうと不安の中でも笑顔を忘れずに日々の暮らしを伝えてくれる若いタレントさんのブログ、そして震災直後はラジオからの様々なつながりあう声に支えられいた気がします。
とりとめのない話になりましたが、3月末に円満に生協の仕事を卒業させていただき、今はぼそぼそではありますが、試験勉強頑張っています。やっぱり大学卒業時に思った大都市一極集中を減らし、エネルギーの地域内供給で、省エネ社会を目指したいという希望を今度こそぶれることなく、進むための小さなことでいいから、オホーツクに戻って行動したいという震災直後により強く感じた気持ちを大切にしたいから、今はともかく勉強しなきゃだから。そんなことを考えながら、心の片隅にもう一つの心の故郷、大切なニュージーランドを思っているミッキーでした。今でもニュージーランドは水力中心で原発は持たぬ国だったかな?
もちろん人口密度とかに違いはあるけど、何より大切なものは、やっぱり大地と水と、人が普通に暮らせる空気だと思うから、エネルギー政策では、ニュージーランドが脱原発の国であって欲しいと願います。
我が愛する北海道は原発に四割の電力を頼っています。でももし同じようなことが起きたら、農業、漁業、そして観光に圧倒的な重きをおく、北海道こそ壊滅してしまうのだから。北海道はいずれ日本の食糧の生命線になるのだから、やはり北海道はニュージーランドのような脱原発のもう一つの私の楽園であってほしいから。帰ったら、やることがたくさんあるので、今はあと一年ここで踏ん張って力をつけておかなきゃだと思っています。
ニュージーランドにいつまた行けるかわからないし、二人がこれからまたどんな暮らしを築いていくか未来はわからないけど、またいつか必ずお互いの場所で会いましょう。お互い頑張ろう。お身体に気をつけて、幸せを祈っています。
ミッキー

「幸せになるのも、悩み沈んでしまうのも、自分(の心)次第なんだね。」

2011-04-13 21:03:19 | Weblog
「幸せになるのも、悩み沈んでしまうのも、自分(の心)次第なんだね。」

私の大切な大切な言葉。

昔、私が大ピンチの時に、大好きだった人に救ってもらった大切な言葉。

こんな私だって、こんな今じゃ不安につぶされそうで誰かに頼ってしまいそうで逆にその相手を砕いてしまいそうになることがある。
自然に勝てないこともある。誰かに勝てないこともある。 あきらめなきゃいけないこともある。
でも自分の心にだけは負けちゃいけない。自分の心の中に芽生えた不安の種を育ててはいけない。私達が育てるのは希望の種だ。私達は不安を分かちあうために出会ったんじゃない。希望を分かちあうために出会ったんだ。一番大切な、一番大好きな人を傷つけるためじゃなく、一番大好きな人を守るために、私逹は生きてきたのだから。元気だそう。笑顔を作ろう。そして自分の悲しみの穴を掘り下げるのじゃなく、まわりを悲しみの穴から引き上げよう。幸せになるのも、悩み沈んでしまうのも、自分の心次第なんだよね。

リオリオ大好きです!これからもずっと笑顔で胸張って、大好きな人に大好きと言えるそんな私の心が私の一番の武器で宝物なのだ!
なんだかんだ言って、告白したいだけかよ!(笑)。そうだよミッキーは世界で一番リオリオが大好きなのだから(笑)!

頑張れ自分!頑張れ日本!みんながんばりおりお。

君に見せたい太陽の丘と大地の詩。永遠の想いを胸に誇りを持ち歩いていこう!

