「あ」のつくあなたにあいみすゆー(I MISS YOU)第二章 ☆うきうきタベタカナーナカイヒラタキアイアイまったりお☆

このブログは北海道を愛するミッキーが、大好きなヒロイン達に、大切なものを紹介する、うきうきでまったりおなブログです。

すっげぇ反省!!

2009-01-10 23:23:45 | Weblog
あーちゃんこんばんは。

今日はありがとう。でも私はすっげぇ反省!すっげぇ自己嫌悪しちゃった。

だって世界一大好きな人に、自分のその時伝えたい内容を伝える(理解してもらう)ことが今日は全然できなかった。
きっとあーちゃんはミッキーさんはいつも一生懸命だけど、いつも何を伝えたいののかよくわからないって、きっとそう思っている気がする。
昔から、本当に好きになった人に一生懸命になるほど、余計私の伝えたいことをきちんと伝えられないという経験をしてきたけど、それは自分の伝える能力がいつまでたっても進歩していないからだ・・・。

私の頭の中はずっと動き続けている。一つ話しはじめると、伝えたいことがどんどん生まれてきてしまい、ちゃんと一つを伝え終わる前に、勝手に自分の中ですでに終わったかのように、次へ話が動いてしまう。

だから、相手は私が一番何を伝えたいかを感じる前に、もう話が変わっていたり、聞き取れなかったりして(熱くなるほど、早口にもきっとなっている。)、結局私を理解できなくしている。まさしく自滅である。

それでも普通の人には、伝えたいことの生まれるスピードが多少遅くて、そして相手をそして自分を、少しだけ客観的に見れることができるから、自分なりに少しは修正ができる。

でも大好きな人には、もう星の数のように、伝えたい言葉がどんどん浮かんできてしまうから、止められなくなってしまう。それでも相手が話してくれるシチュエーションになれば、相手のことを受け止めたいって思えるから、自分がある程度、自分のいい形で表現できるので、会話が成り立つ。私が20代の時に異性の友だちがたくさんいたのは、みんな聞くのも、そして話すのも好きだったから、私の会話をうまく自分の中に生かしてもらえたからかもしれない。少なくとも人一倍知りたい調べたいという気持ちが強い読書家で情報量の多い人間だとは思うから、私の会話の中には新しい発見をたくさん見つけてくれたのかもしれない。

でもあーちゃんとは、本当に短い時間しか、話すことができない。そして一年で、限られた回数しか会えない。そして会った時には、贈り物好きな私だから、会う前から、伝えたいことがあふれているので、結局私の一方的な話から始まり、時間の制約で自分が空回りして、きっとあーちゃんには??で終わってしまう。

半年も営業の仕事をして、経験も少しづつ増えているはずなのに、今日の自分は本当に最低でした。

きっと話す言葉の強さとかもだめだったのでしょうね。本当は「田舎暮らしの本」のこと話し始めてから、あーちゃんがおもしろそうって反応があったら、わざと今回はあげないよって対応して、あーちゃんの「えー!そんな・・・!!」みたいな反応を期待してて、「うそうそ、もちろんプレゼントですよ!!」って返答する会話にきっと自分はつなげたかったと思うのに、あーちゃんが「(プレゼントじゃなく自分で買うことを)そうですよね・・・。」に言われて、本を渡すに渡せない雰囲気に自分で自滅してしまったり、もしかしたら、あんちゃんが今日何となく静かだったのは、もともとがそういうタイプだったりとか、やっぱり仕事のけじめでそうすべきと思っているとか、もしくは実は体調が万全ではなかったかもとか、いろいろ想像できる選択肢はあったはずなのに、あんちゃんにもっといつものように微笑んでほしいなあなんて、勝手に自分で思い込んでしまって、そのうえ今日は不在だったPさんのような行動も、今してみたら、場が変わるかもとか、あの場は勝手に思い込んでしまって、結局あーちゃんに、私がお騒がせ男に今なっているってつぶやかせてしまったり・・・泣!!という感じで、もう今日は反省だらけでした。

実は最初に会ったときに、何だかあーちゃんの笑顔が硬い感じがして、自然体といいうよりも、無理して何とかテンションあげていこうみたいな雰囲気に、なぜか感じてしまって(勝手な思い込みでごめんね。)、自分もなぜかぎくしゃくの感じになってしまって、自分で少し自己嫌悪になってしまってた。なぜかその時に、銀座まで行ってあんちゃんへのおみやげ買おうという行動が心に浮かんだりしてた。

実は銀座でいろいろ悩んでいたら、突然お腹が痛くなって、トイレで何度も下してしまいました。せっかくもう一度あーちゃんに会えるのに、これじゃ無理だってあきらめかけたぐらいだったのです。私は本当に悩むと、お腹下したりするのです。

お腹下してトイレにいた時に、ふと思い出したのですが、昔大好きな人に会いに、オホーツクから何度も京都に行ったことがあり、その時に一度、京都の田舎町のYHに一緒に泊まろうってことで、彼女はその日は仕事があったので、翌日私は汽車で、彼女は車で現地で落ち合うという約束をしたことがありました。

ただ翌日大雪が降って、先に私は宿についたけど、彼女がいくら待ってもなかなかなやって来なくて、すごくずっと心配して待っていました(当時は携帯など持っていません)。夕方遅くなって、彼女は何とか着いたのですが、その夜なぜか私のほうがお腹下してダウンしてしまったことがあったのです。誰かのことを自分で勝手に心配しすぎてしまうと、私はよくお腹をこわしてました。今日ふと、その時のことを思い出しました。その彼女は前に書いた私が生まれてたった一度だけ一目ぼれをしたその彼女だったので、やっぱりものすごく好きだった(片思いでしたが、今でも年賀状は交わす友達です。)からだろうけど、今日お腹壊して、何だか不思議だけど、やっぱりあーちゃんのことが大好きなんだって、より強く再認識してしまった気がします。でも本当に不思議なことに、そんなつらい感じで何とかたどり着いたけど、あーちゃんが今度は本当に自然体で話したり笑ったり(自分勝手にそう感じただけかもしれないが・・・。)する姿を見てたら、何かすごく幸せな気持ちになって、お腹の調子も何とか落ち着いてくれました。

あーちゃんの自然な笑顔は、私にとって魔法の薬なのかなって思いました。
「自然体で、あーちゃんは、やっぱりそれが一番いいよ」って、その言葉がもしかしたら、今日一日で感じて、一番伝えたかったことなのかもしれない。
うまく伝わらなかったかもしれないけど、あーちゃんは無理しないで、そのままで自然に浮かんでくる君自身が、何より一番素敵に思ったのです。

もちろんあーちゃんが22歳として、こうありたいって思う気持ちは大事にしたいと思っています。一生懸命なあーちゃんのことももちろん大好きだから。
でもやっぱり自然な笑顔のあーちゃん、「考えるより先に口からもれるとです」と昔言ってたように、自然な言葉・行動のあーちゃんが何よりも私は大好きです。

この文章だって、きちんと伝わるかはわからないけど、今日のことを忘れないで、いつか会えるときには、少しでもあーちゃんの笑顔・幸せにつながるような私になれるように頑張りたいと思います。

長くなりましたが、いつか読んでくれたらうれしく思います。

また会いたいです。あーちゃんが私には一番の人だから・・・。

今日は本当にありがとうございました。ではおやすみなさい。

ミッキー


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