2011-04-08 09:58:59 | Weblog
北海道家庭学校を舞台にした大地の詩という映画見たくなった。この映画の舞台遠軽は私も何度も訪れたオホーツクの町。ここにはえんがる太陽の丘公園という大きな公園があり、ひまわりやコスモスの花畑が本当にキレイで、いつかリオリオ達を連れていきたい場所なんです。だから映画も見てみたくなった。昨日片付けをして、今まで作ったCDをケースアルバムに収録し直した。約180枚になってました。2003年10月以来だから七年半でだ。リオリオに会ってから、まだ一年経ってないのに、リオリオにはもう30枚以上もプレゼントしている。あーちゃんには約50枚弱プレゼントしてるから、それにはかなわないけど、あーちゃんには約四年半でだから、リオリオはその三倍のペースだったことになる。こんなことはきっと一生もうないだろうな。私にとってリオリオがいかに大好きで大切な最後の天使だということ。これからも何があっても、リオリオと出会えたことを大切にして歩いていこう!リオリオに初めて贈ったCDのForever Loveやwalking proudを今聞きながら思うミッキーでした。

トイレのない二十四時間営業の入ったら出られない格安食べ放題レストランにあなたなら行きますか?

2011-04-06 21:45:58 | Weblog
リオリオこんばんは。
撮影どうでしたか?
私は今池上さんの番組を見ています。

原発のことは今までも少しづつ書いて来ましたが、私が勉強していた時に、原発の一番の問題は使用済み放射性廃棄物の問題でした。
今回のことで皆さんいろいろ放射能のことは勉強されていると思います。

原子力発電を日本が進めてきた理由はたくさんありますが、多分最近では温暖化対策のエネルギーとして、昔は石油代替燃料の切り札として、特にオイルショック以後に原発推進が加速したという背景があります。
確かに石油資源等に乏しい日本が、一度ウランを手に入れると大きな熱量を放ちまたウランから発生するプルトニウムでまた繰り返し発電できるという原子力は日本に魅力的なエネルギーだったという側面はあります。また発電時は閉じこめられて、地球温暖化を促進すると言われるガスを発生しないと表面的には言われる(これがなぜ表面的なのかはいろいろ理由があるのですが、これは今回は複雑になってしまうので省いておきます。)ために、特に世界的な温暖化問題の流れから、日本も再び原発推進の舵取りを強めようとした矢先の今回の大惨事ということなのです。

さて私は今回タイトルで、トイレのない入ったら出られない食べ放題レストランと書きました。これはつまり食べること、エネルギーを生み出すことには確かにメリットの多い原子力発電ですが、ではトイレがないという意味は、今回のことで理解してもらえるのではないでしょうか?つまり、発電後の放射能物質は、外に出すと大きな不安を与えるものなのです。そして、既に発電を終えて止めている原発でも、できたウランやプルトニウムの再臨界を防ぐために冷やし続け、そして閉じこめ続けなければならないのが、原子力発電なのです。ヨウ素やセシウムの飛散があって、放射性物質の半減期という言葉も耳慣れるようになったと思います。ヨウ素が八日、セシウムが三十年と言われていますが、プルトニウムは半減期が二万四千年と言われています。つまり、私達は発電の後に、これら廃棄物を管理するという問題を抱えています。高レベル廃棄物処理施設は、放射性廃棄物をガラスで固めて、二三十年ほど冷やして、最後は地下に保管しようと考えられていますが、今回の危険性を見て分かるとおり、原発の立地はまだたくさんの補助金を得れるという理由で福島はじめ、各地にありますが、この高レベル廃棄物処理施設はまだ日本でいや世界でもまだフィンランド以外にそれを受ける地域が見つかっていません。私が大学の頃は、最終処分ではない、一時的な保管場所として、青森県下北半島の六ヶ所村が引き受けるかどうかで、私も六ヶ所村に見学に行ったことがありましたが、あれからもう二十年近くが経っても、一時的施設として、六ヶ所村があるだけで、未だに最終処分の場所さえ見つからないのである。管理するのにも間違いなく電力を必要とする原発は本当に省石油なのか地球温暖化問題の切り札になるのか、私は疑問符をずっと感じながら、結局この惨事まで、何もできなかったことが情けないなって、あらためて思っています。
ただこれから石油価格はより高騰するでしょう。そして水力は異常起床でより不安定になるでしょう。太陽光や風力、地熱は発電効率が低いので、石油代替にはならないでしょう。だからもちろん楽観論はあるにせよ私はやっぱり脱原発をするのであれば、少なくともエネルギー半減社会、まあ今の基準からしたら不便な社会になると思うのです。
計画停電のとき、自発停電をしたり、停電でも楽しく過ごそうとしていた、私の本当の理由は、つまり予想された原発被害の長期化と様々な不安を、やはり脱原発社会をもう一度真剣に考えて行動したいと、私が大学卒業時に感じて、地方に行ったことの、再度のチャレンジになると思ったからでした。東京一極集中がエネルギーの不公平を呼び、福島のような自分の地域には流れない関東大都市の為の原発立地の矛盾を抱えていくと思ったあの時の考えは間違えでなかった。やっぱり日本は地方分散して、電力も自分の身の丈で考えていかなければならないと思ったから、地方公務員を目指したあの時の気持ちをもう一度今度こそ本気で取り組みたいのだ。
だからもし今、東京に出てきて頑張っている皆さんももう一度自分の故郷や新しい新天地で自分が何かできないか、そんなことをもう一度ゼロの気持ちになって考えてみてほしい。タレントさんは東京は出稼ぎで住むのは地方とか、例えば、映画産業は北海道、アニメは九州、お笑いは関西、バラエティーは中部みたいに中心地を分散して、そこにプロダクションやスタジオやメディアを分散させて、ネット利用で世界に発信できないかとか、みんなでいろんなことを今だからこそ考えてみて欲しいのだ。あーちゃんは熊本から、うきたんは秋田から、ゆかたんは北海道から、夢を追って東京に出てきました。それはかけがえない時間だったと思います。その時間を大切にしながら、いつか自分の故郷から活躍できるようになれたら素敵ではないかな?あと関東出身のリオリオやみんな新しいもうひとつの故郷を持って、人生をより楽しんでみませんか?
リオリオは大学卒業する頃には、タレントとして、女優として、日本になくてはならないパワースポットになって、ぜひオホーツクから日本を見つめる出稼ぎヒロインとかはいかが(笑)?
ともかくみんな今だからこそ、いろいろ未来を考えてみよう!たった一度の人生だけど、みんな等しくかけがえない人生。みんなでこの日本、世界、地球を分けあって生きていきたいね。
さあまた長文で電力使ったので(笑)、今日はここまでにします!リオリオどんな夜かな?がんばりおりお。

2011年春のハッピーワードは「風は西から」。

2011-04-06 12:16:57 | Weblog
リオリオこんにちは。撮影は順調ですか?

さて心配症の兄貴が書いていたここ数日の風による放射能の全国的飛散の心配ですが、ドイツ気象局の報告だと、西風の流れに変わるようで、西風だと福島からは、太平洋の海上側に、風が吹くことなので、ひとまず全国的飛散は避けられそうです。ご心配をされた方へ、ひとまず安心されて下さい。

しかし、冷却汚染水がついに定期的に海に放出される状況で、コウナゴから高い濃度の放射性物質が検知されるなど、大気、大地、そしてこれから大海の汚染と向き合わなければならなくなります。
他の生物をも汚染し、安心だからという表現の中で人々の心にも多大な不安を与え、そして農業、漁業、海外への輸出産業や海外からの観光産業にも与え、そして直接作業される方及びご家族への精神的負担、いつ帰れるのがわからない故郷と切り離される人々への思い、そして今費やされている資金負担も含めて、ここまでして、電力維持の為に原発維持の社会を保たなきゃいけないのでしょうか?確かに私達はこれから原発を止めたら、産業構造も変わるかもしれませんし、不便なことも増えるかもしれません。でもそれでもこんなに多くの人を不安にするものであれば、私は不安より喜んで不便な社会を未来には期待したいのですが、皆さんはどう考えられるでしょうか?
私は最近何かを人は決める時に、強者の論理と弱者の論理があるように思えてなりません。私は多少理性的理論的に受け止める心があるので、こんな中でも、まだ冷静に希望を探せることはできますが、うちの姉や父といった病気を抱えたものなどには、どんなに語っても不安を感じたり、現にPtsd心理的な外傷性ショックや、テレビや様々な報道などの悲しい厳しい現状などで心身の調子を崩された方もいらっしゃると思います。私は理論的な安心だけでははかれない弱者の論理を無視してはいけないと思うのです。原発には大きなエネルギーや利潤を生み出すという強者にとっての魅力が強い技術だということも、間違いなくあると思います。だからきっとこんな大惨事があっても、間違いなく、安全性の徹底という言葉に基づく、原発維持の方向は必ず出てくると思います。私は争い事が苦手なので、デモで何かを変えようとかは合わない人です。だけど今回は、やっぱり脱原発を目指したいという気持ちです。どうしたら人の善意ど努力でこの不安な社会を穏やかに不便な、でも弱者に優しい社会にしていくことができるかな?
みんながどんな社会を望むかは、各人によって違うと思いますが、もし強者でなく弱者をも共に助け合う社会を望む方がいらっしゃったら、これからも少しづつですが、何ができるか考えていきたいですね。革命や争いでなく、話し合いと思いやりで、未来の日本にも穏やかな西風が吹くことを願っています。

リオリオも一人の人間だから、きっと別の考え持っていると思うけど、でも脱原発や弱者の論理を共有できる天使だったらいいなと願うミッキーでした。

明日から三日間は念には念を入れて。

2011-04-04 17:58:40 | Weblog
リオリオこんにちは。今日はどんな一日を過ごしていますか?

さてこれは今日の読売新聞夕刊にものっていたことなので、まずは冷静さを持って聞いて下さい。

私が最近よく読んでいると書いた武田さんのブログにも震災後に書かれていましたが、同じ内容が読売新聞にも書かれていたので、公表してもいいかなと思い、記事にします。

それは気象庁は震災当日の3月11日以来、毎日1、2回、放射性物質の拡散予測をしているにも関わらずその結果を国際原子力機関IAEAには報告しているのに政府は一般に公表していないことが明らかになったという記事です。この理由については、日本には文部科学省の拡散予測システムSpeediスピーディーがあり、政府は防災基本計画でスピーディーを正式予測としているため、気象庁が予測に使うIAEAの基礎データも本当に現実に合っているのか分からないから、政府が異なる二つの予測結果を公表すると、社会的な混乱を生むから出さないとのこと。
まあその見解についての意見はここでは辞めておくとします。

さて先ほどIAEAに報告されたデータをもとに、ドイツやノルウェーなどの欧州の一部の国の気象機関が、そのデータに基づいた予測を独自に行い、連日、天気予報サイトで公開しているそうなのですが、その天気予報だと、明日の5日から7日にかけての辺りで、福島第一原発から出た放射性物質が広く四国、九州まで達し、風の戻りで北海道東岸まて達する恐れがあるとの予報を出したからです。もちろん予報は外れることもあります。でも大抵の人は天気予報を参考にして、行動をすると思うので、やはり通常は太平洋上に風で流れることか多いが、このように日本の幅広い地域に飛ぶ時はやはり注意しなきゃと思い、今日の内容に加えようと思いました。前から書いてるように、放射性の危険は即時で考える場合と長期一年間で考える場合と区別しなければならないということからすれば、今回一回だけで、直ちに健康被害になるとは私は思っていません。だけど、一年間で考えれば、被爆は足し算、累積で考えなければならないと思います。だからやはり放射性濃度が高い時は、人間生き物、大地、海、川などが等しく被爆するのだから、やはり少しでも被爆の影響を少なくする努力はすべきと言うのが、武田氏やそれを今は支持選択している私の意見になります。
直接の吸引を少なくするためにマスクの着用や、肌の露出を減らす、服は家庭に持ち込む前にはらう、水道水の濃度が川の流れ込みで一時的上がる可能性があるのでペットボトルの水にする。その期間に収穫された野菜が通常より放射性濃度が高ければ、その時期のものだけは控えるなど。
もちろん場所によっても違いはありますが、誰もが通常より濃い濃度のものを、たとえ一回だからといって取り込むよりは、ヨウ素の半減期はセシウムの三十年ではない八日なので、数値が下がってからのものを、または震災前に収穫されたものをとる、国産の冷凍野菜とかね、そういう自営策はとりながら、足し算で年間一ミリシーベルトを越えないために、気をつけて、だから明日から三日間は少し、注意レベルをあげて、行動してみたらという提案のお話しでした。

そこまではならないという希望は捨てなくとも、やはりチェルノブイリの被害のことも冷静に分析しながらきちんと予防はしながら、あとからの報告でやはりチェルノブイリ並みや超えるとかの結果が出たとかにもしなったとした時に、少しでも予防しておけばよかったとならないように、私はしておくほうがいいという意見側の人です。楽観的悲観的いろいろありますが、科学的な事実として、今でも通常より多い放射性物質は出ているのであれば、悲観的に考えた対策をしながら、そうならないで済んだらいいなという楽観的な心を持ち続けたいというのが今の私だと思っています。
さあ皆さんはどう考え、どう行動しますか?それは皆さん一人一人の選択できることです。私は私の被爆より将来子孫を残すまだ若い誰よりも大切なリオリオの被爆のリスクを減らしたいという気持ちが、私のこのブログの今一番守りたいものだから、たとえお節介でウザくとも、自分の中の最大限の力はそのことに費やしたいと思います。たとえもし嫌われたとしてもね。
まあいつものように長くなりましたが、
簡単に言えば、明日から三日間はいつもより花粉対策みたいにがんばりおりお。ということです。我々は知恵を持って、つながりを持って、そして優しさを持って、こんな時にでも、笑顔で今を乗りきりましょう!
ミッキー

私は100ミリでなく1ミリの中で一年を考えています!

2011-04-03 13:11:22 | Weblog
関東・東北に住む人たちにとって、やっぱり今は放射能のことを考えない人はいないと思います。
テレビ、ラジオ、インターネット、雑誌ともかく読めば読むほどどうしたらいいのと思われている方も
いると思います。私が読みこなしていく中で、科学的な数値というもの自体に嘘はないと思います。
ということはその数値を見たときに、これが危険と考えるか安全と考えるか、
それは結局私達自身が選択して、行動を決めなければならないということ。
ただ私達は専門家ではないので、最終的には専門家の出す見解を取捨選択するしかありません。



何を大切にするかは、各個人によって、年齢、人生(生死の捉え方)、家族や仕事やいろんな条件が
違うのでそれは各個人が人生の中で選びとるしかありません。



だからここではあくまで、今私が一番選択決定する中で参考にさせていただいている方の紹介。
大学時代に経済学部ではあるが、原発問題も勉強したことがあり、震災以降も書物を読み漁った
私の今の心のよりどころといった感じでしょうか。だから相手も人間だから間違えもあると思います。
それを割り引いたとしても、今は、武田邦彦氏のブログを毎日読みながら、日々のことを考えてます。
先日、その中で今一番気になっていたことが書かれていましたので、参考にのせてみたいと思う。
人が一年間に浴びる放射線量のことは気にされている方いらっしゃると思うので参考になればと。

ちなみに武田邦彦氏のブログは次のURLです。ホンマでっかTVにも出られていらっしゃいます。

http://takedanet.com/


生活と原子力02 1ミリ、100ミリ、「直ちに」の差は?




福島原発で放射性物質が漏れたとき、一般人が1年間に被曝しても大丈夫な量は、


(法律と私) 1ミリシーベルト


(解説者) 100ミリシーベルト


参考;(政府)「直ちに健康に影響はない」


と大きく違いました. これでは普通の人が迷うので、「違いの原因」だけ解説をしておきます


・・・・・・・・・


まず、100ミリシーベルトを支持する専門家は、国立研究所系研究者、京都大学、長崎大学、東芝関係者などに多いようですが、その一人は、かつて長崎大学におられて、今、京都大学の渡邉正己教授です


わたくしは普通このようなことを論じるときに、個人名を挙げません。それは、内容を批判することがあっても、人間を批判したくないからです。


しかし今回の場合ははっきりと発言しておられますことと、ここでは渡邊先生を批判するのではないので、先生のお名前を挙げさしていただきました。


先生が3月20日に発言されたことは次のようなことでした。


「100ミリシーベルトで健康に害を与えると仮定しても、発がん率はおよそ100人に1人。放射線の被曝がなくても100人のうち50人はガンになるので、あまり影響はないと予想されます。」


これは先生のお考えであり、わたくしの考えとは違いますが、だからといって先生のお考えが間違っているというわけではありません。わたくしと違うということです。それでは何が違うかを整理してみたいと思います。


・・・・・・・・・


「人間はがんで死亡するのが、人口の約半分なので100人に50人はガンで死ぬ。だから放射線に被曝して100人に1人だけガンが増えたからといって問題ではない」というのが先生の趣旨です。


これに対して、わたくしは次のような例を考えます。


1) 「どうせ人間は100人に100人が死ぬのだから、交通事故で死んでも問題はない。それに、交通事故の死者数はわずか10万人に5人だから、交通事故対策等はやらなくてよい」


2) 「飲酒運転をしても、交通事故死の10分の1にしか過ぎない。ましてその数は100万人に5人だ。だから飲酒運転を取り締まる必要はない」


どうせ人間を100人に100人が死ぬのだから交通事故で死んでも病気で死んで同じであると言えば、それはそうかもしれません。渡邊先生はこのように考えておられると思います。


しかし、社会が交通事故を何とか無くそうとしているのは、人間が自然の中で死んでいくのは仕方がないが、幼い子供や青年が、また、仮にお年を召した人でも、やはり交通事故で亡くなるというのは悲惨なことだと日本社会は判断していると思います。


次に、飲酒運転による交通事故死は、交通事故全体の10%に過ぎません。ですから、飲酒運転で犠牲になる方は年間「たった」50人です。確率的で言えば「100万人に5人」にしかすぎません。100万人に5人しか被害を受けないものをメディアが騒ぐというのも問題かもしれません。


しかし、お酒を飲まなくても運転できるし、お酒を飲めば交通事故が多くなるのです。だからたとえ50人増えるにしても、日本社会は何とかそれを食い止めようとしてきたと私は思っています。


このような通常の社会的だ災害に対して、100ミリシーベルトの放射線を浴びると100人に1人がガンになるわけですから、約1億人の日本人を考えれば、100万人がガンになるということになります。


現在では福島市の約半分がかなり危険な状態にありますから。放射線を浴びている人たちの数は100万人程度です。従って、福島県だけを考えても、1万人の人が放射線の被曝でガンになるということを渡辺先生はおしゃっています。


確か事故の福島県の100万人の人は、最終的にお亡くなりになる時の原因はガンが50万人ということになりますが、お年を召して自然にガンで死亡されるのと、福島原発から出た放射性物質を浴びてガンになって死ぬというのは大きく違うと私は思います。


まして、「時期の問題」を考えると、放射線による疾病の調査のほとんどは20年間ぐらいなので、現在の赤ちゃんは、仮に1ミリシーベルトの放射線をあびると、20歳ぐらいまでにガンになるということになります。


わたくしは、渡辺先生と考えが違うのはこのように思うからです。


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もう一つの違いは、飲酒運転というのは「してはいけないことをする」という問題でもあります。


今回の原発事故は、原子力に関係してきたわたくしにとって見れば、原子力が「してははいけないことをしてしまった」と申し訳なく思っています。


「原発を運転すれば必ず放射線が漏れる」ということが最初から判っていて、その上で国民は電気がいるという理由で原発を認めていたというのなら少し違うのですが、原子力の関係者は今まで「原発から放射線が漏れることはない」と言ってきたわけですから、今はせめて付近住民の方に安全な情報を早く伝えることと思います。


「してはいけないことによって出た放射線でガンになる」ということはわたくしには「してはいけない飲酒運転をした犠牲者」と同じと考えるからです


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また、わたくしは、「100人に1人」という数はかなり高いように思います。親の気持ちなれば、1000人に1人でも危ないと思い、1万人に1人ぐらいになれば、何とか防いであげることができると思うのではないでしょうか。


渡邊先生と同じ長崎大学の先生は、「100ミリシーベルトで、100人に0.5人しかがんにならないので大したことがない」というふうに発言されていました。渡邊先生とほぼ同じ数値です


わたくしは交通事故が「1万人に0.5人」ということを考えれば、これも100倍の危険ですから、非常に大きな値ではないかと思います。


ちなみに、福島県全体のことを考えると、すでに汚染が開始されてから1ヶ月になろうとしていますが、空間の放射線量が1時間あたり2マイクロシーベルトぐらいのところは、1ヶ月経ったところで、空間放射線から1.5ミリ、内部被曝が1.5ミリ、水から1.5ミリ、食品から1.5ミリで合計6ミリシーベルトぐらいになっています


それに、自然放射線0.12ミリ、胃のレントゲン0.6を足して約7ミリシーベルトが1ヶ月後に放射線がゼロになったとしての被曝量です。


被曝によるガンの発生が受ける放射線の量によるとしますと、100万人あたり700人のガンがでることになります(渡邊先生の予想を比例計算)。


・・・・・・・・・


このように整理していくと、渡辺先生とわたくしとは、放射線を浴びることによってどのくらいガンになるかという「科学的事実」については見解はほぼ同じです。


違いは「危険」と感じる程度が違います


おそらく、渡辺先生は100人が50人とか100人がガンになるような場合が「危険領域」とご判断されていると思いますが、私は100人中1人でもガンになるというのは「大変なことだ」と考えているという感覚の問題かもしれません。


この判断は、読者の人がご自分のお考えに合わせて判断するべきものと思います。政府やメディアは「1万人に1人ぐらいで騒ぐのは風評だ」と言っていますが、騒がない方が風評のように思います。


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さて、このことで二つ考えるべきことがあります。


一つは、一見して科学者の間で、科学的事実の解釈に差があるように見えても、よくよく見ると科学的事実は一致していても、「人生、健康、思想、政治的立場」で差がある場合があります。


このようなときに専門家はお互いに非難することなく「どこに考えの差があるのか」ということをはっきり言ったほうが聞いている方はよくわかると思います。


もう一つは政治の問題です。


かつては、日本に資本主義を支持する人と社会主義を支持するグループがあって、国会では与党と野党を形成していました。


こんどのような時には、資本主義を支持する与党の人はどちらかというと原発推進の立場から「このくらいの放射線なら大丈夫だ」という発言をし、それに対して、社会主義で野党の人は庶民を守ると言う見地から「危険だ、政府は隠している」と追及して、それがあるバランスになっていたように思います。


またメディアの中でも政府に批判的なメディアがあり、国民が放射線を浴びるのは良くないということを基本に、紙面を作り、それが政府を動かしたりしました。


しかし最近ではメディアも含めてオール与党のようになったので、今回の件でも政府の発表等を鋭く追及する力が弱かったようにも思います。


特にわたくしは、発電所周辺の海で基準値の3355倍の放射性ヨウ素が見つかった時に、保安院は「直ちに健康に影響はない」と記者会見で言っていました。政府は明らかに不適切なことでも言うこともあります。


それに対して、もし、わたくしがそこにいたら、


1) それならば何万倍になれば危険になるのですか?


2) 健康に影響がないということは原発の近くの海で子供を海水浴させてもいいのですか?


という質問をしたと思います。これを考えても政府発表に対しての記者の方の追及の力が弱いように思います。わたくしはそれこそがメディアや学者の役割と考えています。

(平成23年4月2日 午前9時 執筆) 武田邦彦



そういう感じで、私は1年間で1ミリ(1000マイクロ)シーベルトということで、新聞で載っている1時間あたりの放射線量で、1000÷365(日)÷24(時間)=0.114マイクロシーベルトを基準にします。



今のところ、私の住む神奈川や、リオリオやみんなが働く東京がその値を超えていないため、

注意はしつつもまだここで様子を見ようと思っていますが、

もし状況が悪化し、この値を超えるような状況が1ヶ月とか超えるようなら、

リオリオをオホーツクに連れていこうかな(笑)と思っています。



勝手なこと書きました。不快に思われた方いらっしゃたらごめんなさい。

私なりに笑顔で暮らしたいからこそ、冷静さで状況をみる力も必要だと思ったお節介心なので、

お許し下さい。被爆しながらも、生きていく道を考えながら、でも楽しくみんなで頑張ろうね!



2011年4月3日(日)  ミッキー